手ずからの一匙
馬が森の縁に差し掛かると、木々が織りなす陰影が二人を包み込む。葉が秋風に揺れ、弾かれた太陽の残光が木漏れ日となって彼らの道を照らしていた。陽は差していてもドレスのみで風に吹かれるとかなり肌寒く、フィアはサイラスの腕の中で身を縮込める。
森に分け入って馬を走らせたサイラスは、小さな滝が流れ落ちる細いせせらぎの川辺で馬を止めた。周囲を取り囲む高い木々の間から、澄んだ水音と鳥の囀りが聞こえる。午後の陽の差す空は秋特有の冷えた空気を漂わせ、風が木の葉をさらっては川面へと落としていた。
サイラスは一足早く馬を降りると、横乗りにされたままのフィアの体に無造作に触れて、ひょいと抱き下ろす。その動作は一瞬のうちに行われて意志を問う気配すらない。フィアはそのまま地面へと降ろされた。
「陛下、私は自分で——」
そう言いかけてフィアは目を伏せた。
自分で騎乗させてもらえれば、こんな風に子供扱いされることもなかっただろう。
だが、サイラスにその意図がないことを彼女は既に理解していた。ただ屈辱を呑み込み無言のまま彼の背中を見送る。
サイラスは馬から下ろしたフィアを振り返ることもなく、黒馬の手綱を引いて水辺へ向かい、その大きな頭を軽く叩きながら水を飲ませている。一方で、二人を追ってきた従者たちが遅れて到着し、近衛騎士長であるロウが指示を飛ばした。
「薪を集めろ。火を起こす準備を急げ」
従者たちは命令に従い、川縁に散らばる枝や葉を手際よく集め始める。彼らの一糸乱れぬ迅速な働きぶりのお陰で見る間に川辺に焚き火が立ち上り、煙が揺れる秋空へと昇っていく。
ぽつんと取り残されたフィアは無意識に冷えた腕をさすりながら、川辺の景色に目を向ける。
色づいた木々の葉が風に吹かれて、時折ハラハラと水面へ舞い降りていく。冷えた空気が肺に染みる感覚がどこか心地よく、少しずつ気持ちが落ち着いていくように思われた。
「陛下、粥が炊き上がりました」
控えめな従者の声がフィアにも聞こえる。
鉄の小鍋で炊き上げられた粥からは、湯気が漂い、ほんのりと優しい香りが立ち上っている。しかし、その報告と共に従者はちらりとフィアを見遣り、サイラスへ進言した。
「王女殿下のお体が冷えます」
サイラスは眉を寄せ、無言で片手を振って従者たちを下がらせた。
この王は、とかく口数が少ない。けれどそのわずかな言葉でもって下される命令に対して忠実なる従者達は迅速かつ的確に従うようだ。ロウを含む後続の従者達はサイラスとフィアをその場に残して、馬を連れさっと身を引いて距離をとる。
周囲から人がいなくなると、サイラスは焚き火の脇の切り株へ無造作に腰を下ろし、フィアに向かって短く言った。
「来い」
その命令にフィアは一瞬戸惑う。
城を出る時に昼食の用意だと言っていたから、この粥は昼食用なのだろう。
(今ここで食べるから隣に控えていろという意味? それともこの『昼食』を共に食せと?)
彼女がどうしたものか考えあぐねつつも前に進み出たところで、おもむろにサイラスの長い腕が伸びてきた。
端的に言って、この男の攻撃範囲は広すぎる。機敏な動きと的確な手さばきで、手首を掴まれたと思った次の瞬間にはもう彼の懐に引き込まれている。それでいて掴まれたフィアの手首が痛むことはなかった。
「——っ!」
息を呑むほんの一瞬でフィアは彼の膝に抱え込まれる形になった。彼の温みを宿した外套が自分の体を覆うと確かに寒さは和らいだが、それ以上に羞恥心が胸を押し潰した。
「…お戯れを!」
抵抗するように身を捩るが、がっちりとフィアを抱き込んだサイラスの腕は鋼鉄のように動かない。
「動くな」
短い言葉が、フィアの焦りを誘う。何をされるのか、どういう意図があるのか読みかねてフィアは身を竦ませる。
底知れぬ黒い瞳を手中のフィアにひたりと当てて、サイラスはまるで彼女の意思など一顧だにしない無頓着さで、無造作に問いかけた。
「ならばこの粥を食べるか」
「……!」
問いかけを自身の脳裏で反芻してフィアはすぐに選択肢などないことに気付いた。今、この状況から解放されるなら毒であろうと食べてみせる――そう思いながら、震える声で答える。
「喜んで頂戴いたします」
「そうか」
そう言ったサイラスは木の匙で熱い粥をすくうと、無言でフィアの口元に突きつけてきた。
(喜んでとは言ったけれど、まさか…手ずから与えるものを食せと!?)
今のこの状況を喩えるなら、膝に抱えた頑是無い赤子に匙を含ませようといったところか。
さっと耳元まで熱が昇りフィアは震えを隠せない。
(こんな扱い…!)
罵倒にも憤怒にも、あるいは公然と侮辱されたとて耐えられるが、これはそれとは違った種類の恥辱だ。
唇を引き結んでいても匙がどく気配はなく、しばらく奥歯を噛み締めて震えていたフィアも、とうとう諦めて匙を口に含んだ。




