王城襲撃
夜半、アルストリア王国の王都ヴェルナールには凍てつくような静寂が広がっていた。
嵐にも似た強い風によって厚い雲は押し流され、空には冷たい月光が降り注ぐ。白々とした光を浴びたヴェルナール城はその威容を闇の中に浮かび上がらせていた。しかしその静けさは、一瞬にして破られた。
突如、北面の山腹から馬の嘶きが響き渡った。激しく地を揺るがすような振動に王城の灯火が一斉に揺れ、続いて甲高い警鐘が途切れなく鳴り響く。ヴェルナールが誇る城壁を越えて、無数のアーセリオン兵が侵入してきたのだ。
「奇襲だ! 北面から敵襲!」
あちこちで松明が掲げられ点々と明かりが灯っていく。
兵士たちの叫び声が混乱に拍車をかける。かつて誰も攻めるはずがないとされていた山岳地帯。その油断を突かれた防備の甘さが城を窮地へと追い込んでいた。
「門を閉じろ! 城壁を守れ!」
指揮官の命令もむなしく、敵はすでに一の郭の城壁を突破しており、王城のすぐそこまで攻め込まれた内部は混乱を極めていた。
まだ兵は城内にまでは入り込んできていないようだが、逃げようとする侍女たちの悲鳴、剣を抜いて応戦しようとする外の警備兵たちの怒号があたりに響く。
この事態にいち早く飛び起きて装備を身に着けたフィアは真っ先に異母妹の部屋へと走り、声を張り上げる。
「マリエンナを安全な場所へ!」
「ああ、ロイセルダム騎士団長様! どうかマリー様をお助けください…!」
狼狽していたマリエンナ付きの侍女達が救いを求めるような目で見つめてくる。フィアは頷き、片手で彼女達を促した。
「早く、奥へ!」
ロイセルダム騎士団は夜警任務を持たない。あくまで日中に王族女性に従うのが義務だから、こんな夜半の有事の際は城外の宿舎から駆け付けねばならない。だから今は王族として城内に部屋を持つフィアだけがいる状態で、他の騎士団員はまだ到着していない様子だった。
廊下を照らす僅かな明かりにも光り輝く金髪のマリエンナは恐怖に震えながら侍女たちに引きずられるようにして更に奥棟へと避難していく。その後姿を見送って、フィアは廊下に仁王立ちした。
「良いか、ここから先へは敵を進ませるな!」
混乱し、指揮が乱れているのか騎士団の者ばかりでなく城内を警備する兵も声を聞きつけてフィアの元に集まろうとしている。彼らはフィアの掛け声に奮起して何とか廊下の一点を死守しようと努め、俄作りの防護線を作り上げた。
だが、その決意を挫くように外の敵兵が声をあげる。
「アルストリア兵よ! 貴国の王は即時停戦を希望しておられる!」
「なっ…」
フィアは思わず絶句した。
まだ抗戦できる戦力はある。敵が北面から攻めてきたとして、それが大軍勢であるはずがない。北面の山は大勢が一度に下ってこられるようなものではなく、だからこそ長きに渡ってこの王城を守るものとして考えられてきたのだ。
つまり相手の戦力は決して多くはなく、せいぜいが百かそこらだろう。それに対してここは王城であり、二の郭や三の郭まで含めれば圧倒できるだけの戦力を抱えている。抗戦を諦めるにはあまりにも早いタイミングだった。
まさかもう王の寝室までも敵兵の刃が届いたのかとも考えたが、現に一応は王族のひとりとして部屋を与えられたフィアやマリエンナの部屋にはまだ兵が来る気配は無いのだ、流石に考えづらい。
敵兵は更に太く声を張り上げる。
「繰り返す、貴国の王は停戦を希望しておられる。これ以上の戦いは無益だ。剣をおさめて投降せよ!」
それを聞いた兵の戦意が瞬く間に消え失せていくのをフィアは目の当たりにすることになった。男たちの中から抗戦を求める声は上がらない。自分が叫んだとて意味がないことをフィアは嫌というほどわかっていた。
そして投降の指示は、まもなく敵兵からばかりでなく王を側近く守る近衛兵団からも伝えられ、フィアを含めた城の内外の兵達はみな剣を納めることになったのだった。
その後、驚いたことにアーセリオン兵は一旦城を退き、朝になる頃には城内は夜半の混乱と戦の跡を色濃く残しつつも表向き平穏を取り戻すに至った。
ここまで迫ったのだ、あとはなだれ込むだけでアーセリオンはアルストリアの王城を制圧することができたはず。なぜアーセリオンがここで兵を引いたのか、外の状況が全く分からず、フィアは蟄居を命じられた自室で爪を噛んでいた。
夜半、停戦後に出されたフィアに対する王命は二種類あった。ロイセルダム騎士団長に対しては、隊を宿舎にて待機させること、その際、武装は解くこと。そして近年滅多になかった第一王女に対しての命は自室に蟄居すること。
侍女と共に奥棟へ隠れていたマリエンナにも、部屋に戻るようにとの命があったと聞く。不寝番の侍女が数名ついていたのは幸いだ、もしこの状況で一人きりにされたなら妹は怯えて泣いていたことだろう。
フィアの侍女であるエリンやミラは一の郭内の屋敷からの通いだから、今どうしていることやら分からない。城の外の様子が分からないのは頂けなかった。
武装を解くようにという騎士団への指示を受けてフィア自身も鎧を脱いで剣を置き、ただしいつでも動けるように軽装のまま待機することになった。すると明け方までまんじりともせず部屋でひとり過ごしたフィアの元に、近衛兵が新たな王命を携えて来た。
「王女殿下、玉座の間へお越しください」
騎士団長としてではなく、王女として呼ばれたことに何らかの政治的な理由を感じる。
王の前に出るにはあまりにも軽装だが容赦願うしかないだろうと思いながら、兵について玉座の間へ向かう。
「フィア王女殿下をお連れ致しました」