荒らすには惜しい国
「だが」
サイラスの声が、冷たくも力強く続く。
「その前に我が国が貴国を取り込めば、帝国もおいそれと手出しは出来なくなろう。もし我が国に従属あるいは併合を受け入れるならば、我が国が貴国を守ることも出来る」
その言葉にフィアは驚き、はっと顔を上げた。
講和の申し出の際に言われたことを思い出す。アーセリオンはアルストリアと平和的に強固な関係を結ぶことを望む。それが従属、あるいは併合——ということか。
「我が国を守る……と仰るのですか?」
けれどそんなことをして、アーセリオンに一体なんの得があるのだろうかとフィアは疑問に思った。
むしろグランヴィスカと大戦争をするにあたっては両国ともアルストリアに進軍するのが最短の道。そこをそのまま戦場にしてしまえば、どちらの国も自国の領土を戦火で荒らさずに済むのではないか。
意図の読み取れない言葉に彼女はわずかに眉を寄せた。けれど彼の次の発言は、さらに意表を突くものだった。
「アルストリアは荒らすには惜しい、美しい国だ」
あまり表情を動かすまいとしていたフィアの眉が思わず動いた。その言葉に込められた真意を測りかね、彼女は顔を上げてサイラスを見つめる。彼の表情は冷たく無感情だが、その瞳には微かに感慨めいた光が宿っているように見えた。
サイラスは手にしたワイングラスを軽く揺らし、その深紅の液体を眺めながら続けた。
「アルストリアは大陸でも指折りの豊かな土地をもつ。温暖な気候に肥沃な大地、豊かな文化と歴史を持つ。乱世の中でこれほどの国が今もって存在していることは奇跡とさえ言える」
サイラスの声にはこれまでの冷たい威圧感とは違う響きが混じっていた。それがわずかな賞賛の念によるものなのか、それともこれも計算の一環なのか、フィアには判断がつきかねた。
「だが——」
彼は短く言葉を切り、視線をフィアに向ける。
「アルストリアは八方美人をして何とか生き残っているだけに過ぎない。お前たちは、どの国にも良い顔をしてきた。帝国にも我が国にもな。これまでどの陣営にも属さず、中立を保ってきた。それが国を守るための選択だったことも理解はできる」
彼はワイングラスをテーブルに置くと腕組みして尊大にフィアを見下ろした。
「だが、それこそが貴国の弱点だ。八方美人でいるということは誰からも信用されないということだ。信頼を築かず、名実ともに『友』と呼べる国を持たない。その結果、いざ危機に瀕したときに誰の救援をも得られないのは当然のことだろう」
サイラスの言葉は厳しい現実を突きつけていた。
アルストリアがこれまで中立を守り続けてきたのは、戦火を避け、独立を維持するためのほとんど唯一の手段ではあった。一方で両国に飲み込まれていく数多の小国を、隣人たちをこれまで見殺しにしてきたのも事実だ。
たとえば十年ほど前には、アルストリアの東と国境を接していた国にアーセリオンが進軍した際、アーセリオンからはわざわざ使者が遣わされて、軍がアルストリア国境を通ることを認めるようにと求められた。貴国に対しては一切の迷惑をかけることのないよう約束する、ただ通行許可を求める――その求めを、王は『我が国は、貴国と他国の戦争の一切に関わらぬ』という返事をすることで容認した。これはアーセリオンが東の隣国を滅ぼすのを黙認したに等しい。それどころか、最短距離での進軍のため自国領土の通行を許すことは間接的に手を貸したとも言える。
今やアルストリアの国境は二国のみに囲まれた状態となっているが、その外側にまだ両国に抗ういくつかの国が残っている。でもサイラスの言う通り、これから両大国がアルストリアに攻め入ろうとしたとして、それらの国々がアルストリアに味方してくれることは絶対にないだろう。
「……国を守るための苦渋の選択でした」
苦しい言い訳であることは承知しつつもフィアはわずかに反論の意思を込めて口を開いた。その答えを聞いたサイラスはまたわずかに口角を上げた。
「それは分かっている。だが、その結果が今の状況を招いたのだとしたら、戦略として成功したと言えるだろうか?」
フィアは答えられなかった。サイラスの言葉に反論するだけの材料が彼女にはなかったからだ。
サイラスは黙り込んでしまったフィアに構うことなく食事を先に終えると席を立った。慌てて立ち上がろうとするフィアを片手で制して彼は最後に「明日、アルストリアの商人の訪問がある。入り用もあろう、好きに買い物をするといい」と告げるとさっさと出て行ってしまった。
後に残されたフィアは浮かしかけた腰を再び椅子に沈ませて、深い溜息をつく。
(どんな意図があるのか読めない——従属か併合、それを我が王に求めよということか? だがアーセリオンがわざわざ私を介して伝える必要などないはず。使者を立てれば済むことなのに)
これについては今思案したところで考えが及ぶまいとわかっているので、フィアは出ていき際に言われたことのほうにあえて意識を向けた。
買い物を許されたのはありがたい。エリンにもミラにも急ぎ出立してもらっているから、事前の用意は十全とは言い難い。
二人とも国にいれば貴族の娘として丁重に扱われるべき身分の女性たちだ。自分に着いてきてくれたが故の不便はどうしたとて取り繕えるものではないが、それでも少しでも居心地よく過ごして貰いたい。まずは彼女たちの衣服や身の回りのものをきちんと揃えてやりたかった。
そんなことを考えていると、再び扉が開いてロウが姿を表した。この男の足音はサイラスのそれと違うからわかりやすい。王の時に席を立ったフィアも近衛騎士長のために席を立つ必要は認めない。視線をやると、彼はテーブルを一瞥して言った。
「ワインをあまり飲まれていないようですが、お茶のほうがよろしかったでしょうか」
「いえ、結構です」
フィアは遠慮して首を振った。ワインだろうが茶だろうが、この場で口にしてもすんなり喉を通ってくれはしないだろう。
するとロウは不機嫌そうに眉間に皺を寄せて「それではお部屋に戻られますか」と聞いてきた。フィアが肯定すると彼はまた案内に立つ。
戻りの廊下を歩きながらフィアは彼の背に問いかけた。
「陛下に伺いましたが、明日は我が国の商人の訪問があるとか」
無愛想な男からどの程度の情報が引き出せるのかは未知数だったが、意外にもロウは足を止めてフィアに向き直るともったいぶらずに頷いた。
「商人は定期的に来ています。広間に商品を並べさせるので、用意が整いましたらご案内しましょう」
「彼らはどういったものを持ち込むのでしょう」
「様々です。布と砂糖は特にアルストリアのものが質が良い」
ロウのような無骨な男が素直に褒め言葉を口にしたのが意外でフィアが瞬くと彼はまた眉間に皺を寄せ、背を向けて歩き出す。その背にフィアはもう一度声をかける。
「侍女達も同席させても構いませんか」
「お好きになさるとよろしいかと」
素っ気ない返事だったものの認められたことが嬉しくフィアは「有り難く存じます」と礼を述べたが、ロウは何も言わなかった。




