開く扉
フィアはすぐに書状に一通り目を通して微かに唇を歪めた。
(いまさら何を……という内容だな)
この書面からは、王の狼狽や慌てふためく重臣の無様な様子が目に浮かぶようだ。フィアは書状を丁寧に元に戻すと、ゆっくりと息を吐いた。
サイラスは相変わらず多忙で、同じ城内にいるというのにほとんど対面する機会がなかった。しかし、こうしてアルストリアとのやり取りに関する書状の内容は、部下を通じて逐一フィアにも共有されている。
最初はこんな風に重要な書簡を見せられることに戸惑いを覚えたが、そのこと自体にサイラス自身の意思が込められていることに気づくと、フィアはその配慮を受け止めるようになった。
かつては置き去りにされ、誤解の中で翻弄されたことを思い出す。だが今は違う。彼は言葉ではなく行動で示していた。
(今までになかった配慮を感じるのは、きっとエリンのお陰だろう……)
おそらくフィアが国に戻っている間に、尋問されたエリンがフィアの国内での立場について説明したのだろうと思う。王族の一員とも思えぬ扱いをされてきたことを、みっともないと思われはしなかったかと不安に感じたこともあるが、今の手紙の言い回しはアルストリアに対してフィアを貶めることで国の対面を保とうとするような言動を暗に禁じている。つまり、サイラスはフィアの立場を慮ってくれている。些細だが、有り難い配慮にフィアは目を伏せた。
目上の立場で自分へ配慮してくれる人と言えば、異母兄くらいだったからこんな風にされるのには慣れていない。でも、サイラスがこう振る舞っている以上、当のフィアがそれに遠慮してはいけないということもわかる。
従者に手紙を返却しながら、フィアは「陛下に感謝をお伝え下さい」と伝えた。
「かしこまりました」
「……それから」
去ろうとする従者をフィアは引き止める。少しためらってからフィアは初めて自分から誘いを口にした。
「お時間が許すようであれば、ご一緒に食事をと」
従者はにこりと笑って頭を下げ、去っていく。
やりとりが終わるのを見計らったようにナディアが「フィア様、お茶を」と声をかけてくる。
彼女はフィア付きとなるよう言われて離宮からここへ異動になった。内容はともかく不審な行動を取り、外部と接触していたエリンやミラをすぐにフィアの近くへ戻すわけにはいかないため、その間の世話係として派遣されてきたのだ。
彼女はサイラスとフィアの間の誤解が氷解したことを何より喜んでいた。もともと、サイラスが妃を娶るつもりでアルストリアに王女を要求したことを知っていた彼女は、フィアという似合いの王女がやってきたことを密かに喜んでいたらしい。それなのに二人の間がうまく行っていないというので、離宮に居た間は随分と気を揉んだそうだ。
そう説明されると、自分の誤解ぶりが改めて恥ずかしく、フィアは赤面するしかなかった。
ナディアが淹れてくれた茶を楽しんでいると、サイラスの元へ戻ったはずの従者がまた急ぎ駆けつけてきた。そして、短い走り書きをフィアの元に届けてくれる。
フィアはそれを読むと微かに唇を緩めた。夕食には間に合わないが、今宵の夜食なら共にできる——と書かれていた。
彼が応じてくれたことが嬉しくて、フィアはその走り書きをそっと手の中に押し包んだ。かつてなら、ただ王としての義務で動いているだけかもしれないと考えていたかもしれない。しかし今は違う。容易に会うことも叶わぬ中で彼が自ら時間を作ってくれた、その事実が心にじんわりと広がっていく。
「良い機会ですね。美味しいお夜食を手配して、陛下をお迎えいたしましょう」
そう言ってにこりと微笑んだのはナディアだった。フィアが大切そうに手にした紙片に気づきながらも、それには何も言及せず穏やかに微笑むその姿に、フィアは声をかけた。
「では……あの料理を」
そう言って、リクエストを口にしたフィアにナディアは少し意外そうな顔をする。けれどすぐに笑みを深め、かしこまりました、と言って静かに部屋を後にした。
夜も更けた頃、扉を叩く音が響いた。
遅くなると分かっていたので、フィアはもうナディアを下がらせている。自ら扉の前に立つ。心なしか胸の鼓動が速まるのを感じながら、そっと扉を開けるとサイラスが立っていた。
直前まで執務に励んでいたのか、装いは堅い。常々の通り上背もあって威圧感ある彼だが、かつてほど恐ろしくは感じない。冬の冷気を纏いながらも、その瞳は深い夜の闇の中で静かにフィアを見つめている。
「お疲れのところ、お越し下さりありがとうございます」
フィアはそう口にし、そっと頭を下げる。彼の多忙さを知っているからこそ、彼がその暇を縫って時間を作ってくれたことが純粋に嬉しかった。
しかし、次の瞬間——
不意に彼の腕が伸びた。フィアが驚く間もなく、サイラスは彼女を強く抱き寄せ、そのまま唇を重ねる。
——深く、強く。逃れる隙もないほどに、彼の腕は頑丈で、温かかった。
サイラスの影の中に包まれるようにしてフィアは久々に彼の胸に抱かれる。彼の体温とともに胸の奥に小さく灯る安堵感。かつては戸惑いばかりだった彼の圧倒するような抱擁が、今はどこか心地よいものに感じ始めていた。
何度も離れては繰り返される口づけに、フィアの息はすっかり乱されていった。




