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風を切る

 一度聞いてしまった言葉は、頭から消え去ってはくれなかった。『アーセリオン王がマリエンナを所望している』。夜の静寂の中で、その言葉が繰り返し反響するようで寝台の上で何度も寝返りを打つ。


(もしそれが本当なら……私の存在は何の意味もなかったことになる)


 これまでサイラスから声がかかったのは昼食の時だけだ。夜に呼ばれることがないのも、容姿に理由があるのではないかと考えてしまう。長年、不美人と評されてきたことをこんな形で裏付けられて胸を抉るようだった。

 父王はさぞかし怒り狂っていることだろう。フィアではアーセリオン王を満足させられず、王はとうとうアルストリアの至宝へと手を伸ばそうとしている。

 フィアを見下ろしていた冷ややかなあの眼差しがマリエンナを慈しみ、フィアをも軽々と抱き上げる腕が、羽のように軽いマリエンナを抱く。

 フィアに対してはほとんど言葉を紡がず、表情を変えない彼も、愛らしいマリエンナの笑顔を見たら頬を緩めるのだろうか。

 独り寝の冷え冷えとした夜気以上に胸が凍えてフィアは枕の端をきつく掴んで目を閉じた。




 鬱々としてあまりよく眠れなかったせいか、翌日どうにかして気晴らしがしたくなり、フィアは朝食の後、従者を呼び止めて馬を見たいと申し出た。すると昼下がりに以前にも対応してくれた若い騎士が現れ、用意が整ったと案内してくれた。

 城の外に引かれてきたのは、額に真っ直ぐな白い筋が入った栗毛の馬だった。大きな瞳は穏やかで、優しげな雰囲気を漂わせている。


「どうぞ、触れて頂いて構いません」


 騎士に促されてその馬に近づき、そっと手を伸ばして撫でてやる。あたたかな体となめらかな毛並みに触れると心が少し落ち着いた。

 そんな彼女の様子をしばらく黙って見ていた騎士が口を開いた。


「乗られないのですか?」


 その問いにフィアは、苦笑を浮かべながら軽く首を振る。


「ドレスでは難しいので」


 その一言に、騎士ははっとした様子で背筋を伸ばした。


「配慮が足りず申し訳ございません! すぐに乗馬に適した服を用意いたします!」


 騎士の突然の慌てようにフィアは目を丸くした。


「いえ、それは私がすべきことでは……」


 言葉を遮るように、騎士は「お待ちください!」と言い残し、城内へと駆け戻っていった。その背中を見送りながら、フィアは思わず微笑んだ。


(もし私がこの馬で逃げてしまったら、どうするつもりなのだろう)


 監視もせずにすっ飛んでいく彼の直情的なところがなんだかおかしい。

 フィアが笑うと、馬もその気配を察してか機嫌よく鼻先を擦り寄せてきた。アルストリア産駒よりもずっと大きな馬だが気性は穏やかなようだ。ブラシがあればかけてやるのにと思いながら手のひらで慰撫しつつ待っていると、しばらくして騎士が軽く息を弾ませながら戻ってきた。彼の手には、乗馬用の軽装が抱えられている。


「自分のような者の衣服で大変恐縮ですが……どうぞお使いください」


 フィアは彼の必死な様子に少し驚きながらも、「ありがとう」と礼を述べた。騎士は城の下女を呼び、空いている一室へ案内するよう手配してくれた。

 フィアはその部屋でドレスを脱ぎ、手際よく下女の助けを借りて軽装に着替えた。騎士の服はフィアの手足には余り、たくし上げて丈を調整する必要があったが、久々に動きやすい服を身に纏うと自分の体が軽く感じられた。

 外に出ると、騎士が馬の側で待っていた。同行するために彼自身の馬も引き出されて、近くで待機している。

 彼はフィアが馬上に上がるのを手伝おうと手を差し出してきたが、フィアはその手を「大丈夫」と断った。鐙に足をかけ、彼女は軽やかに鞍に飛び乗り手綱を取る。その動きは慣れた者だけが身につけられる洗練された滑らかさだった。騎士は驚きの表情を浮かべたまま、しばらく言葉を失っていたが我に返って口を開いた。


「……大変お見事です」


 その褒め言葉にフィアは少し笑みを浮かべながら頷いた。


「それなりに鍛錬を積んでいましたから」


 若い騎士はすぐに自分の馬に上がると、フィアに向かって近くの乗馬に適した場所を説明してくれた。馬場を回るのでもいいが、草原に出れば早駆けすることが出来るし、森ならゆっくりと巡るのに良い。「王女の手習い」という程度を想像していたのを良い意味で裏切られたということなのか、騎士は熱心に色々と薦めてくれた。フィアは草原での早駆けを希望する。

 思い切り風を切って走れば、きっと気が紛れるだろうと思った。


 † † †


 騎士に案内された草原でひとしきり馬を走らせて、うっすらと汗ばんだフィアが城へと戻って来ると、王城の入り口でいつも以上に不機嫌そうな顔のロウ近衛騎士長に迎えられた。

 若い騎士を下がらせた彼は王がフィアを呼んでいると告げる。それで不機嫌な理由がわかった。王を待たせて外出していたフィアの態度が気に食わないのだろう。


「それでは着替えてから…」


 と言いかけたフィアに対してロウは「そのままで構いません」と淡々と述べた。


「乗馬をされていたことは陛下もご存知ですので」


 きちんとした服装に着替えることも出来ず、汗もかいている。風に巻かれて髪も乱れているのではないかと案じながらも、催促されたフィアは仕方なくロウの背について城へ入った。


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