グレイ・ロウ近衛騎士長の内心 01
アーセリオン王の居城ローク城の中枢に位置する政務室は、普段と変わらぬ静寂に包まれていた。
分厚い書類の束が机上に積まれ、燭台の炎が微かに揺れる。豪奢ながら無駄を排した室内では、机に向かう男がペンを走らせる微かな音だけが響いている。その男——アーセリオン国王サイラス・ヴァーモントは報告書の束を一瞥し、手短に確認を終えると再び次の文書へと視線を落とした。
「ヴィラール城陥落の報せ、予定通りに届きました」
グレイ・ロウ近衛騎士長から報告を受けたサイラスは手を止めることもせず短く「そうか」とだけ応じる。その声色には一切の驚きも興奮もない。まるで侵攻そのものが日常の執務の一環であるかのようだった。
実際、その通りなのだ。彼の手の中では戦も和平も、最小限の労力で行われるべき政の手段に過ぎない。
ヴィラール陥落の報が届いてから一日、計画通りアルストリアへ講和が持ちかけた結果の報せが続いて届く。
アーセリオンの強大な圧力の前に、アルストリアが残された選択肢から選び取ったのは——
「第一王女を差し出す、とのこと」
その報せを読んだロウ近衛騎士長は眉をひそめる。
「それでよろしかったのですか?」
不服を含んだ声が、政務室の空気を一瞬張り詰めさせる。
広く知られたアルストリアの至宝と呼ばれる第二王女でなく、無名に等しい第一王女を寄越すとは。
「第一王女の評価は風の噂にも届かぬほどです。一応は騎士団の団長位にあるとか」
サイラスは漆黒の瞳をロウへと向けた。その視線は何一つ揺るがない。
「噂など何の役にも立たん」
書類の束を軽くめくりながら答えるサイラスの声音には冷めた響きがあった。彼にとって、どの王女が来ようと問題ではなかったのかもしれない。
第一王女——フィア・デ・ローゼントール。その名声は高くない。国の至宝とまで称えられる第二王女とは対照的な存在だった。
騎士団長という称号は持っているが、王族がこうした名誉職に就くことは大して珍しくはない。アルストリアの王太子は実際に軍を率いて南方の国境で帝国と対峙していると聞くが、王女が騎士団長を名乗ったところで、どうせお飾りに過ぎないだろう。
ともかく王が彼女を受け入れると決めたのなら、それに従うほかない。
ロウは一礼し、静かにその場を辞した。
政務室を後にした彼の眉間には、深い皺が寄っていた。
ところが——
先発して戻った騎士団の者たちは、口々に「第一王女はなかなか見どころのある人物だった」と話していた。
ロウはその様子を耳にし、内心で呆れながら鼻を鳴らした。外交の場にも現れぬような無名の王女に何を期待するというのか。
箱入りの王女が騎士団を率いるほどの才覚を持っているとは到底思えず、所詮は形式的な肩書きに過ぎないはずだった。
しかしそんな考えが覆るのは、そう遠いことではなかった。
アーセリオン王の居城——ローク城。
ヴィラール城を陥落させた騎士団の護衛を伴い、城門へと到着した馬車が、ゆっくりとその扉を開く。
そしてアルストリア第一王女フィア・デ・ローゼントールが、静かに降り立った。
陽光に照らされた赤い髪、そして赤いドレス。
その立ち姿は、まるで一本の鋭く研がれた剣のようだった。
ロウは、その瞬間、自分が動揺しているのをはっきりと自覚した。生まれてこの方、女性を前に狼狽することなど一度もなかったはずの自分が——
その目に映る第一王女の姿に一瞬、言葉を失っていた。
アルストリアの王女フィアは、アーセリオンの旗を思わせる赤と黒のドレスを身にまとっていた。勿論、これは敢えての選択に違いない。一見するとこれから嫁ぐ国に対して媚びたとも取れるが、そういう意味にならずに済んでいるのは彼女がそのドレスを完璧に着こなしているからだった。
その色合いは、彼女の燃えるような赤い髪と、すらりとしたしなやかな肢体に驚くほどよく映えていた。華奢ではなく、肥えた様子もない。ひ弱さは感じさせない。むしろ、その立ち姿には若き青年騎士を彷彿とさせるような精悍ささえあった。
女性の美貌を称賛する言葉では捉えきれない。だが、それでも——いや、それゆえに——ロウは、彼女を美しいと思った。
騎士としての矜持を持ち続けてきたロウが、女性に見惚れるなどあり得ないことだった。それなのに、目の前の彼女の姿は戦場に剣を掲げて立つ戦士のような気高さと、凛々しさをまとっていた。
気づけば、ロウは数瞬の間絶句していた。
そんな自分に気付いて慌てて意識を引き締めると、深く息を吸い、王女を迎えに進み出た。
その動きを察したフィアの視線が、ロウをひたりと捉えた。その瞳の強さに、一瞬たじろぎそうになる。
だが、ロウは迎えを仰せつかった立場としてその目をまっすぐに見返す。
「アルストリア王女殿下。ようこそお越しくださいました。近衛騎士長、グレイ・ロウと申します。国王陛下の代理にてお迎えに参上いたしました」
静かに、しかし威厳を込めて言葉を紡ぎ一礼する。
ロウが名乗るとフィアもまたゆるやかに頷き、応じた。




