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何を見ている?

 執務室でもなく晩餐室でもなく、ロウは中庭に続く廊下を進んでいく。端正に整えられた庭には秋の薔薇が何色も咲いていた。そして離れた場所に東屋がひとつ。


「陛下はあちらでお待ちです」

「…わかりました」


 昨日の今日で、切り出されるだろうか。フィアを送り返してマリエンナをここへ連れて来るという話を――。

 せっかく馬に乗って気が晴れたのに、どうしても表情が硬くなってしまう。東屋に着くまでに顔を取り繕わなければとフィアは天を仰いだ。そして平静を意識する。

 東屋には上等の長椅子が置かれており、美しい庭を眺めながらゆったりと休むのにはぴったりの誂えとなっていた。そしてサイラスがそこに堂々たる体躯を横たえて目を閉じている。


(眠っている…?)


 厚い胸がゆるやかに隆起しては沈む。規則正しい深い呼吸は寝息と思われた。

 呼ばれたのに、呼んだ当人が居眠りではどうしたらいいものかと迷った末にフィアは黙って彼の向かいの椅子に腰を下ろす。

 思えば、フィアを最初にいきなり外へ連れ出した時にも彼は長椅子さえ無い、落ち葉と土の上で平気な顔をして眠っていた。いや——本当に眠っていたのか、今も分からない。

 汗が冷えつつあり、フィアは僅かに衣服を掻き寄せた。

 この期に及んでフィアはもう一度、目の前のアーセリオン王を殺すことができるかどうかを考える。

 護衛の姿はなく、ロウもいない。今この瞬間、この場には彼と二人きり。

 今日の彼は先日と違って長剣を帯びている気配もない。

 対してフィアは武器こそ持たないが、ドレスだった先日に比べて格段に動きやすい衣服のお陰で力いっぱい動くことができそうだ。


(かんざしを喉目掛けて全力で振り下ろし、引き抜いてもう一度刺せたら仕留められるかもしれない)


 気管は急所だ。そしていくら鍛えても胸板ほどの厚い筋肉で守ることは出来ない。一度で傷つけることができなくとも、二度三度突き刺せば可能性はある。

 目の前の男が喉笛から血を噴き出し、黒々とした目が怒りに燃える。凄まじい形相で自分を睨みつけてくるところを想像した途端、指先が冷えて震えが走った。

 アルストリアを、その景色を守ってもいいと言った彼を自分は殺すのか。


(陛下に命じられたから、という理由で……?)


 刺した後のことを考える。

 自分は間違いなく殺されることになる。抵抗するサイラスに斬りつけられるか、駆けつけたロウに斬り捨てられるのかは分からない。王を弑した大罪人として、遺骸はいかほどに惨たらしく晒されることになるか。

 でもそんなことは全てどうでも良かった。自分がいかに辱められてもそれは己のしでかしたこと故だ。

 けれどエリンとミラ、何も知らない彼女達もきっと連座することになる。それはどんなにか辛いことだろう。自分を支えるために、遠く異国の地にまでついてきてくれた心優しい二人に、とてつもなく恐ろしい思いをさせてしまう。

 そして王を殺されたアーセリオンは激怒する。たとえ一時、強い王を喪って勢いが衰えたとしても、これほどの大国が脆くも崩れることなど有り得ない。すぐに立て直して全力をもってアルストリアを叩き潰しにかかるだろう。

 でなければ、グランヴィスカ帝国がアーセリオンの王位の空座を狙ってすかさず動く。アルストリアを一息に飲み込み、アーセリオンにまで食らいつくかもしれない。

 そうして帝国が動けば、当然アーセリオンも対抗するだろう。間に挟まれ、攻め入られたとて南北両端に戦線を維持できるほどアルストリアは強靭な国ではない。

 異母兄のエメリックはおそらく苛烈な戦場に立たされることになり、あるいは戦火に斃れることだって有り得る。王も王妃もそのような事態にまでなれば助かりはすまい。

 異母妹マリエンナだけが。彼女だけが、その名声によっていずれの国かの戦利品として命を繋げられる可能性を辛うじて残している。けれどそれさえ細い糸だ。


(………………できない)


 ぎゅ、と強く指先を握ってフィアはサイラスから目を逸らした。かわりに空を流れる雲を仰ぐ。

 寝首を掻けと命じた父王の冷たい声が耳に蘇ったが、それを振り払うように押し殺した息を細く吐き出す。

 自分にはできない。フィアはその選択肢を自ら棄却した。

 国王に嘲罵され罰を下されようが、命に逆らう裏切者と謗られようが構わない。父と子の絆など最初からありはしなかった。

 間違えてはならない。自分がアルストリア王女としてなすべきは父王の命令に盲従することではなく、国を守り、大切な人達を守ることだ。

 そしてアーセリオンの王が自分でなく妹を求めるのなら、国王、王妃に伏して状況の正しい理解を求めてマリエンナを送り出すべきだ。アルストリアにアーセリオンの求めを断る力などないのだから。


「何を見ている?」


 不意を突いて低い声が問いかけて来た。


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