騎馬の王
なぜここにアーセリオン国王がいるのか。
フィアが困惑の声を発するのも構わずサイラスは無造作に自分の外套を外し、彼女に乱暴ともいえるほどの勢いで着せ掛けた。その動作は荒々しくも、フィアの冷え切った体をただ一刻も早く覆い隠すようでもあった。
「……こんな場所に置いておくとは」
低く剣呑につぶやく声に宿る怒りと、冷たさの中に見え隠れする感情に、フィアは息が詰まる。
何が起きているのか分からないまま、フィアは呆然としていたが、次の瞬間にはサイラスが彼女をその太い腕で軽々と抱き上げていた。
「な、何を——!」
サイラスが荒々しく歩き出し、フィアの抗議はあえなく途中で途切れた。階段を降りていく振動で舌を噛みそうになったからだ。
一気に塔を駆け下りて外に出た瞬間、冬の冴え冴えとした日差しが二人を包み込んだ。昼間の光が見上げるサイラスの横顔の掘りの深さをいっそう際立たせる。黒い瞳にそんなふうに陽の光が差すと彼の目がただの漆黒ではなく、炭の奥の埋み火を覗いたときのような僅かに赤みを帯びた暗い色なのだと分かった。
外には数名のアーセリオンの騎士が待機しており、塔からサイラスが出てくると彼らの視線が一斉に向けられる。
その中にはロウ近衛騎士長もいたし、フィアの乗馬に付き合ってくれた若い騎士もいた。彼らは塔を見張っていた兵を取り押さえているようだった。サイラスはいつぞや身に着けていた黒いよく鞣した革鎧を身に着けていたが、騎士達は本格的な戦闘にも耐えうる銀の甲冑を纏っている。
騎士達の視線が自分に向けられていることに気づいたフィアは、羞恥でカッと頬が熱くなるのを感じた。
(白昼の下で……しかも、こんな無様な格好で……!)
まるで視線が刺さるようだった。横抱きにされ、サイラスの腕の中に抱え込まれた自分の姿——それがどれほど無様に見えるのかを思うと、羞恥で胸が締め付けられるようだった。
サイラスが外套をフィアに着せてやっていることに気付くなり、ロウが慌てて代わりの外套を王の肩へと着せかける。そして流れるようにサイラスの腕からフィアを抱き取り、サイラスが馬へと跨がると再び彼の腕にフィアを返す。長年の主従らしい呼吸の合った動きだった。
再び横抱きにされてサイラスと共に馬上にあがると、かつて同じように馬に乗せられた記憶がよみがえってきた。
(あの時も……彼は何も言わず、私をこうやって…)
その時感じた困惑や羞恥が今また彼女の胸をざわめかせた。けれど、彼の力強い腕に包まれる感覚が、どこか心を安堵させるのも事実だった。
未だ騎士たちの視線が彼女に注がれているのを感じ、フィアは思わず目を伏せる。
(なぜ……こんなことを。どうしてこんな場所へ)
疑問は尽きず湧いてくる。素早く走り出した馬の駆けるリズムが体に伝わる中、密着したサイラスの体温がじんわりと伝わってきた。
馬の蹄が石畳を打つ音が高らかに響き、サイラス率いる一行は塔の敷地を抜け出し、ヴェルナール城の北面へと向かっていった。
北面の斜面は急峻で、険しい岩肌が容赦なくが眼前に迫ってくる。だが彼らは躊躇することなくその斜面に馬を向け、一気に駆け上がり始めた。
「っ……!」
激しい揺れに襲われてフィアは馬の鞍の上で息を呑んだ。聳え立つ岩肌を見ると、こんな所を上がれるはずがないと思うのだが、前だけを見ているサイラスの顔に迷いは見えない。その動きには無駄も焦りもなく、馬を操る手綱は常に的確だった。更に彼はその腕でフィアをしっかりと抱き支えている。
王騎もまた期待を違えることなく、僅かな足場を確実に踏みながら登っていった。
(あの時……)
フィアの脳裏に、アーセリオンがヴェルナールを奇襲した日の記憶が浮かんだ。城の北面は防備を突かれた時のことだ。これほどの急斜面を馬で駆け上がられるとは当時の誰も想像していなかった。
(彼らは……こんな斜面を一気に攻略してきたのか)
下りは上りともまた違う恐ろしさを持っている。こんな急角度、上から見下ろすだけでも肝が冷えるはずだ。そこを一気に駆け下りてきたアーセリオンの騎馬隊はさすがというよりほかない。
馬の駆け上がるスピードとその安定感の見事さに、フィアは心の奥底で戦慄を覚えた。アーセリオンの軍勢がいかに優れた統率力と技術を持っているのかを、今さらながらに実感したのだった。
斜面を駆け上がると一行は道なき道へと突入した。荒れ果てた森の中、木々を掻き分けながら進む馬の蹄音が響く。枝が馬の足元を邪魔し、時折乾いた音を立てながら折れていく。道らしい道など見当たらない。それでも、彼らは迷いなく進み続けていた。
フィアはサイラスの腕の中で揺られながら、過ぎ去る風景を見ていた。厳しい道を進む一行の動きには、どんな障害もものともしない強さがある。
やがて馬の速度が緩まり始めたかと思うと、目の前に木々の間にひっそりと佇む小さな野営地が現れた。簡素なテントが数張り立っており、中央には焚き火の名残が残っていた。風に乗って乾いた木の香りが漂い、ここが彼らの中継地点であることが分かった。




