午後に落ちる影
約束の十日は瞬く間に過ぎ、アルストリアからの商人が再びローク城を訪れた。国に戻ってまたやってくるには早い期間と考えると、この商人達はアーセリオン国内に拠点を持って商売をしているのだろうと分かる。
城の広間には、彼らが持ち込んだ品々が再びずらりと並んで活気が漂っていた。前回、商人が約束した通りに今度は腕の良い仕立屋も同行しており、先日フィアが買い求めた生地を使って衣装を仕立てる準備を進めていた。
「早速採寸を始めさせていただきます」
商人が頭を下げ、仕立屋を伴って挨拶をする。彼らの丁寧な態度にフィアは軽く頷き、視線をエリンとミラに向けた。
「まず、彼女たちの分を」
「私どもよりフィア様が先ですわ」
主人より先に侍女の分など、とエリンが慌てる。ミラも両手を振って「先になんて!」と遠慮しているが、フィアは二人の抗議を制するように笑った。
「あなたたちが先だ。ほら、早く」
軽やかに促す彼女の言葉にエリンとミラは仕方なくと言った様子で従い、仕立屋の指示に従って傍らに設けられた衝立の裏に入っていって採寸が始まった。
フィアは広間の窓辺へと歩み寄って、外へと視線を投げかけた。
窓の向こうには、深まりゆく秋の景色が広がっていた。木々は赤や金色の葉を揺らし、時折吹く風に乗って葉が舞い散る。灰色がかった空の下、遠くの丘陵地帯は柔らかな影を落としている。その静かな風景に目をやりながら、フィアは思いがけない平穏に戸惑いを隠せない。
(ここへ来る時、己の立場は良くて妾、悪くすれば慰み者か、死も有り得るとさえ覚悟していたのに……)
騎士団の務めがなく、剣を握ったり馬に跨ることがなくなったのは寂しいが、王や王妃の冷たい眼差しを浴びることもなく、異母妹の傍らで胸を痛める必要もなく、自分のことを大事に思ってくれる侍女たちと共に過ごせるのは幸福な時間でもあった。
エリンとミラが仕立屋とやり取りをしている明るい声が、フィアの胸の陰りを和らげてくれる。
アーセリオン王の考えていることは相変わらずわからない。前回の昼食で『アルストリアの王女に、何をお望みですか』という単刀直入な質問を放ってしまって以来、お声がかかることもなく動向すら伺い知れない状態だった。
やがて侍女たちの採寸が終わり、フィア自身の番が来た。仕立屋の指示で衝立の裏に立つと、慎重に採寸が進められいてく。さっさっと紐を使って測っていく手際の良い仕立屋の動きは小気味よい。
仕立屋の作業がすべて終わると、商人は改めて深く一礼した。
「仕立てたお品をまた改めてお持ちいたします」
「ありがとう、楽しみに待っています」
そう告げたフィアはエリンとミラと共に広間から部屋へ戻ろうと歩き出した。
廊下を進む途中、回廊の向こうから一人の若い騎士が近づいてきた。先日晩餐室から彼女を送ってくれた人物だ。
「フィア王女殿下」
近くにやってきて歩みを止め、礼儀正しく頭を下げた彼にフィアは「なんでしょうか」と静かに応じた。
「陛下のご命令で、殿下のために馬を手配いたしました」
その言葉にフィアは目を見張る。
「馬を?」
「はい。もし殿下がご希望であれば、いつでも乗馬の準備を整えます」
その言葉を聞いてフィアの胸がわずかに弾む。アーセリオンに来てから初めて、馴染みある日常の一端が戻ってくるように感じたからだ。
だが、ふと自分の身なりを見下ろして思い出した。騎士としての装束一式は、剣と鎧と共に置いてきてしまった。
(乗馬できるような服装がない……)
彼女は表情を柔らかく保ちながら首を振った。
「ありがとうございます。今日は控えさせていただきます」
「かしこまりました」
「陛下にぜひ感謝の言葉をお伝え下さい」
「承知いたしました」
騎士は再び頭を下げるとその場を離れていった。
「アーセリオン国王陛下が、フィア様のために馬を!?」
やりとりを聞いていたミラがびっくりしたように瞬いたので、フィアは周囲に人のいないのを確かめてから囁くように説明した。
「先日、そのように仰っていたけれどほんの口約束かと思っていたんだ。まさか本当にご用意くださるとは」
「私、フィア様が馬上におられるお姿を眺めるのがとっても大好きなんです。凛々しくて、まるで神話に出てくる英雄のようで……」
頬を染めたミラが両手を組んでうっとりと見つめてくるのが照れくさく、フィアは「そんな大層なものじゃないよ」と笑ったが、そんな二人の傍らでエリンはひどく複雑そうな顔をして押し黙っていた。
その様子に気づいてはいたものの、廊下で長話は望ましくなくフィアは「戻ろう」と彼女たちを促すのだった。
部屋に戻るとすぐ、エリンが「お茶の用意をいたします」と言いながら足早にティーセットの用意を始めた。普段なら手伝わせるはずの小間使いを部屋の外に出して扉をしっかりと閉ざす様子は、先程フィアが覚えた違和感を引きずっている。
普段と違って落ち着きのない彼女の様子に、フィアはそのまま長椅子に腰掛け声をかけた。
「エリン……何があった?」
問いかけるフィアに、エリンは一瞬ためらうように視線を床に落とし、やがて意を決したように彼女の傍らへ歩み寄り、膝をついた。そして声を潜めて囁く。
「さきほど、商人の従者から聞いたのですが……」
エリンの声音は少し掠れている。
「アーセリオン王が、マリエンナ様を所望している、と――」
まるで胸を貫く槍のようだった。フィアの目は見開かれ、息が詰まる。
「……なんだって」
喉がひりひりと乾くような感覚と共に、どうにか強張る言葉を絞り出した。エリンは暗い顔を伏せたまま、小さく囁く。
「そのような話が、アルストリア国内で囁かれているそうです……」
マリエンナ、誰からも愛されるかわいい妹。誰もが認めるアルストリアの至宝。
最初からわかっていたことだ。戦勝国が欲しがるものはガラクタでなく宝だと。それなのにいざその現実を突きつけられると胸が塞ぐ。
(あの人が……マリエンナを?)
考えがまとまらず、フィアは自分の胸に重くのしかかる感情に戸惑った。それを表現するのに相応しい言葉がまだ見つからなかった。
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