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1,噂の的






『《聖父》―――聖女の父親は一体誰なのか?』




 最近の王国新聞の人気記事である。


 記事は、本当に公爵は聖父なのか? と続く。


 巷の話題も、今はこれで持ちきりだ。




「まぁ、赤い瞳をしていても、あんなに陛下に似ていちゃなぁ……」



 編集担当の上司は、あごの無精髭ぶしょうひげを触りながら続ける。



「赤髪で、銀髪でもないし、あの裁判を傍聴していたら、あり得ないことなのは分かるんだがな。……確か、お前もいたよな?」



 上司が記者に聞いた。



「はい。いました」



 記者は素直に頷く。



「元王妃殿下は何年経っても、話題を提供してくれて助かるぜ。あの頃は、まさか聖母になるなんて思ってなかったもんな。」



 上司が記者の顔を見て、ライバルと呼ぶにはあまりにもおこがましい王国新聞の紙面を裏返した拳で叩きながら言った。



「こういう、もっと売れるモノを持って来いよ」



(売れるモノねぇ……。こんな大衆誌でも、あの頃より今はだいぶ売れやすくなったけど)


 

 あの頃……十二年前、記者はまだ駆け出しで生活もカツカツだった。

 しかも世の中は荒んでいて、物価も高く商品も少ない、きな臭い犯罪は多い、地方に至ってはもっと酷い噂ばかりだった。

 さらに辺境では、魔物まで出ているという噂が入ってくる始末だった。

 

 当時は情勢がまだましな王都でさえ、定期刊行物は王国新聞のような独占市場の日刊紙でも風前の灯火で、枚数も少なく紙面はスカスカだった。

 ウチの雑誌に至っては、やっと発行できるのはお貴族様の記事を書き、買い上げてもらう時だけの状態になっていた。

 

 当然、人々の不満は王室へ向かう。

 当時の王室は格好の餌食で、捌け口だった。

 


(王室関係、元王妃の話題ねぇ。……今回は、まだマシなのかもしれないな)



 王室へ向かっているのは、人が持つ好奇心の中でも純粋に近い方の好奇心だ。


 その記事自体は取り扱いが小さく、本当に日刊紙の記者様が書いたのか疑わしいような疑問提起だけの曖昧なものだった。

 しかも、その推測の先にある、根本の肝心な事には触れていなかった。

 

 そうつまり、……本当は、国王が《聖父》なのではないか? という、国と王政と国教の根幹を揺るがすテーゼに。

 

 だがそれでも、王国民の口に上るだけの関心をさらうには十分だった。



「俺たちがすっぱ抜きゃならねぇモンだぜ。まったく、シマを荒らすなっての」



 上司は連日の泊まり込みでベタついている頭を勢いよく掻き、ふけを大量に飛ばしながら悔しさを隠さない。



「すっぱ抜くとは、ちょっと違うような………」



 思わず記者がここで開かなくてもいい口を開いてしまうと、みるみる上司の顔が怒りの表情に変わっていく。



「減らず口を叩くな!」



 記者は大声で一喝された。

 それでもまだ収まらない上司は、先ほどボツになった記者の原稿を指で勢いよく弾くと机の上に叩き付けた。



「お前も書けよ! 駄々こねやがって!」

 


 二番煎じなんて皆、嫌に決まっている。

 書かなきゃ売れないのも、分かっている。



(でも、なんか…この記事関連は書きたくなかったんだよなぁ)



