表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/44

無価値の烙印

 フィアが視線を向けると、後ろからアルストリアの急使と思しき男が一歩前に進み出た。彼は一礼すると声を落として語り始めた。


「マリエンナ王女殿下が急な病にて伏せり、姉君である殿下を大変恋しがっておられます。つきましては、フィア王女殿下の一時帰国をアーセリオン国、国王陛下に願い出る次第にございます」


 ちり、と胸を警戒が過る。


(いつまでも王を殺せずにいるせいか…)


 フィアが最初に考えたのはそれだった。国からの急な連絡が文字通りのものとは思わない。常日頃から大勢の侍女に囲まれ、周囲の愛情を一身に受けているマリエンナが病で自分を恋しがることなんて一度たりとなかった。

 だいたいアルストリアの意図がどうあれ、講和の条件としてアーセリオンに差し出された自分を母国に戻すことは、アーセリオン側にとって不利益となるはずだ。しかも病を言い訳にしているということはマリエンナを代わりにこちらへ寄越すつもりもないということ。

 流石にここまで厚かましい要請は断られるか、他の条件提示があるだろう——フィアはそう考えていた。

 しかし次の瞬間、サイラスの静かな声が予想を裏切った。


「妹を案じている王女は、急ぎ帰りたかろう。許可する」


 何の条件もない無制限の許しにハッとしてフィアは思わず彼に視線をやったが、彼は急使のほうを見ていてフィアに目を向けることもない。短い言葉には何の感情も込められておらず、意図は読めなかった。

 フィアと同様、無理難題を押し付けられずにほっとしたらしい使者は「寛大なる御心に感謝いたします」と頭を下げた。

 フィアも自分を見てはいない男に、それでも咄嗟に礼を述べる。


「……感謝いたします」


 急使はすぐにもアルストリアにとんぼ返りするといい、フィアは自身の希望を述べることも出来ないまま、それに従うことに決まった。

 広間を辞する前、自分が無価値であったことを、これ以上ないほどの方法で実感しながらもフィアは改めてサイラスに向き直り深く頭を下げた。


「この度はお暇をいただき、誠にありがとうございます」


 サイラスは彼女の姿をじっと見つめていたが、結局何も言わなかった。



 アルストリアへの帰路は、フィアにとって限りなく長く感じられた。

 急使の使命はフィアを連れ戻すことだけであったとみえ、急き立てられるようにして出立することになったフィアが侍女を連れ戻りたいと告げても「陛下は一刻も早く戻るよう仰せです」と王命を盾にそれを許さなかった。

 アーセリオンから与えられた待遇は決して悪いものではなかったが、二人を置き去りに国に帰るとなれば話は別で、心配でならない。

 そして実際に帰路にかかる時間はとても長かった。来た時は十五日だった道のりを、戻るにあたっては既に三十日近く。アーセリオンの騎士たちが驚くべき速さで馬を走らせていたことを今さらながらに実感する。


(あの時は息をつく間もないほどだったが……こうしてゆっくり進むと、この距離の長さが骨身に染みる)


 その時間は、ただ自分の無力さを噛みしめるためだけにあるように思えた。アーセリオンでの数ヶ月がまるで幻だったかのように感じる。


(私はいったい何をしていたのだろう)


 サイラスにとっても投げ出すに何らためらいはなく、アルストリアにとっても使命は果たせず、無意味な存在でしかなかったという思いが、胸を締め付けた。

 すっかり冬も深まったある日。どんよりと暗い雲から雪のちらつく中にヴェルナール城の城門が見えた時、フィアは懐かしさよりも重苦しさを感じて視線を逸らしてしまった。戻るべき恋しい場所というよりも自分がこれから断罪される場所だと思われたからだ。

 そして案の定、到着するなりフィアは休む間もなく王の前へと呼び出された。広間に入ると、父王が厳しい目で彼女を睨みつけていた。傍らには数人の重臣が控えており、皆一様にフィアに冷淡な目を注いでいる。


「どういうつもりだ」


 フィアがまず丁寧に頭を下げると王の声が鋭く響いた。


「王を殺せと命じたはずだ! それすら果たせず、何をしていたのか!」


 その叱責にフィアは肩を震わせたが反論することはしなかった。彼の怒りが続く。


「図体ばかりでかくて何の役にも立たない! お前は、ただそこにいるだけの木偶の坊ではないか!」


 その言葉は、まるで刃のようにフィアの胸を抉った。サイラスを殺さなかったのは、単なる失敗ではなく、アーセリオンとアルストリアの未来を考えた上での彼女なりの判断だった。

 だが、その意図を父が理解するはずもなく、彼にとっては無能な娘が命令を果たさせなかったと認識されるだけだった。


(私が何を考えていたとしても、それを訴えたところで父王には届かない)


 広間には冷たい空気が満ちていた。周囲の重臣たちの視線も、冷笑とも取れるものが混じっている。フィアは目を伏せてひたすら強く拳を握りしめた。

 父王の怒りは止むことなく広間には延々と罵倒の言葉が響き続けた。フィアは頭を下げたまま、じっとその言葉を受け止める。


「お前が愛想の欠片もなく不格好で、色香を使って惑わすこともできなかったせいで、アーセリオン国王が満足できずに我が宝を…マリエンナを所望しておるのだぞ!」

「……」

「せめてかの王の前に這いつくばい、淫売の真似でもして歓心を買うくらいのことをしてみせよ!」


 娘を娘とも思わぬ容赦ない王の罵倒はフィアの心をいちいち抉った。胸が痛む。言い返したい言葉が浮かぶが、声にはならない。

 反論は自分を守るための無意味な努力だ、言い返したとて王が考えを改めることも、痛罵をやめることもないと分かっている。屈辱と悲しみを胸の奥深くに押し込めるように、フィアは唇を噛みしめる。

 どれほどフィアを罵っても父の怒りが沈静化する気配はなく、その場に立ち尽くすフィアは屈辱と失望を押し殺して、ただただその場で耐え続けるしかなかった。

 どれほど時間が経ったか、散々な罵倒を浴びせられた後でフィアはようやく退出を許された。だがその際に父王から「蟄居を命ずる」と厳命され、罪人のように兵たちに囲まれる形で広間を後にすることになった。

 廊下を進む途中、フィアの前に王妃ロゼリナが姿を現した。彼女は目に見えて憤怒の形相を浮かべ、フィアに対して敵を睨みつけるかのような視線をぶつけてきた。


「お前のせいで可愛いマリエンナが酷い目に遭う……! ああ、お前が役立たずなばかりに……殺しても殺したりない!」


 まるで憎悪そのものが形をなしたかのような眼差しにフィアは目を伏せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