冬の月の下で
「黙れ」
長い口上の途中で、サイラスの低い声が割って入る。
短く投げつけられた一言には鋭い怒りが宿っていた。その冷たい声に、フィアは驚き、震えて言葉を飲み込む。
「誰も彼も、お前までも……妹、妹となんなんだ」
サイラスの怒りの在処が分からない。何をしくじったのか見当がつかず適切な謝罪の言葉が見つけられなかった。狼狽するフィアを見下ろしてサイラスが更に声を低くする。
「妹姫とやらがそこまで大事か」
サイラスの刃に似て鋭利な声が小広間に響いた。その言葉に斬り付けられたかのように、フィアはぎくりと肩を震わせたが、すぐに顔を上げてサイラスを見返した。凍えるような視線に射貫かれる。
「その妹を守らんがために敵国にも嫁ぎ、今こうして跪いているのか?」
サイラスの問いには侮蔑の色が混じっていた。
そんなつもりではなかった——そう言いたいのに、言葉が出てこない。フィアは唇を噛み締めて必死に表情を保とうとした。
もちろんマリエンナを守ろうとした父王の意図は大きかったが、フィアがアーセリオンに来たのは第一王女として務めを果たすためだ。王女を望んだアーセリオンに、それを提供するために来た。暗殺を命じられてそれを心に秘めながら実行しないのも、国を思うからこそだ。
父王や重臣ら、あるいは民がマリエンナを愛するのと同じだけ自分がマリエンナを愛しているのかと、彼女を守るために来たのかと聞かれれば率直に首肯は出来ない。
だが首肯できないことにフィアは苦悩する。自分は妹を本当に大事に想っているのだろうか、自分が成し得なかったことの代替として彼女をこの場所へ送り込もうと考えておきながら——?
胸がきりきりと痛む。
サイラスが何を意図してここまでの言葉を放ったのかは分からない。それでも、その言葉が彼女を貶めるものであることだけは確かだった。
フィアはわずかに震える声で答えた。
「陛下にご満足いただけるのならば、いくらでもこの身を差し出します」
次の瞬間、彼は無言で立ち上がりフィアの腕を掴んで長椅子の上に彼女を押し倒した。
「……!」
強い勢いにフィアの背が長椅子の上で弾む。サイラスの影が彼女を覆い、大きな手がフィアの両手を容易に掴んで頭上へ拘束する。
ドレスの裾が荒々しく掴まれて、フィアが声を上げる間もなく繊細な布が裂かれんばかりの勢いでたくし上げられた。内側に差し込まれたサイラスの手が無防備な素肌に触れる。固く骨張った手が腿の滑らかな肌を辿り膝を捉えたかと思うと、太い腕がそのまま脚を掬い上げる。
伸し掛かる男によって身体を押し潰されそうな圧迫感にフィアは呻いた。
「……っ」
急にサイラスが頭を屈め、彼はフィアの胸元に顔を埋めるとまるで獣のようにドレスの布を繋ぎ止める紐をぶちぶちと噛み切り、引きちぎっていく。
男の息が至近距離から素肌を撫でたかと思うと、胸を抑え付ける布が緩んでフィアの豊かな乳房がこぼれ出しそうになり、反射的に身をよじりかけたフィアはそれでも自身の役目を思って必死に堪えて目を閉じ、唇を噛み締める。
だが、そこで急にサイラスは動きを止めた。
いきなり興味を失ったように握り締めていた手首を開放し、抱え上げていた脚を放り出す。立ち上がったサイラスが背を向けて外套を掴むのを見てフィアは声を上げる。
「待って、——お待ちください!」
手を伸ばしても届くより先にサイラスが歩き出した。フィアはよろめきながら立ち上がって大股に出て行く彼の後を追いかける。
玄関ホールを出た先、門前に馬が待っているのが月明かりで分かった。
「陛下……!」
サイラスはフィアに振り向くことはなかった。馬に跨がり、そのまま走り出す。風のように一瞬でその背は遠ざかっていく。
ドレスがはだけた酷い格好でフィアは石畳の上に崩れ落ちる。
フィアはそのまましばらく門前の石畳の上で蹲っていた。凍える冬の夜風が露わになった肌を刺し、月明かりに照らされた彼女の肩が小刻みに震える。サイラスを引き留められなかった自分に、彼女は無力感と絶望感を覚えるばかりだった。
そんな彼女の元に、急ぎ駆け寄ってくる音が聞こえた。ナディアが手にフィアの外套を抱えて現れた。
「殿下……! 一体何があったのですか。」
応対はしなくて良いと指示していたが物音を聞いて居ても立ってもいられなくなったといった様子のナディアの声には、普段の穏やかさとは違う、明らかな動揺と怒りが滲んでいた。彼女はフィアの裂けた衣装と剥き出しの肌を見て目を見開く。
「こんな……ひどい扱いを……!」
ナディアはフィアの体をそっと抱き起こし、持ってきた外套を彼女の肩に掛けた。フィアは彼女の優しさに慰められながらも、ただ首を振った。
「……何もありません」
サイラスが最初に離宮を訪れた時と全く同じ言葉でフィアは呟く。
ナディアはそれ以上何も言わず、ただそっとフィアを支えながら部屋へと連れ戻した。
† † †
翌日、フィアは急な呼び出しを受けて城へと向かわざるを得なかった。
昨晩のことがあってサイラスの前に出るのは気が進まないが、命令とあっては拒めない。王もいる広間に通されると、アーセリオンの近衛兵が厳粛な声で告げた。
「アルストリアより急使が参り、王女殿下にお伝えしたいことがあると申しております」




