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誓いの神は見届ける

 夜明けの冷たい光が差し込む室内で、フィアは静かに目を覚ました。

 まだ愛された余韻が体に残り、心地よい気だるさが全身を包んでいる。そんな彼女を抱き起こしたのは、サイラスだった。フィアがぼんやりと彼を見上げると、いつもより穏やかな表情を浮かべたまま、彼は何も言わず彼女の髪に手を差し込んだ。そして額にすばやく口づけられる。


「寝かせていてやりたいが、時間がない」


 その言葉とほぼ同時に、控えの間の扉の向こうから慌ただしくナディアが入ってくる。まだ明け方の時間帯だというのに彼女はフィアのための身支度の道具をすでに一抱え運んできていた。


「お時間がないのは陛下のせいでございましょう」


 彼女は険しい顔で寝台を出ていくサイラスを睨みつけながら、素早くフィアを立たせて夜着から着替えさせ始める。フィアは寝起きの気だるさも吹き飛ぶ忙しなさに思わず瞬いた。


「もっと早くご予定を立てて下さいましたら、きちんと準備ができましたのに。白いドレスをご用意する時間もないなんて信じられません」


 ナディアはぶつぶつと文句を言いながら、鏡台の前に座らせたフィアの髪を結い上げていく。フィアの赤い髪は、いつもエリンがしてくれていたような騎士に似合いのきつめの編み込みではなく、もっと優雅なアーセリオン風の髪型に整えられた。そこにいくつかの髪飾りが差し込まれて飾り立てられる。

 そして続けて彼女はフィアの顔に化粧を施す。控えめだが光を弾く真珠のような輝きの白粉をはたき、瞼には赤銅色の粉を、頬には淡い血色を差す。

 その手際の良さは見事だったが、フィアは状況が理解できず困惑するばかりだった。サイラスも出て行ってしまって、状況を聞ける相手はナディアしかいない。


「ナディア、いったいこれは…」


 問いかけるが、彼女は答えより先に手を止めることなく作業を続ける。唇に印象的な真紅を塗りつけ、じっとフィアを見つめた彼女はにこりと微笑んだ。

 それから仕上げに彼女が差し出したのは、フィアがアーセリオンに来た時に着た赤と黒のドレスだった。


「こちらをお召しになって下さいませ。ああもう…本当に……」


 ナディアはそう言って溜息をつきながらも、しっかりとドレスの紐を締めていく。ドレスに合わせた細いヒールの靴を履き、最後にもう一度、髪の形を整える。

 フィアの身支度が万事整ったその瞬間、まるで見計らっていたかのように扉が再び開かれてサイラスが姿を現した。フィアが着替える間に、彼も正装していた。黒と金を基調とした装束に身を包み、その威容は普段以上に威厳を持っていた。フィアは思わず見惚れて言葉を失う。そんなフィアを見下ろしてサイラスも満足げに微笑みながら言った。


「なるほど、これが我が国に嫁いだ妃の姿か。よく似合っている」


 彼の言葉に、フィアの頬が微かに染まる。だが、次の瞬間にはその感傷も吹き飛んだ。

 サイラスが何の前触れもなく彼女の体を抱き上げたのだ。

 驚く間もなく、サイラスは控えていたロウに向かって「馬を出せ」と短く命じた。


「どこへ……!?」


 混乱するフィアが尋ねると、サイラスは淡々と答える。


「厄介事を片付けに行く」


 それだけを告げると、彼はフィアを腕に抱いたまま城を出て、引き出されて準備を整えた立派な体躯の王騎へと向かう。ロウをはじめとする近衛兵たちは当然のように従い、馬を準備していた。


  「また、突然こんな……!」


 二人きりのときにどのようにその身を扱われようとも少しは慣れてきたフィアだったが、大勢の騎士達の前となるとやはり心持ちが違う。

 しかし文句を言う間もなく、フィアはサイラスの腕の中で馬上へと乗せられた。自分が長身で、男を見下ろす背丈だの、図体が大きい愚図だのと罵られていたのはついこの間までのことなのに、この国へ来てからのフィアときたらおとぎ話に出てくる羽より軽いお姫様のように、この王の腕に軽々と抱え上げられてばかりだ。


「しっかり掴まっていろ」


 そう言うやいなやサイラスは手綱を引き、王騎を駆けさせた。

 アーセリオンの王都を東へと一気に突き抜ける。忙しない王騎一行のただならぬ様子に街の人々が振り返り、驚きの視線を向けるのも気にせず彼らはひたすら進んだ。

 冷えた朝の空気に、馬たちの白い息が荒々しく吐き出される。王騎が疾走する中、サイラスの外套に包みこまれたフィアはそれでも顔に吹きつける冷たい風に身を縮めながら、サイラスの胸に寄り添う。


「一体どこへ向かっておられるのですか」


 返事はなかった。ただ、彼の腕はしっかりとフィアを守るように抱いていた。

 王騎をして数時間の道のりを息もつかせず走り抜けた王と近衛兵の一行は、昼下がりに小高い丘陵の上に立つ巨大な白い石造りの神殿へと到着した。流石のフィアも、それを見ればサイラスに聞いた話から察しがつく。


(今日、ここで――!?)


