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夜を満たす口づけ

「……そんな……」


 彼女が疎まれていると信じていた間、サイラスはむしろ彼女と会うために時間を作ろうとしていた? その事実が信じられず胸が苦しくなる。


「では私を離宮へやったのは…」


 サイラスはその問いに躊躇わず即答した。


「一つには、先ほども言った通り、アルストリアと連絡を取っている者が誰なのかを突き止める必要があった。もう一つには、お前が口さがない者の言葉を耳にしたのではないかと懸念した」

「…?」

「お前自身も口にした通り、我が国の中でも『アルストリアの至宝』とやらに幻想を抱いていた者はいた。アルストリアがそれを寄越さなかったのは、我々の脅しが足りなかったのではないかとな」


 誰か特定の者の言動を思い起こしているのか、サイラスの声色には静かな怒りが込められていた。


「そうしたうるさい声の届かない離宮で静養させるつもりだった」


 それが彼なりの配慮だったと知ってフィアは自分の思い込みを顧み、穴があったら入りたいような気分だった。

 主人でありながら侍女のエリンが何をしていたのかにも、ミラがそれを手伝っていたということにも気づけず、サイラスに離宮にやられたことを遠ざけられたと考えて恨むような有り様だった。確かに彼は、多忙な執務を終えた深夜にわざわざ森を抜けて離宮へ足を伸ばしてまで会いに来ていたのに、だ。

 サイラスはそうしたフィアの後悔を見抜いているのか、「説明は足りなかったな」と自身の非を認めて苦笑する。そして彼はフィアの頬に指を滑らせた。

 二人の間に横たわっていた大きな誤解が静かに解けていく中で、フィアは彼の指先の温かさを意識せずにはいられなかった。


「実際には離宮にまで行かせても、お前はまた妹のことを口にした」

「……申し訳ありません」

「ちょうど同じ日だ。貴族どもが同じように言ってきていた。『マリエンナ王女を名指しするべきだったのではないか』と」


 講和の条件でアルストリア側に選択の余地を残したことを責め立てられ、気遣ってやったはずの相手にはそれを台無しにされ、腹立ちはいかばかりかと思うのにサイラスはそれをフィアにぶつけかけながらも、手を引いて立ち去った。


「誰もかれもがその有り様でうんざりだった」


 溜息まじりに吐露され、意図のわかった今、フィアは自分の頬に触れるサイラスの手に己の手を重ねる。


「そんなこととは知らず……」

「いや、説明をしなかったのはこちらの落ち度でもある。今後はもう少し言葉を尽くそう」


 それからサイラスは、離宮でフィアに付けた侍女が乳母の娘で、気の置けない間柄であることを簡単に説明すると、あの晩フィアを打ち捨てるようにして帰ったことをナディアに散々詰られたのだと言って肩を竦めた。それ以前の来てはろくに話もせずすぐ戻る態度も、フィアに対して失礼にもほどがあるとナディアはかんかんだったという。


「これでも少しは省みたつもりだったが、お前が面会の遅れや短さに不満を持っていたとは、今こうして聞くまで気づいてもいなかった」

「不満など…私はただ…、んっ」


 曖昧な語尾は口づけに吸い取られて、フィアは目を閉じた。サイラスの深い接吻は舌を甘く痺れさせる。フィアの息が上がるまでじっくりと存分に柔らかな口唇を堪能したサイラスは獣のようにフィアの濡れた唇を嘗めて顔を上げた。


「口が滑ってお前を怒らせたが、泣くような女ではなさそうだと言ったのは泣き濡れて男の訪れを焦がれて待つばかりの後宮暮らしの女とは違うだろう、という意味のつもりだった。おそらく、そうは取らなかっただろうが」

「……」


 あの時、フィアが顔を強張らせたことで意図と違った伝わり方をしたことを察したサイラスは怒らせるつもりがなかったことを詫びたが、今のように丁寧に説明をしなかったせいでフィアはあの言葉もサイラスが自分に女としての価値を認めていない証左のように受け取ってしまっていた。

 多少、糸が絡まった状態ではあったが、それでも今のように話していれば、きっとお互いの間にあった様々な誤解は、そう難しくもなくほどけていたはずのこと。

 そう思うと、自分の窮屈な考えと愚かしさにフィアの瞳は揺れる。

 大きな獣にも似た、びくともしない頑強な体を屈めてサイラスはまたしてもフィアの唇を塞ぐ。ともすれば詰まりそうな息を継ぐだけの余裕を与えながら、時間をかけ舌を絡めて口づけを味わい、フィアが細い息を吐いたところでもう一度低く囁いた。


「聞きたいことは聞けたか」


 間近に迫る男の顔をじっと見上げてフィアは彼の顔に残る惨たらしい傷に手を伸ばす。そこは微かに凹凸して、引き攣れの痕を残していた。拙い指先で額から頬へと走る赤みを辿れば、その手を捕らえたサイラスが僅かに顎を上げた。明かりが入り、黒い瞳がその深みのある色合いを覗かせる。


「この面相が気になるか?」

「よく、目がご無事で――」


 フィアが最初にサイラスの顔を見た時、恐ろしさを感じるのと同時にそう思ったのだ。片目を失ってもおかしくないほどの深い怪我を負った痕跡。

 フィアが意外なことを言ったかのようにサイラスはその傷跡の残る左の眉を持ち上げ、唇の端で笑った。


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