11,帝国の皇女
「本日は畏れ多くも国王陛下、王妃殿下に、拝謁する機会をいただき、恐悦至極にございます」
先頭で、あまり公式の場に慣れていないような歩き方で入ってきた小太りの男が、口上の挨拶をして深く頭を下げた。
「国王陛下、王妃殿下におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。わたくしは使節団長、総督のディエゴ・カーダンでございます」
ディエゴがあたふたしながら名乗りを上げると、すぐ隣の男を、片腕を広げて掌全体で指すように紹介した。
「こちらに控えるは、副総督のマカーリオ・グアハルドです」
あとは頼むと言いたげに紹介されたその男は、金銀の装飾が施され金の組紐で封がなされた見事な箱を捧げ持っており、箱を捧げたまま頭を下げた。
総督とは対照的に、卒のない身のこなしで抜け目がなさそうな、褐色の肌を持つはっきりとした顔立ちの、やけに人目を引く引き締まった身体を持つ長身の男だった。
「本日は国王陛下、王妃殿下のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます。我が王よりの親書をお持ち致しました」
マカーリオが、よどみのない優雅な物腰で挨拶すると、ヴァイナンドが一段下にいる宰相を見て頷いた。
宰相が、さらに下の段の幕の横に控えた他の者を見ると、その者が進み出て、マカーリオに近づいた。
「拝受致します」
頭を下げて恭しく箱を受け取ると、箱を捧げ持ったまま、後ろ向きに下がった。
「遠路はるばる大義であった。我が国はいかがかな? 貴国とは気候も違うであろう。過ごしやすいと良いのだが」
ヴァイナンドが聞くと、ディエゴ総督が媚びを売るように、満面の笑みになって答えた。
「それはもう…。旅路は快適なもので、大変素晴らしい清潔な街並みと整備された道、そしてちょうどよい気候。過ごしやすく、助かっています。我が国はこの時期、もう暑くて暑くてかないません。真夏になると冷たい水に、頭から飛び込みたくなるくらいですから」
水が流れるかのごとく、ディエゴがつらつらと答えた。
「はは! それは難儀だな。飛び込み用の水があるのか?」
ヴァイナンドが茶目っ気たっぷりで聞くと、大仰にディエゴが首を振り、大声で笑った。
「はははっ! これは……わたくしめが悪うございました。陛下は明るくご聡明であられますなぁ。ははははっ!!!」
周りを気にする様子もなく、さらにディエゴは声を大きくする。
場に不慣れな様子の、ともすれば不敬とも受け取られかねない物言いに、助け舟が出た。
「まさに、陛下のご推察は大正解でございます」
マカーリオが頭を下げる。
「わたくし共は、真夏は海に頻繁に飛び込みます。飛び込む競争をすることもあります。誰が一番高い岩場から飛び込めるのか、綺麗な姿で飛び込めるのかなど、遊びにも繋がります」
笑っているディエゴを補助するように、マカーリオが隣からそう言って笑った。
「そうか、海では海水浴だけでなく、たくさんの遊び方があるのだな。飛び込んで遊ぶのは、さぞ面白くて楽しく、夏は冷たくて気持ちがいいことだろう。私も競争してみたいものだ」
ヴァイナンドも想像したのか、一瞬で子供のような顔と言動になり、一緒になって笑う。
ヴァイナンドの心からの笑顔を皆が見た途端、場の空気が一瞬にして停止し、その笑顔に釘付になった。
ライディアはその笑顔の破壊力をよく知っているので、変わった空気の原因を感じながら、ヴァイナンドの顔を見ずともその横で頬をそっと緩めた。
ヴァイナンドは昔から、水で遊ぶのが好きなのだ。
湖での、子供の頃に一緒にした水遊びをライディアは思い出していた。
六歳の夏、領地で過ごした懐かしい思い出を。
その時は珍しくヴァイナンドと兄のレイカード、それにハーヴィーにユリアンもいた。
