異世界、徒歩で
目を覚ましたとき、榊悠真は草の匂いに包まれていた。
「……え、なにここ。公園? いや、森?」
見上げれば青空、そして見知らぬ木々がざわめいている。周囲に誰もいない。足元にはリュックと、いつのまにか着せられていた見慣れない服。なんというか、中世ファンタジーの村人風コーデ。ださ……いや、意外と動きやすい。
「うん、これは……夢だな」
バシッと自分の頬を叩く。
痛い。超痛い。リアルだ。
「……マジかよ」
榊悠真、17歳。高校2年生。特に特技もなければ、目立った成績もない、いわゆるモブ系男子である。そんな彼が、気がついたら異世界っぽい場所に転がっていた。
「転移ってやつか? ある日突然、異世界に召喚されるアレ……?」
何かの冗談だろうと思いたいが、手元のスマホは「圏外」表示のまま、画面がバグっている。SNSもニュースもつながらない。ゲームも起動しない。唯一残った機能は、カメラとメモ帳とライトくらい。
「せめてチュートリアルとか、なんかNPC出てこいよ……!」
嘆いても仕方ない。まずは状況を把握しようと、悠真は腰のリュックを開いた。
中には、パン、干し肉、水筒、そして地図らしき羊皮紙が一枚。
「……なんでこんな装備だけ用意されてるんだよ。俺、何者なん?」
羊皮紙には、手書きのような文字で「ハジマリの森」と書かれていた。マジで『はじまりの森』って名前かよ、と内心ツッコミながら、悠真は草むらを抜けて歩き始める。
しばらくして、小道を抜けた先に、小さな町が見えてきた。
「あれが、最初の町……みたいな感じか」
瓦屋根と石造りの建物が並ぶその町は、どこか絵本から抜け出したような景色だった。人々は道を行き交い、農具を運び、叫び声も笑い声も聞こえてくる。牛車。井戸。鳥のさえずり。魔法っぽい要素はまだ見えない。
町の入り口に立つと、門番らしき男が声をかけてきた。
「おや? お前さん、旅人か? 見ねぇ顔だな」
「えっと、まぁ……はい。ちょっと、流れてきたというか」
「流れてきたぁ? ま、悪人面じゃねぇし、通してやる。ようこそ、《グランム町》へ!」
異世界的お約束の地名に、ちょっとテンションが上がる。
中に入ると、思っていた以上に賑わっていた。露店が軒を連ね、香辛料の香りが漂う。子供たちが走り回り、商人らしき人が大声を張り上げていた。
(なんか、普通に……住んでる人たちの生活って感じだな)
が、悠真の気分は浮かない。
「それで……これからどうすればいいんだ?」
異世界に転移しました、はい冒険してレベルアップして魔王を倒しましょう、みたいな展開を期待していたわけではない。むしろ、「何も与えられてない感」がすごい。スキルなし、ステータスなし、仲間もなし。そもそも職業すら割り当てられていない。
「つまり俺……無職ってことか。異世界でも」
ため息をつきながら、適当なベンチに腰を下ろす。
すると、隣に小さな影がぴょこんと飛び乗った。
「のいっ!」
「……のい?」
見れば、ふわふわとした毛玉のような小動物。ハムスターよりひとまわり大きく、丸くて柔らかそうな体に、くるくる動く目。背中に小さな羽のようなものがついている。
「な、なんだお前……ポ◯モンか?」
「ノイ〜」
ぴょん、と悠真の膝に乗ってくる。
「ちょ、なついてんのか?」
「ノイ!」
気がつけば、町の子どもたちがあわてて走ってくる。
「あっ、ノイがまた逃げたー!」
「きゃー! そこのお兄ちゃん、捕まえてー!」
「お、おう、こいつ……おまえらのペットか?」
「ううん、野生! でも町のマスコットなんだよー!」
(どっちだよ)
結局、ノイは悠真の肩に乗ったまま降りようとせず、そのまま子供たちは「また明日ー」と笑って帰っていった。
「……なんか、流れで俺が飼うことになりそうな気がするんだけど」
「ノイっ!」
そのとき、突然――
「きゃあああああっ!!」
悲鳴が上がった。露店の奥で、何かが暴れている。
「野盗よ!! 誰か、誰か助けてぇっ!!」
「マジかよ!? まさか第1話でイベント発生!?」
悠真が駆け寄ると、そこには粗末な革鎧に剣を持った三人組の男たち。商人を脅して荷物を奪っている。
「金目のものを出せやぁ! こっちは冒険者崩れの本物やぞ!!」
「こっちだって素人だっつーの!!」
思わず出たツッコミと同時に、ノイがピョンと跳ねて男たちの目の前に落ちた。
「なんじゃこいつ、毛玉?」
「……やべえ、モフモフが殺られる!!」
悠真が飛び出した。
「ノイ! 下がれって!」
けれど、次の瞬間――
「ノイっ!」
ノイが小さく鳴くと、地面が「ボンッ!」と爆発した。
男たちは派手に吹き飛び、地面に転がる。騒然とする人々。悠真は目を見開いた。
「お前……爆発すんの!?」
「ノ〜イ」
無邪気に尻尾をふるノイ。
その後、町の衛兵が到着し、野盗は連行されていった。悠真は事情を話し、感謝と軽い報酬を受け取った。
「おぉ、旅の者よ。恩人として、この宿泊券を!」
「……あ、ありがとうございます……?」
その夜、安宿の小部屋で、悠真はベッドに寝転がる。
(戦ったってわけじゃないけど……なんか、役に立った……のか?)
横には、すっかり自分の枕を占領して眠るノイ。
「ま、いいか。今日はとりあえず、生き残ったってことで」
異世界転移、初日。何の導きもなく、スキルも職業もない少年は、ふわふわの相棒とともに、ひとまず、はじまりを迎えた。
だがまだ、彼も知らない。
この毛玉が、世界の命運を握っていることなど――