ラウンド3:もし現代に勇者が現れたら?
(対談会場は次第に熱気を帯び、客席もざわめいている。あすかが立ち上がり、場内に向かって声をかける)
あすか:
ここで少し、会場にお越しの皆さんからご質問を受け付けたいと思います。
せっかく時代を超えて4人の偉人が集まっているのですから、今の私たちの視点からも問いかけてみましょう。
どなたか、ございますか?
(若い観客が手を挙げる。スーツ姿の女性、20代後半。声には少し緊張が混じる)
観客(女性):
あの……現代に、正義のために立ち上がった人が、今の情勢を動かそうとしたり、再生しようとしているにも関わらず、SNSで炎上したり、バッシングされたりしているのを見ると、すごく悲しくなります。
皆さんの時代だったら、“勇者”として讃えられたはずなのに……
今の時代に勇者って、本当に存在できるんでしょうか?
(客席が静まり返る。あすかは優しく微笑み、観客に礼を述べる)
あすか:
ありがとうございます。
非常に切実で、まさにこのラウンドの核心にふれる問いです。
それでは――皆さん、お答えいただけますか?
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ジャンヌの回答:勇者は光になる覚悟を問われる
ジャンヌ(まっすぐに観客の目を見て):
あなたの気持ち、よく分かります。
私も、当時は“聖なる乙女”だと言われていたのに、捕まった瞬間、“異端者”だと罵られました。
民衆の目は、風のように変わる。
でも、それでも勇者は――その風の中で、光であり続けようとする存在です。
バッシングがあるから勇者になれないんじゃない。
それでも立つ覚悟があるから、勇者なんです。
(観客席の女性が静かにうなずく。拍手がパラパラと起きる)
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義経の回答:現代には“見えにくい勇”がある
義経:
現代の“戦”は、我々の時代とは違って、剣を交えるものではない。
だが、私は思います――
己の信じる道を貫こうとする者は、皆“勇者”たりうる。
たとえば、誰かの痛みに寄り添い、誹謗中傷に立ち向かいながらもなお、その人を守るために声を上げる人。
それは、確かに“戦”です。
……たとえ世がそれを理解しなくとも、私はそういう人々に“勇”を見ます。
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老子の回答:本当の勇者は、静かに世を変える者
老子(目を細めながら、静かに):
真の勇とは、表には出ぬもの。
声を荒げず、争わずして、世を変える力。
それは今の世にこそ、必要とされておるのです。
SNSのように、すべてが可視化される時代では、静かに“正しさ”を貫くことは難しい。
されど…流れに逆らわず、芯を通す者は、いずれ大河の方向をも変える。
見えぬ勇こそ、真の勇なり。
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マキャヴェリの回答:勇者は存在できる、ただし…
マキャヴェリ(やや笑いを含んで):
存在できます。ただし、“その覚悟”があるならば。
今の時代、民衆の目は24時間監視カメラのようなものです。
勇者が神聖でいられる時間は、ほんの一瞬。
そのあとは引きずり下ろされ、切り刻まれ、消費される。
…つまり、現代に勇者が現れるには、絶対的な“覚悟と戦略”が必要だということです。
“純粋さ”だけでは、今の世界では食い尽くされてしまう。
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(客席は静まりつつも、どこか深い共感とため息が広がっている。あすかが進行へと戻る)
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本題:もし現代に勇者が現れたら?
あすか:
それでは本題へ入りましょう。
もし、皆さんのような“勇者”が現代社会に現れたら――
メディア、SNS、政治、経済といった今の構造の中で、人々はどう反応し、その勇者はどう振る舞うべきなのでしょうか?
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義経:今こそ“目立たぬ勇”の時代
義経:
……私は、現代では、むしろ“目立たぬ勇”の方が真の力を持つと思います。
武勇や派手な行動ではなく、地道な行動、黙って支える者こそが勇者となる時代。
今の世では、義経のように剣を抜けば、すぐに“危険人物”とされるでしょうから。
マキャヴェリ(クスッと笑う):
その通り。だから、今の勇者には“剣”ではなく、“言葉”と“戦略”が必要です。
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ジャンヌ:炎の中でも光であれ
ジャンヌ:
私は、それでも“炎の中に立つ勇者”を、必要としている人がいると思います。
炎上しようと、罵られようと、
それでも「ここに私はいる」と言える人。
見捨てられた人の側に立ち、声を上げるその姿が、次の勇気を生む。
勇者とは、“燃やされても光り続ける存在”であるべきです。
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老子:勇者は無形の存在になれ
老子:
勇者は、もはや名も顔も持たぬ存在になるべきかもしれぬ。
匿名で、名誉も名声も求めず、それでも正しきことを行う者たち。
現代では、そのような“無名の勇”が、最も力を持つ。
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マキャヴェリ:勇者を「管理」せよ
マキャヴェリ(ややニヤリと):
そして、国家や為政者は、そうした勇者を放っておいてはいけない。
賢い為政者なら、勇者を“敵”にせず、“祭り上げ”て管理するべきです。
……人は勇者を愛し、同時に恐れる。それを政治は理解しなければならない。
ジャンヌ(苦く笑う):
そして、その“祭り上げ”のあと、不要になったら……また火をつけるのね。
マキャヴェリ:
その通り。だから、勇者自身も、“燃やされる覚悟”が必要だ。
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あすかの締めと次章への布石
あすか(ゆっくりと):
ありがとうございました。
現代に勇者が現れるとは、ただ“ヒーロー”になることではない。
時代の流れ、民の感情、そして情報の嵐の中で、何を信じ、どう立ち続けるか。
今の私たちにとって、それは“自分の中の勇”と向き合う問いなのかもしれません。
(対談者たちがそれぞれに深くうなずく)
あすか:
それでは、最後の締めくくりとなるエピローグへ進みましょう――
この対談を通じて、私たちはどんな答えを得たのでしょうか。
(照明が少し落ち、舞台の空気が次なる静謐な幕へと移り変わっていく…はずなのに…)