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ラウンド2:民が求めるのは“本物の勇者”か、“幻想の英雄”か?

(円卓の中心にわずかに灯が差し、4人の顔がやわらかく照らされる。あすかが手元のカードを軽くめくり、ゆっくりと語りかける)


あすか:

第2ラウンドのテーマは「民が求めるのは“本物の勇者”か、“幻想の英雄”か?」です。


歴史の中で名を残した“勇者”たちは、すべてが真実の姿だったわけではありません。

民は、時に都合の良い英雄像を創り上げ、崇め、そして……捨てる。

では、皆さんは、民が本当に望んでいるのはどちらだとお考えですか?



---


マキャヴェリの視点:英雄は幻想でよい


マキャヴェリ(迷いなく語り出す):

民が求めているのは、現実ではなく、安心できる物語です。

民は混乱を嫌い、不安に怯える。だからこそ、君主には“理想的な勇者像”を演じることが求められる。


義経:(やや眉をひそめ)

……演じる、ですか?


マキャヴェリ(頷きながら):

そう。勇者という役割は演技であっても構わない。それで民が安心し、秩序が保たれるなら。

現実の力よりも、“それっぽく見せること”のほうが、政治においては効果的です。


ジャンヌ(目を見開き、鋭く反論):

あなたは……人の命を、ただの演出で操れると?

私は現実に剣を持ち、血を流した。命をかけて民の前に立った。

それが幻想だったと、あなたは言うのですか!?


マキャヴェリ(静かにだが挑発的に):

私は、あなたが“幻想として扱われた”と言っているのです。

あなたがどれだけ現実を生きようとも、後世のフランスはあなたを聖女として祭り上げた。

本物であるかどうかは重要ではない。民が何を“信じたかったか”がすべてだ。



---


ジャンヌの視点:本物こそが救う


ジャンヌ(手を握りしめて):

……違います。

私は“信じたかったから”戦ったんじゃない。神が語ったから、ただ、それに従った。

幻想じゃない。私は現実にいたし、焼かれたその時も、祈りを捨てなかった。


(声がわずかに震え、場の空気が張り詰める)


老子(やさしく語りかけるように):

ジャンヌよ……その信は、疑うべくもない。

だが、民は、おぬしの信よりも、おぬしの“物語”を愛したのだ。

それが“幻想”かどうかは、実のところ、民にとってはどうでもよいのかもしれぬ。



---


義経の視点:真実と幻想の境界に立つ者


あすか(少し息をのみながら):

義経さん……今のお話を聞いて、どう思われましたか?


義経(ゆっくり言葉を選びながら):

……私は生きているとき、“源氏の若き英雄”として多くの者に讃えられた。

だが、追われ、逃げ、最期は人知れず果てた。

死して初めて、“悲劇の勇者”として語られるようになった。

つまり、私は“幻想にされた”のだ。


マキャヴェリ(満足げに):

……あなたは、まさに私が語っている“象徴”そのものですね。


義経:(マキャヴェリを見つめたまま)

だが、私はそれでも、本物であろうとした。

剣も、信義も、命も、すべてを真に捧げた。その思いは、誰にも“作られた幻想”ではない。


ジャンヌ:(力強く)

そう……! 本物であることは、たとえ忘れられても、誰かの心に種を残す。

その種がやがて“希望”になるのです。



---


老子の視点:幻想もまた流れの一部


老子:(ふと、静かに手を上げて)

では、問います。

“本物”とは何ぞや? “幻想”とは何ぞや?

人の記憶とは、移ろいゆく雲のごとし。

昨日の勇者が、今日は暴君とされ、明日は神となる。

それを思えば、民の願いそのものが、真実であり幻想でもある。


あすか:(思わず呟くように)

……真実と幻想を分けるのは、民の“都合”ということですか?


老子:

“都合”ではない、“心の揺らぎ”です。

そして、その揺らぎを止めようとする者こそ、争いの火種を生む。



---


感情の余韻と次の問いへ


(しばし、誰も口を開かない。空気は張り詰め、だがどこか尊い静寂が円卓を包んでいる)


あすか:(ゆっくりと深呼吸し、皆を見回す)

皆さん、本当にありがとうございました。

“勇者”という存在が、現実と幻想の間を揺れ動くものだということが、ひしひしと伝わってきました。

それでも……誰かが立ち上がる姿に、人は意味を見出すのかもしれません。


(ジャンヌがゆっくりと目を閉じ、義経は静かにうなずく。マキャヴェリは何かを呑み込むように目を伏せ、老子はただ静かに微笑む)


あすか:(言葉に重みを込めて)

次のラウンドでは、この問いをさらに一歩進めます。

「現代に“勇者”が現れたら、私たちはどう受け止めるのか?」

SNS、メディア、国際政治――時代が変わった今、それでも勇者は必要とされるのでしょうか?


(静かに照明が落ちていく。感情の余韻が、まだ場に漂っている)

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― 新着の感想 ―
 所詮は勇者も世の中に安定を齎すための道具。現実に対する役目を終えた後は身を隠し幻想と化すのが世の安定のためでしょうね。  というわけで、勇者とは時代の道標であり、その概念の憑依した存在であると私は考…
マキャヴェリさんの言うことはごもっともですよね。 勇者という役割演技、ロールプレイってやつですね。 でも老子さんはちょい相対主義がいきすぎかなって。 それはそれで、必要な思考だとは思いますけれども。
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