「海自体や海にまつわる現象などは絵画や文献で知識として知ってはいるが、描写が文献によって多岐にわたっていることもあって、全体的な想像がかえってしづらいと感じていた。海とは、実際どんなものだ?」
海を実際に見たことのないヴァイナンドが、さらに興味を示してマカーリオに聞く。
いつになく無邪気な様子だった。
「そうですね、ひと言では語りきれませんが…。ただ飛び込んだ後は、海水に塩分が含まれておりますので、よく体を洗います。水浴びと違い、そのまま乾くと肌に不快感がありますし、肌を傷めることもあります。海は、基本的にはご存じのごとく大量の水のかたまりで規模は湖より大きく、遥か彼方へ果てしなく見渡す限りに広がっています。そして、湖より深く、沖に出ると、どこまで深いのかもわからないほどです」
「それは……恐怖を感じることもありそうだな」
ヴァイナンドが眉をひそめ、顔を曇らせた。
ライディアも、話に同調するように同じ顔をする。
「はい、海で命を落とす者は多くおります。先程の飛び込みのお話も、飛び込めるのは海中に岩など危険物がなく、潮の流れが安全な場所のみです。そうやって海の危険性をあらゆる方法で学んでいくのです。天候が荒れると、大波が来て海の水ごと大きく揺れ、船なんて軽く飲まれてしまいますから。海岸にいても、攫われる危険があることもございます」
「海辺に暮らす者は、難儀をするのだな……」
ヴァイナンドが気の毒そうな顔をした。
「はい。それでも海は、我々に恵みをもたらしてくれます。今回のご縁をいただいたように、生活の糧を与えてもくれ、外敵からも守ってくれます。そしてその存在、景色は心を慰めてもくれます。………先程の陛下の御心のように」
マカーリオが胸に手をあて、感動を表した。
そして絶妙な間で続ける。
「……陛下は、とても広い慈悲の心をお持ちであらせられるのですね。その御心に触れ、感動いたしました。あの………失礼を承知で、申し上げたきことがございます」
マカーリオの言い方はすでに逃れられない網が張られていたようだった。
「何だ」
ヴァイナンドが興味を持った顔をした。
「実は去年、大きな被害が出た転覆事故がございました」
マカーリオが、周囲の者が放っておけないような哀しそうな顔になる。
ライディアも心配そうな顔をして、話の続きを聞きたそうにした。
「それで………畏れ多いのですが………もしかして、陛下の背後にいらっしゃるのは、トイヴェネン帝国のマーギット第三皇女殿下ではあらせられませんでしょうか」
マカーリオが、へりくだった態度で確認を取った。
指摘されて、ヴァイナンドが少し驚いたように眉を上げた。
ライディアは態度には出さなかったものの、マーギット皇女の顔を、他国の使節団の副総督が知っていることに内心驚いた。
「いかにも………」
自分しか返事をできる人がいないのだから仕方ないというように、ヴァイナンドが表向きにはわからないように、しぶしぶ認めた。
「おお、やはり………!」
マカーリオとディエゴが驚き顔で顔を見合わせ、嬉しそうに頷き合った。
質問をしたマカーリオが、笑顔のまま続けた。
「さきほどお話した遠洋での転覆事故の際、我が国の乗組員が、たまたま近くにいたトイヴェネン帝国の漁船団に助けられたのです!」
感無量というような表情をして、大げさに喜んで見せた。
ライディアはここでマカーリオに疑問のようなものを感じた。
総督を差し置いて、よどみなく話をし、ここまで大げさな素振りで他国の皇女を間接的に褒め称えることは、普通はあり得ないことだ。
隣のヴァイナンドも、おかしさを感じたのだろう。
ヴァイナンドの纏う空気が変わった。
長年、隣で見てきたライディアにしかわからないような変化だった。
他にももう一人、宰相も微かに眉が上がったようだ。
(お父様らしいわ)
