遠ざかる背中
サイラスは再びゆっくりとワイングラスを傾けながら、その鋭い視線をフィアに向ける。
「武芸とは少々意外だな。……なぜだ?」
突然投げかけられた質問に対してフィアの胸は一度強く脈打った。武芸を学び始めた理由——それは自らが側妃の娘として疎まれ、孤独を埋めるための手段だった。そして、恵まれた体型をせめて活かそうと考えた結果でもある。
だがそれを正直に語ることなど出来なかった。
「……単に体を動かすのが好きだから……かもしれません」
ひねり出した言葉は大げさな嘘ではないが、完全な真実でもない。サイラスは目を細めて彼女を見つめたが、それ以上に深く追及する様子はなかった。
「そうか」
短い返事の後、無造作に体を椅子に預ける。
「アルストリアには女性だけの騎士団があるという話を聞いた」
サイラスがわざわざアルストリアの内部事情に言及することにも、珍しく会話が長続きすることにも軽く驚きつつもフィアは頷いた。
「『ロイセルダム騎士団』といいます。王族の女性に仕えるため、選ばれた女性のみで構成され、王女や王妃に随行して守護します」
ロイセルダム騎士団は陰ながら王家女性を守るその役割から、王家に仕えるほかの騎士団や軍と違って規模も小さい上、国内においてさえ大々的に名を知られる存在ではない。故に、フィアがロイセルダム騎士団長を務めていたことをアーセリオンが掴んでいるかどうかは不明だった。
ただ、こんな風に切り出してくるということは、もしかしたら知られているのかもしれないし、そこまでいかずとも鎌をかけられている可能性もある。
とにかく、あまり自分自身から情報を明かさぬように言葉を選びながらも淡々と語るフィアをサイラスは面白がるように見つめている。これまで冷たく無表情だった彼の目に、今はわずかな光が宿っていた。
「興味深いな」
低い声でサイラスは言った。
「女性だけの騎士団というのは、我が国にはない風習だ」
その口調には確かな好奇心の色が混じっていた。もともと冷たいばかりのように感じていた鋭い目元が、わずかに柔らいで見える。フィアはその変化に気づいて微かに目を瞠った。
(戦の中で生きてきた武人だから……こういう話のほうが面白く感じるのだろうか)
席は遠く離れているが、フィアの眼差しを感じたのかサイラスが片唇をわずかに上げて言った。
「馬にも乗ると言ったな。我が国の馬はいいぞ」
「それは先日よくわかりました。特に王騎は見事でした」
「あれは特別だが、それ以外もよく走る。騎乗の希望があらば用意しよう」
瞬いてフィアはサイラスを見返した。特になにか含意があるわけでもなさそうなさらりとした申し出は驚くに値するものだった。もちろん監視はつくのだろうが、人身御供として送られた者をわざわざ馬に乗せて外に出す道理がない。
「どうした」
椅子に掛けたサイラスが顎を微かに上げて尋ねてくる。わざわざ聞かれたということは質問をしても良いという意味と取ってフィアは指先にすこし力を込めた。
「いえ、……なぜ、そこまでお心遣いいただけるのか、正直分かりかねるのですが。先だっても、我が国の商人からお代は貴国より頂いていると言われました。私のみならず侍女たちの衣装の分もです」
「ほんの数着だろう」
なんでもないことのように返してサイラスが軽く目を眇める。先ほどまでのいくらか和らいでいた視線と違う、鋭利な眼差しがふたたびフィアの上にひたりと宛てられた。
気圧されそうになる自分を叱咤しつつフィアはその目を見返す。今、一番尋ねてみたかったことをフィアは正直に口にした。
「アルストリアの王女に、何をお望みですか」
アルストリアの誇る至宝でない自分が手元に届いて、この男はどう思ったのか、何を考えたのか。これからの処遇を決めかねているのか、それとも決めた結果がこれか。
考えてもわからないことだらけで足元が揺らぐような心もとない気持ちになる。
けれどもその質問にサイラスは答えなかった。彼はガタリと音を立てて椅子を引き、立ち上がる。
あまりにもストレートな疑問をぶつけたことで機嫌を損ねたかもしれないと焦ったフィアも椅子を引いた。
「っ、お待ち下さい」
「またいずれな」
そう言い残したサイラスはそのままさっと身を翻して晩餐室を出ていってしまった。取り残されたフィアは力なく椅子に腰を下ろす。
(失敗した……)
これまでずっとほとんど話すことも出来ずにもどかしく過ごしてきて、今日ようやく掴みかけた会話の糸口。彼の表情が和らぐのを見て焦って踏み込みすぎたのだ。きっと問いかけの仕方もまずかった。自分の役割ぐらい自分で考えろと呆れられても致し方ない。
落ち込んだフィアが肩を落として座り込んでいると、しばらくしてロウではなく別の騎士がフィアを部屋まで送りにやってきた。若い騎士は緊張した面持ちできびきびと深々と頭を下げた。
「ロウ近衛騎士長は所用のため、私が代理としてお送りいたします」
「ありがとう」
自己嫌悪しながらフィアは嘆息混じりに呟いて立ち上がった。背を伸ばして立つと迎えに来た騎士とフィアの背丈はほとんど変わらない。ヒールで上げていることを考えると彼もなかなかに背が高い。
お陰でほぼ正面に顔を合わせることになり、そうすると若い騎士は微かに頬を上気させた。若いというより少し幼いくらいかもしれない。こんなささやかなことであっても近衛騎士長から任務を命じられたということが嬉しいのだろうとフィアはその初々しさを微笑ましく思って、心を和ませた。自分がロイセルダム騎士団へ入ったばかりの頃にそんな風に気を張っていたことがあったのを思い出したからだ。
騎士団の話をしていた時はよかった。あのサイラスが興味を示して面白そうに聞いていた。
本当に、しくじった。フィアは溜息を噛み殺して若い騎士の背中について歩き出した。