―――元王妃は誰の子を産んだのか、なんて。



「申し訳ありません」



 形だけでもすぐ謝った記者に、上司は諦めたように溜息をつき、怒りを抑えた。

 そして「無駄な体力を使っちまった」と呟やくと、人差し指を立て、念を押すように強く言った。



「いいか、分かってるんだろうな。締め切り時間までには、きっちり上げて来いよ。使えるヤツ、をな」


「はいはい」



 記者は首をすくめて軽く二回頷き、反省しているのかいないのか分からない返事をした。


 たった今ダメ出しされた机の上の原稿を乱暴に鷲掴わしづかみし、もう片手で上着を引っ攫うように掬い上げて、記者は席を立つ。

 歩きながら握りつぶした原稿を部屋の入り口付近のボツ原稿専用ゴミ箱に放り込むと、上着を羽織った。



 畏れ多くも、まだたった十一歳の聖女様の母親、―――《聖母》の話題だ。


 それが国で一番威厳のある日刊紙の紙面を、こんな茶化した書かれ方で飾れるなんて、国が安定して平和になった証拠だった。



(これ以上、我々みたいな、低俗な話題てんこ盛りの大衆誌が出る幕なんて、ないんじゃねぇか?)



 記者は思う。



(もっときわどい記事になるぞ。どこまで敵に回すことになるのやら……わかってんのか?) 



 靴底を大きく鳴らしながら、大股の早足で、記者は廊下を駆け抜けた。



(ていうか順調に毎週発行できて、俺が生活できてること自体が、聖女様々だ。誰だってそうだろ?)



 そして、チッと、小さく舌打ちして、階段を下りる。

 

 

(愚民どもめ。その聖女を産んだ母親の元王妃を、まず称え崇めろよ)



 明日の朝までに記事を書き直さなければならない煩わしさと相まって、色々が面倒だなと、記者は心が落ち着かなかった。



「誰が父親だって、構いやしねぇ」



 真面目な記事より、人々が喜ぶ記事、その的にされる元王妃。

 その構図は、十二年前から変わっていない。

 いつも矢面に立たされるのは、彼女だ。



「いいんだよ、いいんだけどさぁ。なんかちょっと……気の毒なんだよなぁ」



 記者はそう呟きながら、憂鬱な気持ちを吹き消すように勢いづけて扉を開け、話題探しに街に踏み出す。

 たった数年前はこの石畳もへこみがあちこちにあり、荷車がよく挟まっていたものだ。

 

 整った石畳を踏みしめながら歩く記者の脳裏には、十二年前に法廷で遠くの傍聴席から見た、在りし日の元王妃の姿が浮かんでいた。

 

 彼女は凜とした佇まいで真っ直ぐ前を向き、そげ落ちた真っ白な頬の上にある綺麗な二重まぶたに包まれた意志の強そうな濃い紫色の大きな瞳から、光を放っていた。


 それは、法廷という似つかわしくない場で、王妃という重圧を平然として背負っていた、まだ十七歳の可憐な少女の気丈な姿だった。

 

 そして王妃は遠目でも分かるくらいに、腰まで広がる金色の豊かな長い髪に包まれ、やつれてはいても儚げな美しさを纏って、誰よりも光り輝いていた。

 

 





      *   *   *






「開廷します」



 時は十二年前に遡る。

 


 部屋の隅々にまでかろうじて届く、裁判長である主席裁判官の平坦な声が、最高教義裁判所の大法廷に響いた。

 

 

 最高教義裁判所は、ホーヴァルト王国の王都アンパフェンにあるチェコップ西大聖堂教会の横に建っている。

 建物自体、壁が音を吸収してしまうかのような、荘厳で堅固な造りなので、仕方がないのかもしれなかった。

 

 しかも傍聴席は溢れかえり、かなりの確率の抽選で選ばれた人々は、いかにも物見遊山といった体で目を輝かせている。

 夏が近いせいだけではない、その放つ熱気で音をかき消して、法廷をより窮屈なものとしていた。

 

 さらには一張羅を着込んだ庶民とは対照的に、王族にしては質素な装いをしているにも関わらず王族が纏う独特な空気はそれを上回るもので、場の重苦しさを加重している。


 所々に配置された騎士も、非日常の威圧感を増幅していた。


 この大法廷だって、設計者だって、神様だって、王族を―――しかも、王と王妃の両方を、迎え入れることになるとは思っていなかったであろう。

 

