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運命の風が吹く

「お目に掛かれて光栄でございます、アーセリオン国王陛下。アルストリア王国第一王女フィア・デ・ローゼントールと申します」


 アルストリアの至宝ではなく、ガラクタが届いたと知った王は、どう反応するのだろう。

 顔を伏せ目を閉じて、言葉を待つ。返事がないまま気配だけでロウや扉を開いた従者が外へと出ていくのがわかった。彼らの気配が消えて空気の動きが止んだ後、低い声が「顔を上げよ」と命じた。豊かな響きは言われるままに従ってしまいたくなるような威圧感に満ちていたが、フィアは堪えてあえてゆっくりと面を上げていく。

 そして二人は、二人きり正面に相対した。


「余がアーセリオン国王、サイラス・ヴァーモントである」


 朗々とした声が傲然とそう名乗る。初めて目にするアーセリオンの人喰い王は、確かに恐ろしい相貌をしていた。

 黒い髪、底しれぬ暗闇のような深い黒色の鋭い瞳。顔の左側には額から頬骨にかけて惨い傷跡が残っていた。騎士であったフィアには、それが長剣でばっさりと斬り付けられた痕跡だとすぐに分かる。酷い傷だ、目が潰れなかったのは奇跡的なように思える。

 人種が違うと歳の頃がよく分からない。三十と聞いていたが、もっと上のようにも思ったより若いようにも見えた。

 そして、椅子に掛けていてなお十分に有り余る上背、その体躯。そして威圧感。

 いかにも傲岸不遜な、けれど驕った風ではなく確固たる自信を湛えたその容貌は、美丈夫と呼んで差し支えないものだった。


(な、んだ……この男)


 近衛騎士長のロウも背の高い男だったが、おそらくそれを凌ぐ。実用的なブーツに包まれた長い脚を無造作に投げ出すように座るのは、その長さを持て余しているからとでも言わんばかりだ。

 アーセリオンには大柄な人間が多いと聞いてはいたが、それでも平均を大きく超えているのではないだろうか。流石は国を率いる王の堂々たる様というべきなのだろうか。

 一瞬、甲冑かと見まごうほどの深い艶を帯びた革の胴当てを身につけ、その身の丈に合う長剣を帯びている。狼のものと思われる毛皮を肩に飾った黒く長い外套には、長く屋外で実用されてきたと思しき痕跡があった。つまり、斬られたり血で汚れたりした痕である。

 尊大なその眼差しと目が合うと暗闇に囚われたように視線が逸らせない。横たわる沈黙には色々な意味が読み取れたが、フィアはどれほど圧倒されても自ら目を逸らすことだけはすまいと決死の胆力で彼を見返した。

 やがて静寂を破るように、低く鋭い声が投げかけられる。


「食事をしていないというのは本当か?」


 思いがけない不意の問いにフィアは一瞬動揺したものの、それを表情に出すことなく小さく微笑む。ぎこちなくなってなるものかと意地で表情をつくった。


「いいえ、過分な食事を頂いております」


 けれど、その答えにサイラスの鋭い眼差しは微動だにしない。重圧を感じつつも、フィアは視線を外すことなく耐えた。サイラスはまたしばし無言のまま彼女を見つめていたが、やがて椅子から立ち上がった。

 ぐう、と上に上に位置高く動いて行くサイラスの顔をフィアは無意識に追い掛ける。執務机を挟んだ距離にいても分かる。


(……!)


 フィア自身がエリンやミラを見る時のように、頭一つ上からの視線が投げかけられる。

 そして彼はフィアの前に立った。

 父や兄ともほぼ変わらぬ丈のフィアにとって、己を遥かに超える上背の男にこんな風に近い距離からぎろりと睨み下ろされる経験は殆ど初めてのことで、気を張っていたはずがどうしても、僅かに怯んだ。


(……怖い)


 それを知ってか知らずか、サイラスは無造作にフィアの脇を通り抜ける。ばさりと長い外套が空気を孕んで音を立てる。


「来い」


 抗う余地の許されていない短い命令が下された。

 サイラスは迷いなく扉へ向かい、自ら開け放つと廊下へと出ていく。


「陛下、どちらへ向かわれるのですか?」


 部屋の外に控えていた近衛騎士長のロウが短く問いかけるが、サイラスは振り返りもせずに片手を振るだけで無言のまま歩みを進める。ロウの他にも従者が数名さっと影のように後ろに付き従った。その彼らに向けて、ただし目をやることもなくサイラスは命じる。


「馬を出せ。昼食の用意を持て」


 驚きと戸惑いが混じるロウの表情を横目に、従者たちは命に従い慌ただしく動き出す。

 動揺を押し隠しつつサイラスの背を追ってフィアも城の出入り口までやってきた。そこにはすでにひと目見ただけで国王の騎馬とわかる黒い馬が引き出されている。


(なんて見事な馬……!)


 鞍のつくりもだが、何より馬の質が違う。アルストリア産の馬は優美さで知られるが、この黒馬は周囲の馬に比べても筋骨隆々で鎧を纏った兵士を乗せるために生まれてきたかのようだ。

 王の騎馬以外にも、従者たちのための力強い脚を持つ馬たちが準備されている。サイラスはひらりと軽く黒馬に跨ると、傍らで困惑しているフィアに向けて素早く手を伸ばし、そして何の前触れもなく軽々とその体を掬い取って馬上へ引き上げる。

 いきなり横抱きにされて馬の背に座らされ、これには流石にフィアも声をあげた。


「陛下、何を――!」

「黙れ」


 短く命じると同時に、サイラスは手綱を握り馬を走らせた。鋭い嘶きと共に馬が飛び出し、風が二人の髪を乱す。城門を抜け、大通りを一気に駆け抜けて大きく右手に回り込むと、視界の先に森が広がり始める。

 騎馬には慣れているフィアだが、こんな風に誰かの腕に抱かれて横座りで乗ったことなど一度もない。サイラスの両腕にしっかりと支えられているものの自身で騎乗しているときの安定感とは程遠く、黒馬の速度も相俟って落馬の不安に襲われる。思わずサイラスの胸にすがりついた。


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