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出立

 重々しい沈黙が漂う中、フィア・デ・ローゼントールはかつてなく華やいだ衣装に身を包み、城の外へと進み出た。

 国王の見送りはない。王妃はバルコニーから見下ろしている。唯一、マリエンナだけが姉の出立を聞いて降りてきていた。彼女が来たお陰で、一部の重臣と侍従、侍女だけが並ぶ人の列が一気に華やぐ。

 柔らかな金色の巻き毛を揺らし、夢見るような青い瞳でフィアを見上げて妹は首を傾げた。


「いつ戻っていらっしゃるの?」

「残念ながらそれは分かりません」

「それでは、わたくし寂しいわ。お姉様がいなければ、大事な花籠を誰に持っていただけば良いの?」


 マリエンナは今年で十九になるが、誰もが蝶よ花よと愛でて大切に大切に扱ってきた結果、こんな風に世を知らず幼いところがあった。小さくて可愛らしい容姿と合わさって、彼女を十九と見る者はほとんどいないだろう。永遠に十四、五のまま生きていくのではないかと思わせるような趣きが彼女にはあった。

 砂糖菓子を溶かすような妹の甘い囀りにフィアは笑みを作って、言い聞かせるように告げる。


「ロイセルダム騎士団の団長の任は、副団長であった者に引き継ぎました。いつも、私と共に護衛をしていた者ですから、マリエンナもよくご存知でしょう?」

「それでもわたくし、寂しいわ。早く戻っていらしてね」


 彼女が祈るように胸元で握った人形めいた愛らしい手にきゅっと力がこもるのがわかった。

 フィアが自分の一存では戻ることの出来ない場所へ赴くことを――あるいはそれが死地でさえあり得ることを、きっとマリエンナは理解できないに違いない。


「行ってまいります」


 物悲しさを感じつつ、フィアは別れの挨拶を済ませると待機していた馬車に乗り込んだ。

 護衛と称して馬車を囲むように馬を並べたのは、城を襲撃してきたばかりのアーセリオン兵たち。赤地に黒い剣の紋章が刻まれた旗が無言の威圧を放ち、見送りの者たちの表情をさらに曇らせる。

 静かに乗り込んだ主人の後を追い、侍女エリンが馬車に足を踏み入れる。

 馬車の扉が閉ざされると、外の小さなざわめきも一気に薄れ、走り出せば微かに馬蹄の音が響くだけとなった。

 揺れる馬車の中、フィアは視線を前方へ向けたまま口を開いた。


「エリン、あなたがいてくれて本当に心強い。ありがとう」

「フィア様……。どうか、こんなお供しか出来ない不甲斐ない侍女をお許しくださいませ」


 エリンの声は震えていた。彼女は拳を膝に置き、その上で強く指を絡めていた。


「不甲斐ないだなんて。私がアーセリオンに向かうことになったのは、あなたのせいではない。むしろ、あなたがこうしてついてきてくれることでどれほど救われるか……」


 フィアの言葉にエリンはうっすらと涙を浮かべて首を横に振った。彼女は一昨日からずっと泣き通しだ。

 伯爵家の生まれである彼女が最低限の荷物だけを持って、供もなく戻れる宛てもない旅に出るのはどれほど恐ろしいことだろう。


「もし、エメリック様がいてくださったら。せめてもっと近くにいてくださったら。連絡を取る術があれば……こんなことにはならなかったのではないかと、どうしてもそう思えてならないのです」


 フィアは嘆くエリンの視線を受け止めて軽く息を吐いた。その青い瞳に浮かぶ思いは複雑だが、毅然と首を振る。


「兄上は南方で難しい状況に向き合われている。今回アーセリオンが動いたことで、帝国がどう反応するか…。アーセリオンをもしも私一人の身で贖えるなら安い買い物だ」

「そんなこと仰らないでくださいませ。王太子殿下ならば、グランヴィスカ帝国を跳ね除けて、アーセリオンをも焼き尽くしてフィア様をお救いくださいます」


 無茶なことを言っているというのはエリン自身もわかっているのだろう、震える声で祈るように口にする彼女の手を優しく握って、フィアは「嘆いても仕方ない」と囁いた。

 彼女の瞳は窓の外へと向けられる。王都ヴェルナールの街並みがゆっくりと遠ざかっていく。次第に荒涼とした野原が広がり、窓越しにも冷たい風が吹いていることが伝わってくる。


(アーセリオン……どんな扱いを受けることになるだろう……)


 想像するだけで心はざわついた。それでも、この地で持たざる自分が遠い土地に行ったとて何が変わるでもあるまい。――そんなことを思いながら、フィアは少しずつ遠ざかる故国の地平を見つめ続けていた。


 † † †


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