 まさか、国教で禁じられているが故に前代未聞の裁判、このホーヴァルト王国の建国以来初の歴史上類を見ない、王と王妃の離婚裁判が繰り広げられる場になろうとは。

 

 

 

 

 主席裁判官の裁判長が着席すると、左右の裁判官、原告席、被告席、傍聴席の人々も腰を下ろした。

 

 被告席側に座るライディア・ルアナ・ホーヴァルト王妃は、座った直後、誰にも気付かれない溜息を、そっとついた。



(あ、やっぱり緊張してるのね……)



 自分のついた溜息で、それを悟る。



(………何回来ても、慣れないな)




 今日もたくさんの人々が来ている傍聴席はあまり見ないように心がけてはいたのだが、なかなかうまくは行かないものだ。


 そもそもが、ライディアは元々、大勢の人の前に立つことは苦手なのだ。


 それを知っていて、支えてくれていた人物の想い出を思い出した。



(私の緊張を見抜くと、黙っていつも、手を握ってくれたっけ………)



 こんな状況なのに、そんなことを思い出すなんて情けないって言われそうだな、とライディアは自省した。

 

 そして、対岸の原告席に座っているその当人である、ヴァイナンド・エガース・ホーヴァルト国王をちらっと見た。


 デビュタントで『僕が付いているから大丈夫だよ』と、優しく手を握ってくれた頼りがいのある自信に満ちあふれた横顔を、昨日のことのように覚えていた。

 

 人前ではあがってしまって頬が赤くなる癖も、言葉が出なくなる不安も、ライディアはすべて鍛錬し克服してきた。

 小さい頃からずっと、将来王となるヴァイナンドのために、今までは耐えてきたのだ。


 その彼は目の前にいるのに、今はあまりにも遠かった。




 ヴァイナンドは無表情で、だんまりを決め込んだ顔た。

 初めて法廷で会ったときから、ヴァイナンドは感情をすべて捨てたような、この顔をしていた。



(相変わらずのあの表情は、何があっても、自分からは絶対に口を開かない顔ね)



 昔から見てきたので、ライディアは分かっていた。


 ヴァイナンドは、細身でまだ少年の様な体躯に、艶やかで軽く流れるような青みがかった銀髪、夏の濃く高い青空のように澄んだ空の色の瞳を持ち、人好きのする整った顔立ちが人目を引く、爽やかな外見の持ち主だった。

 けれど、その外見とは裏腹に、意外と頑固な性格なのだ。

 

 事実、法廷ではヴァイナンドは一言も発せず表情をも変えず、いつもその時間だけ、ただそこに始まりから終わりまで座っているだけだった。



(いつまで、あの顔をなさっているのかしら)



 ヴァイナンドの笑顔が恋しかった。

 物心ついた時からいつも一緒にいて、その笑顔で心までも暖かく包んでくれた一つ年上の王子様。

 お互いに苦しい王太子教育と妃教育を乗り越えよう、と笑い合ったこともあった。


 屈託なく笑う笑顔が大好きだったのに、前国王の崩御を受け衰退の一途を辿っているようなこの国の王位を三年前に継承してから、小さい頃から変わらない心からの笑顔を見る機会は減っていった。

 

 今となっては笑顔さえ、見られなくなって二ヶ月経とうとしている。

 無表情の顔しか、見ていないということなのだ。



(………ああ。………そう、なのね………)



 急に身体の力が抜けたように感じ、ライディアは一気に暗い感情に支配された。


 今更ながらあることに思い至って、気付きたくないことを気付かされてしまったのだ。


 ―――ヴァイナンドの笑顔はもう二度と見られないのだ、ということに。



 離婚するということは、これから先、《ヴァイナンドがライディアに、笑いかけることはない》ということなのだ。


 そして、ヴァイナンドが笑顔を向けることになるのは、“ライディア以外の“女性なのだ。


 その相手は―――この離婚裁判の原因となった人。

 

 ヴァイナンドが連れ帰った、隣国の皇女、なのだ。



 







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