 壮麗な装飾を施された神殿は、その美しい柱が天高くそびえ立ち、長い歴史を感じさせた。長い階段を上がって、静寂に包まれた空間に一行が足を踏み入れると、慌ただしい様子の神官たちが駆け寄ってきた。


「前代未聞のことにて、ご用意がまだ……!」


 国王よりはるかに年嵩の神官が動揺しながら言い訳を述べるが、サイラスはそれを無視してフィアの手を取り神殿の奥へと進んでいった。フィアはここがどこだか理解はしても、これから何が行われるのかの予測がつかず、ただサイラスに導かれるまま歩を進めるしかなかった。

 フィアの手を引いたサイラスは、迷いなく神殿の奥へと足を進めていった。足音が高い天井に響き渡る中、戸惑いを隠せないフィアは彼の横顔を見上げる。


「陛下…まさか……」


 状況を問いたがる彼女に答えぬまま、サイラスは歩みを止めて、神像の下に据えた祭壇の正面に立つ神官長へと視線を向けた。年老いた神官長は深く息を整え、未だ困惑を滲ませながら抗議してくる。


「王よ、これはあまりにも突然にございます。我々は今朝方、急な知らせを受けて祭壇を整えるので精一杯でございました、とても儀式の十分な準備が出来たとは……」

「構わん。今ここで、誓約を交わす」


 その言葉に、周囲の神官たちがざわめく。フィアはサイラスを仰ぎ見た。誓約の神殿――やはり本当にここで、今日誓いを立てるつもりなのか。


「今すぐ婚姻の儀を?」


 流石にフィアの声が震える。それを受け止めるように、サイラスは彼女の手を強く握った。そして神官長を傲然と顎で促した。

 老いた神官長は致し方なしといった様子で頭を左右に振ると、荘厳な声で宣言する。


「誓約の神は、今ここに成される誓いを聞き届けたまえ」


 大きく声を張り上げたわけではなかったはずなのに、神の像の立つ広い空間にその言葉は響き渡った。困惑気味の神官達も速やかに威儀を正してそこに並び、神官長の言葉に頭を垂れる。

 そしてサイラスは神の像を見上げて宣言した。


「余はこの得難き伴侶に対し、生涯にわたり愛を注ぐことを誓う」


 朗々とした美声が神殿内に響き、フィアの鼓膜をも揺らした。その堂々たる誓いの言葉に息を飲む。得難き伴侶と呼ばれたことがフィアの胸を満たした。


「……私……」


 考える余裕もなく、突如として突きつけられた誓いの場。しかし、今ここで言うべき言葉はたった一つしかなかった。


「我が王に、我が身とこの命を捧げます」


 それは、かつて王女を守るために剣を取った騎士としての誓い。その言葉を口にした瞬間、フィアは胸の奥で、何かが確かに変わるのを感じた。

 サイラスは妻となり、そして自らの騎士となった妃を見て満足げに微笑むと、ゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬に触れる。そして次の瞬間、息をする間もなくフィアを抱きすくめ、その唇を深く重ねた。

 それは単に誓いのキスというよりも、もっと激しく所有を示すかのような、決して離さぬという意思と熱を帯びた口づけだった。

 フィアの背に添えられたサイラスの手が彼女の体を強く引き寄せ、彼女を包み込む。その熱が唇から喉へと流れ込み、息を奪われる。抗う間もなく彼の舌が入り込み、深く絡みつく。

 あまりにも濃密な接吻が長く続き、神官たちが息をのむ。目を逸らす者、動揺する者。しかしサイラスはそれらを意に介さず、フィアの口内を味わうように、何度も角度を変えて貪った。

 フィアの指先が、サイラスの胸元を彷徨い掴む。酸欠に陥りそうなほどに翻弄され、熱に耐えながらも彼を拒む気持ちは微塵もなかった。

 やっとのことで唇が離れたとき、フィアの膝からは力が抜けそうになっていた。唇はまだ湿り、ジンとして名残惜しい熱を持っている。そんな彼女を支えながらサイラスは静かに言った。


「余に仕えよ」


 フィアは胸がいっぱいになりながら、小さく頷いた。

 神官長はまだ前代未聞の事態に困惑しながら、「誓約はなされました、しかしこれはあまりにも……」と急すぎて簡便な状況となったことに抗議する。しかし、サイラスは肩を竦め、あっさりと言い放った。


「正式な儀はまたの機会としよう。余は一刻も早く、この妃を得たかったのでな」


 それを聞いて、神官らの後ろに控えていた近衛騎士の先頭に立ったロウがぼやく。


「……それが本日の公務をすべて投げ出した理由ですか」

「そうだ」


 何の悪びれもなく答えるサイラスに、ロウは片眉を上げて溜息をついたが彼もこの状況を、そう悪くないと思っているようだった。

 サイラスは再びフィアを片腕で抱き上げると、外の景色の見える場所まで悠然と歩いていった。軽々と運ばれてもフィアももう動揺はしない。素直にサイラスの首に腕を回して体を支えた。

 丘の上の、更に高い階段を登った先にあるこの神殿からは周囲の風景が一望できる。今は冬、枯れた木々と色を失った草原が広がっている。その先には人々の営みを感じさせる町並みと家々の黒い影が見え、白い煙が風にたなびきつつ幾筋も立ち上っていた。


「これでお前は我が妃、そしてこの国の王妃となる。目に焼き付けよ、これがお前の国だ」


 サイラスの腕に抱かれながら、フィアは目の前に広がる冬の景色を見つめた。

 見たことはないけれど、サイラスが大切にしていたアルストリアの風景も、もしかしたらこんな風に見えるのかもしれなかった。

 フィアは生まれて初めて「自分の国」を手に入れたのだと実感した。

 寒風が強く吹き抜けていく。

 それでもサイラスのそばにいると、不思議と寒さは感じなかった。

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