ライディアの察する能力と判断力は、父親譲りということだろう。
ヴァイナンドの後ろでそれを聞いていたマーギット皇女は、自分が褒め称えられているかのように満足げに口角を上げた。
「ここに控える者の中にも、親族を救われた者がおります」
マカーリオが後ろを振り向くと、三人が頭を下げた。
この中の三人ということは、かなり大きな規模の船だったのだろうと想像がつく。
そして、国の重要な艦船だったのだろう。
「このように直接拝謁できる機会は二度とないと考えます。どうか……マーギット第三皇女殿下に、国の民の代わりに、ご無礼ながら直接謝辞を申し上げる事を、お許し願えませんでしょうか」
マカーリオの言葉に本人を始め、ディエゴや他の使節団の面々が一斉に頭を下げた。
その姿を見たヴァイナンドは、とうとう僅かに苦い顔をして、宰相を視線だけ動かして見た。
宰相は無表情のまま、無言で微かに頷いた。
「………許す」
ヴァイナンドの言葉に、マカーリオが「ありがたく存じます」と答え、ディエゴを見た。
ディエゴは頷くと、マーギット皇女に向かい頭を下げると、お礼の言葉を述べた。
「親愛なる皇女殿下、貴国の尽力を賜り、大きな転覆事故であったにも関わらず一人も死者を出すことなく、無事に帰途につけましたこと、大変ありがたく感謝申し上げます。乗組員、その家族になり代わり、また、王国民を代表し謝辞を申し上げ、心より重ねて厚く御礼申し上げます」
深く使節団は全員で頭を下げた。
マーギットの得意げな顔が、拍車をかけて気持ちよさそうに、満面の笑みに変わった。
「陛下、声を掛けてもよろしいでしょうか」
扇子で口元を覆い、小さい声でヴァイナンドにだけ聞こえるように、マーギットが許しを請うた。
「………許す」
低く、唸るように、ヴァイナンドが返事をした。
「使節団の皆様、わたくしマーギット・フォン・トイヴェネンが、間違いなく皆様からの心よりの謝礼をしかと受け取りましたわ。本国へも届けましょう。きっと、救助に関わった者達は、皆様のお心遣いに感謝いたしますわ」
満足そうな笑みで強く言い放つと、『どう? 私は役に立つでしょう?』と大声で言いたげな表情で、ヴァイナンドに媚びを売るように、マーギットは微笑みかけた。
そして正面を向くライディアを、マーギットは嘲笑の視線でちらっと一瞥すると、小馬鹿にしたように小さく鼻を鳴らした。
* * *
「ずいぶんと、面白いことになっているな」
マカーリオがディエゴに向かって、綺麗に弧を描く眉を歪めて、不敵に微笑んだ。
使節団に与えられたディエゴ総督の部屋で、マカーリオがソファーでくつろいだように足を大きく組み、くだけた様子で腰掛けていた。
厚く大きな手にはカップと受け皿をそれぞれ持ち、お茶を飲む仕草は中身はお茶のはずなのにまるで飲酒しているかのような、なぜか官能的で優雅な雰囲気を醸し出していた。
使節団は国王との拝謁の後、晩餐会まで休憩を取っている最中だ。
「はい。まさか、“あの第三皇女”が本当にいるとは」
ディエゴは、謁見の間でのいかにも無能な小太りの男の表情とは打って変わって、引き締まった顔をして、姿勢良く腰掛けている。
仕草までが先程までとは別人のように、一つ一つが洗練されていた。
「ああ。もう王妃気取りでな」
対して斜向かいに座るマカーリオは、ソファーの肘掛けに肘をついて、手の甲に顔を乗せ、足を組み、不遜な態度を隠さず、けだるげな表情をしている。
総督のために用意された広めの部屋であったが、まるでこの部屋の主はマカーリオのような振る舞いだった。
【登場人物】
ヴァイナンド(ホーヴァルト王国国王)
ライディア(ホーヴァルト王国王妃)
マーギット(トイヴェネン帝国第三皇女)
ディエゴ(ナッカグル王国使節団団長、総督)
マカーリオ(ナッカグル王国使節団副団長、副総督)