蓬生(ニ)
竣は十分ほどそうしていたが、立ち上がる。そうしてゆゆきを見つめていたが、顔を逸らし葵の背中を叩いた。葵も同じく立ち、ゆゆきに微笑む。美形の笑顔って、何とも言えないなあ。ゆゆきが口元を鞄で隠すその仕草に、葵は首を傾げる。竣は眉を顰めてそのままゆゆきの鞄をひったくる。ゆゆきが奇声を上げる前に、竣はゆゆきの前に仁王立ちをした。
「試したいことがある。日向、お前、ついてこいよ」
ついてこいよとは言いつつも、そのままゆゆきの鞄を持って何処かへと歩いていく姿を見てゆゆきは絶句した。葵も竣の隣に走っていってこっちこっちと手を振る始末だ。本気ですかとゆゆきは小さく呟いた。
「今日の晩御飯代、人質ですか……!」
鞄の中身を考えて、関わりたくないのにと頭を抱えて、結局ゆゆきは走った。
「……ふうん、一年の転校生ってあいつらか」
読んでいた洋書を閉じ、男は笑う。下に見える三人の姿に、頬杖をつきながらも見続ける。ドアの開く音にも動く気配が無い。男の座っている席の前に女が座って体を揺する事で、男は漸く動くのだ。びりっと言う音と共に、彼女の口が閉じられる。ガムテープ越しの奇声に男は顔を顰めた。
「うるさいな、お前は」
「じ、自分でしといてその言い草は無いでしょっ! もー、放課後なんだから帰ろう帰ろう帰ろうよぅ!」
「あー、はいはい。……喜子」
喜子と呼ばれた女は、そのまま立ち上がり窓を開ける。校門前へと向かう姿を、目を細め見つめている。黒のポニーテールが、男へと振り向いた瞬間にふわりと揺れた。
「了解。――始末は?」
「今はまだだ。頼めるか?」
喜子は、後ろで腕を交差させながらくるくると回る。そしてそのまま開けた窓へ背中を傾けた。
「駒鳥は紅葉の為だけに鳴く生き物よ?」
男が立ち上がるのと同時に、女の姿は消えている。鳥の鳴く声に、男は笑みを浮かべた。全く、とネクタイを緩めながらそのまま鞄の中へと洋書を放り込む。
「滑稽なのは、僕か、お前か。どちらだろうな、喜子。……けど、今はその滑稽さも利用しなくちゃならないんだ」
――帚木。その名前は、男しかいない教室に響いた。
竣と葵の二人が歩いていくのに着いて行くには、ゆゆきには少々二人は足が速すぎた。漸く二人の足が止まった頃にはゆゆきはふらふらとしている。何時の間にかゆゆきの鞄は葵の手の中で、体も葵がゆゆきのブレザーを引っ張り止めた。す、すいませんとぺこぺこするゆゆきに葵は微笑む。
「大丈夫、ゆゆちゃん。ゆゆちゃん、体、角砂糖みたいだから」
「か、かく、ざとう?」
「ったく。体力無さ過ぎるだろ。とっとと入るぞ」
その言葉にどんな店かと確認をしようとし、そのままゆゆきは体を凍らせた。きっと尻尾があればぴょんと立っていたに違いないとゆゆきは確信する。竣は気にすることなく店の中へと入っていったが、ゆゆきが動かない所為か葵も動かない。
「どうしたの、ゆゆちゃん」
「あの、その、えと、ここって!」
「どりーむめーかー。ひらがな表記がミソ」
店名について教えてくれる葵に、そこじゃあありません!とゆゆきは声を張り上げた。だってだってだってと息継ぐ暇も無く、ゆゆきは手を振り上げた。
「ここ! メイド喫茶じゃないですかぁ!」
フリルが盛り沢山の黒いメイド服を着たお姉さんを見て、葵はそーだねえと首を傾げた。
「可愛いよね、服」
「わあああん、話が通じないー!」
お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様!
メイドさんの声を聞きながら、痺れを切らした葵にそのままゆゆきは連れられていく。うう、と外のビルの風景を目に焼き付けながらゆゆきは項垂れた。