二度目の誘い
その夜、フィアは寝台に横たわり、天蓋の奥をぼんやりと見つめていた。天蓋の縁が焚き火の炎を思わせるように揺れて見えるのは、今日の出来事が繰り返し脳裏を過ぎって、瞼を閉じることさえ許さないからだろう。
アーセリオン国王サイラス・ヴァーモント——あの男の存在感は尋常ではなかった。黒い瞳は深淵のように底知れず、覗き込む者の心を静かに暴き立てるような冷たさを宿していた。膝に抱き込まれたあの瞬間の恥辱と無力感、それでも拒絶する余地すら与えない彼の圧倒的な支配力。
父王から寝首を掻けと言われて、フィアは自分ならばまだ可能性があるかもしれないと考えた。騎士として修練した自分ならば、無防備になった瞬間を狙って刃を用いて殺めることも出来るかもしれないと。
だが、初めて対面したアーセリオン国王のあの隙のなさ。寝首を掻け、そんな一言で済むほどの簡潔な命令の無謀さを思い知らされた。
(人を喰うと噂されるのも、分からないではない……)
長く溜め込んだ息をようやく吐き出し、フィアは寝返りを打って体を横に向けた。冷たい布の感触が、少しだけ体を落ち着かせた。
あの後、部屋に引き上げると心配そうに待っていたエリンとミラに迎えられた。長椅子に掛けたフィアの前にすぐに茶が用意される。二人の表情には、フィアが無事に戻った安心感だけでなく、敵国の王がフィアに——ひいては自分達に対してどのような処遇を与える気でいるのか気に掛かるのだろう、興味と不安が入り混じった複雑な感情が浮かんでいる。
「フィア様、アーセリオン国王陛下とのご面会はいかがでしたか?」
小間使いを部屋の外に出して三人だけになると、初めての面会の持つ重い意味を知っているエリンが向かいに掛けて慎重に尋ねてくる。
その答えを考える間もなく、若いミラが前のめりに口を挟んできた。
「どのような御方でしたか? 本当に『人喰い王』と呼ぶに相応しいような方だったのですか?」
これにフィアは思わず自嘲気味な微苦笑を浮かべたが、その表情をエリンは別の意味に解釈したらしい。彼女はミラを軽く睨むようにして窘める。
「ミラ、そのように下賤な物言いをしてはなりません」
「いいんだ、エリン」
フィアは苦笑を浮かべたまま静かに制し、ミラの好奇心に満ちた眼差しを受けながら言葉を選ぶ。
「本当に人を喰ったと言われても驚かない。それほどに恐ろしい男ではあった」
その一言に、尋ねておきながらミラは引きつった顔で思わず息を呑んでいる。
「だが——」
フィアは苦笑し、肩をすくめて続けた。
「いかに恐ろしくとも、一国の王が人を喰うことはないだろう。それに口数が少ない方で、ほとんど話せなかった」
「えっ? でも随分と長くご面会でしたのに」
ミラの純粋な驚きにフィアは目を伏せた。確かに、昼に呼ばれて出ていって、戻った今は既に夕刻だ。ずっと面会していたとしたらよほど話が弾んだか、その真逆で話が拗れたかのどちらかのほうがよほど自然で、会話がなかったと言っても信じては貰えないだろう。
答えに窮するが、それでも先ほどあったことを全て話す気にはなれないフィアが軽く視線をそらすと、長年の経験で微妙な空気を感じ取ったらしきエリンがすかさずミラを咎めた。
「慎みなさい」
ミラは「申し訳ありません」と慌てて頭を下げたが、まだ腑に落ちない表情を浮かべていた。
ロウとあのような会話をした以上は、夕食はきちんと摂らねばならない。もしサイラスが同席だったらと緊張して訪れたダイニングにはいつも通り一人分の用意しかなく、そのことには安心した。
すっかり食の細ったフィアには些かの苦心を要したが、ほどほどに食して辞すことが出来たのは、昼の粥が少なからず呼び水になった部分もあったろう。
今もまだ胃のあたりが温かいような気がする。
フィアはシーツの作り出す影をしばらく見つめていたが、これ以上なにかを考えたとて答えが出ることもないだろうと諦めて目を閉じた。
そして翌朝。支度を済ませ、ごく軽い朝食を済ませたフィアの前にロウが姿を見せる。相変わらず
彼は愛想のなさを隠しもせず無表情に腰を折る。
「アルストリア王女殿下」
「ロウ近衛騎士長。どうなさいましたか」
「陛下が、本日の昼食をご一緒にいかがかと」
予想外の誘いに動揺をあらわにすることなくフィアはナプキンをテーブルに置いて微笑する。
「もしや昨日のように外にお出掛けなさるのでしょうか?」
問いにロウは首を振った。
「いいえ、本日は晩餐室にお食事をご用意いたします」
「それでは喜んで」
正式な招待と受け取ってフィアは頷いた。
部屋に戻ってからエリンに、王から昼食に招かれたことを伝えると昨日の今日ということで驚かれた。
「昨日はあまりお話しになれなかったとのことでしたが…」
「だから、改めて…ということかもしれない」
自分で答えながらもフィアはそれを疑っていた。昨日の態度からは、とてもそんな殊勝な性質の人物には見えなかった。
あるいはあまりに乱暴な初対面を詫びる気でもあるのだろうか。それで正式な招待を?
なんにせよ、応じるからにはこちらもそれなりの態度を示さなければならない。昨日も一応気を遣って正装をしていったのだが、今日はどうするべきかと悩み、結局はここへ到着した日に身に着けていた赤いドレスを選んだ。アルストリアが従う意思があることを示すには良い装いのはずだ。
昼前にエリンの手によって髪を結い上げられ、昼の装いに相応しい化粧を施されたフィアを例によってロウが呼びにやってくる。
「どうぞ、こちらへ」
彼に案内され、フィアが通されたのは、それまでの食事の場とは一線を画す格調高い正式な晩餐室だった。国王が外交の場として用いる場所は見るからに格式が違う。




