アーセリオンの騎士達から見た王女の話 前編
馬車の車輪がごつごつとした道を転がるたびに、車内に鈍い振動が響く。
アルストリアの王都ヴェルナールを発ち、アーセリオンへ向かう道中。荒れた未舗装の街道は王族の輿入れの花道に相応しいものとは言い難かった。
しかし、フィア・デ・ローゼントールは一切の不満を口にせず、静かに窓の外を眺めていた。
目に映るのは、ただただ続く灰褐色の道と低く広がる山の稜線。遥か遠くに見えるのは、国境を超えた先に広がるアーセリオンの領地。そして、フィアが向かうべき新たな居場所である。
都を発つまでのほんの二日の間に手配した最小限の荷物と共に、アーセリオンが用意した迎えの馬車に乗り込んだフィアは、たった一人の侍女——エリンだけを伴っていた。花嫁が王女であるということを考えれば、あまりにも簡素な旅支度だったが、自身の立場をよくわきまえている彼女は一言の文句も洩らさなかった。
馬車に同行するのは、アーセリオンの騎士が二十名ほど。彼らはアルストリア強襲を成した部隊でもあり、護衛と監視の意図を持って馬車を取り囲んでいる。
「——う……っ」
車内に苦しげなうめき声が響いた。
フィアは窓の外から視線を戻して隣に座るエリンを見やる。蒼白な顔で口元を押さえた彼女は、額に汗を浮かべ、揺れる馬車の振動に耐えかねたように身を震わせていた。
「エリン。大丈夫か」
「申し訳……ありません……少し……気分が……」
道が悪いため、馬車の揺れが激しいのだ。加えて強行軍による疲労も影響しているのだろう。
フィアはすぐに決断した。
「止めて下さい」
車窓から馬車を操る御者に声をかける。彼は肩越しにちらりとフィアを見て、すぐに手綱を引いた。
「止まるぞ!」
彼の声に応じて馬車の周囲を囲んでいた騎士たちも速度を落とし、馬を引き止めた。
荒野の中、隊が足を止める。
「どうなさいましたか」
馬車の外から声がかかり、フィアは「申し訳ありません。侍女が体調を崩しました」と率直に伝えた。するとすぐに踏み台が用意される音がして馬車の扉が開かれる。フィアは軽く頭をかがめて馬車を出た。
夕暮れの光が彼女の赤髪を照らす。彼女は毅然と騎士たちを見回した。
「休息を取らせてもらえないでしょうか」
静かな声だった。決して命令ではない。しかし、王族としての威厳を備えつつも、同行する敵国の騎士達を尊重する言葉だった。
騎士たちは馬を降りて、フィアをまっすぐ見つめた。
王族の輿入れといえば、本来はもっと大仰な行列と護衛を伴う豪奢なものと決まっている
。だが、この王女は違う。身軽な荷物、質素な行列、侍女も最小限。彼女の身分からすれば、全く足りないこの扱いは苦痛を伴う状況に違いないと推測できるのに、彼女は不満を覗かせることはない。
そして、何より彼らに対する態度に敵愾心も高慢なところも見られないことが、同行する騎士たちの心に僅かな変化をもたらしていた。
部隊長が馬を降り、前に進み出る。年長の部類に入る彼は、深い蒼の外套を翻しながら、フィアを見据えた。
「構いませんが、長くは止まれません。このあたりは野盗の類も出る。日が沈めば危険があります」
「承知しています。短い間で構いません」
フィアの言葉に、部隊長は頷いた。
数人の騎士が周囲を警戒し、他の者たちは馬に水をやりながら短い休息を取る。
フィアはふらついているエリンを手助けして彼女を馬車の外に連れ出すと、馬車の踏み台に座らせてやった。
「深呼吸をして気を落ち着かせるといい」
「……申し訳、ありません」
「謝らなくていい」
フィアは近くの騎士に声をかけて飲み水と布を貰うと、冷えた水を含ませた布でエリンの額に滲む脂汗を拭う。
「フィア様、お手を煩わせては……」
「いいから」
フィアはエリンを宥め、背中をさすってやる。しばらくすると青白かったエリンの顔色が徐々に戻ってきた。吐き気もおさまったというので、フィアはまた彼女を支えながら馬車の中に戻して座らせてやった。
そしてフィアは様子を見守っていた部隊長に向き直ると、「休憩感謝します」と告げて自身もまた座席へと戻っていった。騎士たちは、そんな様子を固唾をのんで見つめていた。
この王女は講和の条件としてアーセリオンに引き渡された。だが、自国を襲撃した明白な敵であるはずのこの部隊に属する彼らを敵視しない。礼節をわきまえ、王族としての矜持を持ちながらも高慢とは程遠い態度を示している。
——こんな王女が、アルストリアにいたのか。
彼らは皆一様に心のどこかで驚いていた。
「行くぞ」
部隊長の号令がかかり、騎士たちは再び馬へと跨った。短い休息の後、隊は再び動き出す。
しかし、その場にいた騎士たちの視線は、先ほどよりも僅かに柔らかくなっていた。
アルストリアからアーセリオンに至る旅路は長く、過酷な道のりであった。
アーセリオンの騎士たちは、初めこそ規則通りに進軍しようとしていたが、旅慣れぬ侍女の体調が優れないことを把握してからは、予定より遅れるのを承知でいくらか進行を緩めるようになった。休憩を多めにとり、急がせすぎて馬車の揺れが酷くならないよう気を配る。
その小さな変化を察したフィアは、ある休憩の折、騎士たちに歩み寄り、静かに言葉をかけた。
「——私の侍女のために、お気遣いいただいたこと有り難く思っています」
毅然とした声音ながら、そこには確かな感謝が滲んでいた。
騎士たちは一瞬、驚いたように視線を交わした。フィアは王族でありながら決して居丈高ではない。それでいて気品と誇りを失わない堂々とした佇まい。王族としての責務を理解し、民や部下を思いやる姿勢——これこそが王族たらんというような、立派な態度であった。
「……当然のことです」
誰ともなく応じた騎士の声に、フィアは小さく頷き、再び馬車へと戻っていった。
† † †




