22, 誤解
ソファーにハーヴィーと向かい合って座ったライディアは、困惑の表情を浮かべ若干の居心地悪さを感じていた。
目の前のハーヴィーが視線を外さずじっとライディアを見て、じっくり眺め、嬉しそうな顔を崩さないからだ。
王妃であったときさえ、じっとこのままただ座っている事自体が恥ずかしいような、この場から逃げ出したいような、こんな言い表せない歯がゆい感情を抱いたことはなかった。
「……ねえ。今度は、立ってくれる?」
恍惚とした顔をしながら見つめるハーヴィーの注文に応えて立ち上がったライディアは、ドレスの裾を何気なく直した。
ふと、その動作さえも一挙手一投足逃さないという気概にあふれているハーヴィーの視線を感じるようで顔を上げると、案の定目が合った。
「本当に、よく似合っている」
視線がしっかり絡み合うと満面の笑顔になり、まったく気まずさを感じさせない潔さで、堂々とハーヴィーが言った。
(普通はこの状況…気後れするはずよね?)
ライディアは自分の常識の方が間違っているのではないかと、ハーヴィーの様子を見ていて段々思い始めてきて、自分が何らかの錯覚を起こしているように感じた。
そんなライディアのことは気づかないのか、かまいもせずにハーヴィーは今度は真面目な顔をして次々と指示を出す。
「じゃあ、左手を腰に当てて。…もうちょっと後ろ。あと少し。次は胸を張って、身体を左に反らすようにして。うん」
ライディアはハーヴィーに言われるがまま素直に身体を動かす。
ハーヴィーはライディアを見つめ思案顔だ。
「……右手でドレスを軽く自然な感じで持って。ちょっと肘を広げるようにして。…行き過ぎ。少し内側に閉じて。うん、いいね。…ああ、左! 肩を外側にもうちょっと引っ張って。そこ! それで、頭を左にゆっくりひねって」
ハーヴィーに言われたとおりにすると胸が張り、強調されているようで恥ずかしかった。
でもハーヴィーはそんなことは気にもしないらしく、次々とまた指示をライディアに与える。
「……あ、いいね。首すじがきれいに出た」
満足げなハーヴィーだ。
『トントントン』
扉が叩かれた。お茶の支度が調ったようだ。
音に釣られて緊張を解き扉の方へ視線を向けたライディアに、ハーヴィーが鋭く言った。
「あ、だめ! 動かないで!」
「ごめんなさい」
慌てて答えて元の姿勢に戻ろうとしたライディアに、興味をその先に変えたらしいハーヴィーが言った。
「次は横向いて、一回止まって、後ろを向いてもらえる?」
「はい」
ハーヴィーの気迫に押されてうなずいたライディアだったが、扉の向こうが気になっていた。
返事をしないと、また誤解が誤解を生むような気がする。
それでも指示されるがままゆっくり横を向く。そして身体を後ろへ捻った。
「旦那様、お邪魔いたします」
ライディアが内心悶々としていると、ゼノビオの声がして、同時に扉が突然開かれた。
「…また、奥様を困らせていますね」
ため息交じりに、推測の通りだと言わんばかりにゼノビオが言った。
そして大きく扉を開く。
「扉の外で三人が、どうしていいか躊躇していましたよ。…大丈夫ですから、入っていらっしゃい」
ハーヴィーに対する物言いとは違い、背中を押すようにゼノビオに優しく言われ、ミラとベルがカートを押し、シヴィがテーブルクロスを持ち入ってきた。
「先ほどご注意申し上げたことは、お忘れになられてしまったようですね」
ゼノビオが鋭い口調で言う。
瞳を輝かせ涎まみれの舌を出しそうな勢いで生き生きとしていた大きな黒い犬は、借りてきた猫のように急におとなしくなった。
「悪かったよ…」
「まさか、奥様をずっと立たせていたわけではございませんよね?」
「いや! ついさっきだよ」
「ええ。ほんの少しです。扉が開く少し前からです」
ハーヴィーのあまりのしょげ具合に見ていて気の毒になり、ライディアが助け舟を出した。
ゼノビオの方が恐縮して謝った。
「本当に申し訳ございません。わたくしが、もっとしっかり申し上げておくべきでした」
「そんなことは…」
「ううん。僕が夢中になってしまったから。…本当に、みんなごめん」
ハーヴィーが謝ると、すかさずミラとベルが言った。
「ええ。ヒヤヒヤしました。だって大声で」
「ねえ。『だめ、動かないで』って、聞こえました」
二人が顔を合わせ頷き合いながら話すと、ゼノビオの表情がまた見る見る冷たいものに変わっていく。
「旦那様…」
「ごめんって!」
「お疲れなのに、ご無理をさせて…」
「私は大丈夫ですから。それより、お茶をいただきたいです。喉が渇きました」
またもやライディアが助け舟を出した。
「それは、大変でございます」
「すぐに、ご用意いたします」
答えるミラとベルの方を見ると、ドアの横で笑いをかみ殺しているシヴィが目に入った。
「子供の頃から、奥様に窮地を救われるところは変わっておられませんね。懐かしさを感じます」
もう諦めたのか、呆れたのか、ゼノビオが話を引き取った。
「…旦那様、こちらを」
手にしていた大きめの板と紙、小さく細長い箱をハーヴィーに手渡す。
「ああ、ありがとう。さすがゼノビオ。今必要な物をよくわかっている」
「旦那様の眺めたいということは、描きたいということですから。但し、今日は本当に、加減をしてください。くれぐれも、ですよ」
「わかったよ」
「では奥様、わたくしは失礼いたします」
「ええ。色々と、ありがとう」
「痛み入ります」
にこやかに挨拶をして、ゼノビオは出て行った。
「ライディア、本当にごめんね」
ハーヴィーが殊勝な顔で再度謝った。
ライディアは謝罪よりも、ゼノビオが持ってきたものが気になっていた。
「いいえ。旦那様、そちらは…?」
「ああ、絵を描く道具だよ。ゼノビオには、僕がライディアを描きたがっているってお見通しだったみたいだ」
「まあ。そんなご趣味が…」
「うん。知らなかった? …そういえば、レイカードやライディアと遊ぶ時は、二人といる方が楽しくて夢中になっていたな」
【登場人物】
ライディア(公爵夫人、ホーヴァルト王国元王妃)
ハーヴィー(シュルベリ公爵、教皇の甥)
シヴィ(ライディア付き侍女)
ゼノビオ(シュルベリ公爵家執事)
ミラ&ベル(双子、ライディア付き公爵家侍女)
レイカード(ライディアの兄)




