紅葉
雪の花は音も無く木々に積もり、静かな時間を刻み始めた。
今昔森はいつもと変わりなく佇む。
時折吹く風が花びらを散らして通り過ぎた。
北陸は冬の寒さを増していく。
今昔森は、北陸に広がる針葉樹林帯である。
森の奥地唯一開けた場所に子供達の集団は住みつき、日々、生きていた。
更に奥へ行くと、湖がある。
湖の畔には寂れた社。
なにが奉ってあるかもわからないような、ボロボロの建物だ。
湖の畔まできて、紅葉は足を止めた。
透き通った湖に雪が消える。
(ここにもいない…)胸中で毒づいてその場を後にする。
藁傘を被り、簑を着て、藁長靴を履き、長い髪を紙縒で後ろ手に結び、腰に11歳の少年にしては大きすぎる太刀を挿している。紅葉と書いて
「くれは」
と名付けられた少年は、暁党の指針と呼ばれる連絡係兼補佐の一人だった。
住む場所は狭いが、森は広い。
唯一開けた場所には、二つ党がある。
昔森の代表が暁党だと言うだけだ。
(まさか、茜のところか…だとしたら、血みどろになってなきゃいいけど…北斗なら連絡来ても)ぶつぶつと唱えながら、軽く息を吐く、首に巻き付けた防寒用の布が、湿った。
雪道を歩き続けて寸時、何か柔らかいものを踏んづけて、紅葉はとびのいた。
息を飲み込み、恐る恐る雪を払いのける。
幾度となく死体は見た。
死んだ者にも触れた。
ぱっと手をどけ、息をするのも忘れ、目を逸らす。
(見なかったこうにしょう)念仏を軽く呟いて、通り過ぎようとした瞬間。
雪に埋もれていたそれの手が紅葉の足に食いついた。
「……、」
表情に困りながら、手を解こうとする。
少年一人に大の大人を運ぶ力はない。
こんな森で共倒れはごめんである。
しかし、倒れている人間の手が離れない。
途方に暮れて、紅葉は、あたりを見回したが、助けを呼べる状態ではないことが判明しただけだった。
ただ、唯一都合のいいことに、見知った場所だった。
少し歩けば小屋がある。
今昔森には、浮浪者が気紛れで建てた家が散らばる。
冬の小屋は、大抵空だ。
浮浪者は冬には町へ消える。今昔森はあくまで避難所である。
「し、死んだら置いてく」
そうとだけ言って、紅葉は、甘栗色の髪の頬に傷つきの武士風男を、引きずった。
男はかくかく頷いて、なされるままに、引きずられていく。
やがて、目的の小屋が見えてきた。
雪は風に流され森に溶ける。
る。小屋に入ってまもなく、明々とした火が、薪を弾く。むしろに寝かされた男に腰に付けた瓢箪の酒を飲ませてやる。冷えて、青白い顔にうっすらとあかみがさす。しだいに、部屋が暖まる。
「助かった。かたじけない」
男は、紅葉に頭を下げた。
「別に…なんてことないよ。あんた何してたの?」
「拙者、仕事場に行く途中だったでごさるよ。しかし…方向音痴故に、あそこで、行き倒れていた…本当に助かった」
起きたとたん、喋り出す男にきょとんとする紅葉だった。
「ところで、お主、この森の住人か?猫ヶ町へ行きたいのだが…」
「猫ヶ町!?あんた、白夜の奴かよ」
「そうでござるよ。めったに帰らぬから仲間にも見捨てられたかも知れぬが…」
「…あんた?なんなの?」
怪訝に聞き返す。
「美作の武士だった者でござる」
自信満々に頷く男。眉を顰め紅葉は薪をくべた。
「武士が、何で忍びになってるんだよ」
「…長い話になる故、そこはまた後で」
話をはぐらかされて、紅葉はふーん、と冷たい返事を返しただけだった。
もとより、身の上話に興味はない。パチンと薪が弾けた。
「仕事って、戦?」
ふと、紅葉は聞いてみた。男は首を振り答える。
「保護官の仕事を何年もしている…」
紅葉が、太刀に手を掛け抜いた。男は、寸手で交わし、苦笑する。
「仲間二人に任せきりで話にしか聞かないけれど…本当に嫌われているようでござるな」
「うっさい。あんたらの、アホな計らいで、家の頭は偉くご機嫌斜めなんだ」
「拙者が来たところで何も変わらないから、安心するでごさるよ…もう一つ大事な用件もあるし」
そう言いながら、切っ先から遠ざかる。
「大事な用件?」
「方向音痴の拙者では、連絡もろくに取れない。鳥を飛ばそうにも、まだ夜。」
「…鳥使い…美作、白夜の異端児」
「そうでござる。久しぶりに猫ヶへ戻る途中でござる」
「……は?」
「そこで…あそこで倒れて誰か来るのを待ってた分けだ」
返す言葉もなく、男をにらむ。
「拙者の代わりに、伝えて欲しいでござる…猫ヶ町にいる保護官2人。『こづち』という茶店にいるはず………」
「なんであんたが!!!あんたなんかに、そんな伝言まかせんだよっ」
紅葉の怒りは爆発した。
、殆どの人々が一カ所に固まっていると言える。
暁党だけでなく、双葉党にも知らせなければならない。刀を構えたまま、少年は男に言った。
「あんた…本当に方向音痴か??」
「生存者確認機と巷では噂でござるが…」
「……」
「つまるところ、気配なければ、迷うでござる。気配について行く故、団体行動向きの身…。」
「だから、なんであんたなんが、んな情報を伝える係りなんだ」
「伝播の人が拙者に伝えて死んで行ったからでござる。すぐさま、他の伝播を探したでござるが、深い森故、誰にも会わなかった」
男はそう言ったが、方向音痴と言うことで、森で連絡を聞いたのかも怪しげだった。武士風の男が、じっと、紅葉を見た。
「なんだよ」
ふと、空気が変わった、男に問いかける。
「外、吹雪になるな」
「ああ、そう」
軋む小屋の音を聞けば予想がつく。
「名前は」
男が唐突に、声を発した。
「紅葉」
渋々と答える。
「…頼まれてくれるな?どうやら見つかったようだ。」
男は、引き戸の前で言った。
「美作信濃と言う男から、小泉五月殿にとコレを」
紅葉に投げた一通の文。
「おい…!?」
がっと引き戸が開き、美作信濃と名乗った男が、雪の乱れ始めた夜に飛び出した。
舌を打ち、紅葉は引き戸迄走るが、すでに姿がない。
「なんだってんだ、畜生」
雪が風に走る。冷たい音はやまない。
「…俺だって…迷ってんだぞ」
呟いてみたがなにも返っては来ない。
(くそっ!!。
)気合い一線し、紅葉は雪の中へと踏み出した。
猫ヶは無理でも、双葉党付近には行けるはずだ。それにかけるしかない。