ひと晩だけの楽園
「なんだここ……?」
悠真が思わずつぶやいた。
放浪団が迷い込んだのは、霧の森を抜けた先にあった、地図にない街。きらめく噴水、整備された石畳、どこまでも続くおとぎ話のような景色。
人々は笑い、歌い、昼も夜も祭のように明るい。
「お客様ですか? ようこそ、セレリスの街へ」
赤毛の女性が手を取り、にっこりと笑う。
「ここは旅人の楽園。疲れた心を癒す、夢の街です」
その夜、街は光に包まれていた。
「これ……本当に夢じゃないの?」
セラがぽつりと言う。彼女は猫耳を揺らしながら、小さな魔導書店で子供たちに読み聞かせをしていた。
「みんな……私のこと、怖がらないのね」
目の色も、耳も、魔力も、忌避の対象だった。でもここでは誰も気にしない。むしろ「すごい!」「素敵な魔法使い!」と子供たちに囲まれていた。
セラは笑いながらも、胸の奥でざらつく感情を押し込めていた。
「もし……ここが本当の居場所なら……」
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バスは鍛冶屋にいた。
「……ここ、全部自由に使っていいってさ。夢みたいだな」
目の前には、失われたはずのふるさとの炉と同じ設計の炉があった。
「記憶が戻る前の……俺の技術、手が勝手に動くんだ」
彼はふいに火を止める。
「でも……ここにずっといたら、仲間と旅する理由、忘れちまいそうだ」
フィリエルは、空を飛んでいた。
黒い翼を広げ、風を切って飛ぶ。かつて空を恐れた彼女が、笑っていた。
「気持ちいい……これが、わたしの……」
小高い塔の上に立ち、誰かの歌声に耳を澄ます。
「この街では、誰も堕天なんて言わないのね。……戻れるなら、空に」
ふと、誰かが言った言葉がよみがえる。
──翼がなくても、空は見える。
「……それでも、地を歩くことを選ぶって、言ったのに」
ザイドは、酒場で「王子様」と呼ばれながら子どもたちに囲まれていた。
「王子様って、なにしてたの?」
「国を守ったり、仲間と旅したり……」
「うそー! 旅人じゃん!」
「はは、そうだな。もう元王子だしな」
けれど、夜が更けるにつれ、街の空気がどこか歪み始めた。
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「なあ、悠真。なんか……変じゃないか?」
広場に集まった放浪団の面々。誰もが楽園に少しずつ疑念を抱き始めていた。
「夢みたいに都合が良すぎる。ここって……本当に現実なのか?」
そのとき、彼らの前に現れたのは、黒いフードの人物だった。
「ようこそ、願いの牢獄へ」
「牢獄?」
「この街は、失ったものを与える代わりに、前に進む力を奪う。現実を忘れるほどにね」
声は人のようで、人ではない。
「さあ、選べ。望みに留まるか、痛みと共に歩むか」
「バカかよ!」
ザイドが吼えた。
「こんなもん……全部幻想だ! 俺はもう、涙も、王族の肩書きも捨てた! 今さら居場所なんて、欲しくねぇよ!」
セラが、魔導書を投げ捨てた。
「誰かに褒められたいだけなら、魔法なんてもう使わない!」
フィリエルが、翼を折り畳んだ。
「空じゃなくて、地面に誰かがいてくれるから、私は歩ける!」
バスが、真っ赤に焼けた鉄を素手で掴みながら叫んだ。
「俺が鍛えたいのは剣じゃねぇ、今を生きる力だ!」
そして悠真が、仲間を見渡す。
「……俺は、ここにいたいと思った。でも、それ以上に、お前たちと行きたいと思った。だから──」
彼らは手を取り合い、セレリスの街を抜けてゆく。
その背後で、あの街は静かに、霧へと溶けて消えた。
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夜が明け、現実の朝がやってきた。
「……なんだったんだ、あの街は」
バスがつぶやく。
「まぼろし、でも確かに……本当の気持ちを見せてくれたわね」
セラが言う。
「翼を失っても、歩けるんだって……もう一度、思えた」
フィリエルが微笑む。
「過去は過去。俺は今、仲間といる。それで十分だ」
ザイドも頷いた。
悠真は、空を見上げて思う。
──それぞれの願いが、強さの源になる。
それを確かめた一晩だった。




