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愛されなかった王女

 九月の暮れ。まだこの季節には早い冷え冷えとした風が吹いている。

 遠駆けの訓練を終えて一の閣へと戻ってきた騎乗の騎士団の一行が城門をくぐり抜ける。

 曇天の空を流れていく雲の速度に、その列の先頭に立って栗毛の馬を進めるアルストリア王国の第一王女、フィア・デ・ローゼントールはわずかに目を細めた。

 きつく編み上げた赤髪、深い青の瞳。強い色彩のコントラストは、その端正な顔立ちとよく合っている。馬上に映える、すらりとした長身に身につけた女性用に軽量化された黒鉄の胸当てと革の装束はさながら精悍な若武者といった風情だ。腰から下げる剣も当然本物である。


「団長、どうかされましたか」


 わずかに下がって横を行く副団長の女性が気遣わしげに声をかけてきたのに顔を向けて、フィアは瞬いた。


「いや、何でもない。ただ少し天気が気になった」

「一雨来るでしょうか」

「どうかな。こうも風が強いと雨雲さえも押し流されていくかもしれない」


 軽く冗談めかして答えたフィアは視線を王城へと向け直す。自らが生まれ育ち、暮らす端然とした城の佇まい。けれどそこには、あるいはそれを見つめるフィアの心の内には、うっすらと紗のような暗い影が垂れ込めているのだった。




 赤毛の少女が初めて自らの立場を意識したのは、まだ物心ついたばかりの頃である。

 まだ生まれたばかりの、金髪の巻き毛と青い瞳を持つ愛らしい異母妹マリエンナが父王と王妃の膝に抱かれる一方、フィアは遠く、扉の陰からそれを見つめるしかなかった。そして王妃ロゼリナはそんな幼い少女のことを冷たい刃のような眼差しで睨みつけていた。

 フィアはアルストリア国王の側妃の娘である。すでに王妃との間に王子を設けていたアルストリア国王が、王妃の侍女を務めていた侯爵家の赤毛娘に悪戯に手を出した結果、授かった長女であった。そして戯れで始まった関係は、孕んだ侍女を側妃に取り立ててやって以降は長続きはしなかった。

 フィアがまだ五歳になったばかりの頃に母が病で没すると父王ベルナルトの目にも彼女は滅多に映ることがなくなった。

 側妃の娘であることに加え、金髪碧眼揃いの現在の王家では異端となる燃えるような赤毛。お陰で家族が集うはずの場で、いつも彼女だけが浮いていた。それが彼女の王家の中での居場所をますます狭めていったのだった。

 彼女は早くに悟った。愛されるには美しく従順であるべきだと。

 アルストリアでは、女性は小さく可愛らしいことが尊ばれる。男たちが手中の珠として愛でる存在、それが女だと。

 現に王妃ロゼリナも華奢で小柄であったし、その娘マリエンナは輪をかけて小さく愛らしい。

 フィアの母ノアも平均的な体つきをしていたが、残念ながら天はフィアにその美点を与えなかった。成長するにつれて真っ直ぐに伸びたしなやかな長身は父王に迫るほどとなり、アルストリアの女に対する美の基準から大きく外れていった。


『妹姫のマリエンナ様はあんなにもお可愛らしくていらっしゃるのに』

『昔から、女の背の高いのは、神がお作りになる際に手元が狂ったというんだよ』

『見てごらん、いかにも愚鈍そうな上背だこと』


 そんな陰口はいつものこと。

 父王からも、遠く玉座からこう言われたものだ。


『図体ばかりが大きくて、愛らしさの欠片もない』

『あの歳であの丈だ、見ると不快になる』

『男を見下ろす女など、女のうちにも入らぬわ』


 毎朝、着替えのために鏡を見つめる度に彼女は心の奥で我が身を呪った。

 それでも、いくら嘆いたところで誰も振り返らない日々を経て、堪えた涙はやがて剣に変わった。

 十五になった年、フィアは意を決して騎士団の訓練に志願した。

 この国には、王家の女性のそば近くに仕える女性のみで構成されたロイセルダム騎士団という組織がある。フィアのように長身の女性はアルストリアでは疎んじられることが多い中、数少ない歓迎される場、それがこの騎士団であった。

 もともとうら若き王女のそばに四六時中、男の騎士を置くことを忌避せんがために作られたというだけあって、人数はほんの二十人ほどと少ない。通常の騎士団と違って城の警備などの任はなく、王族の女性が行動する際にそば近くに控え、護衛や荷運びなどの力仕事を引き受ける。

 本来ならフィアは王女であって王家を守る側に回る人間ではない。

 しかし、家臣たちのざわめきと父の無関心をよそに彼女は剣を握った。父の目に映らぬ娘の孤独が鋭い刃に姿を変え、身を包む鎧が誇りを守るものとなった瞬間だった。

 剣技や体術に関する彼女の卓越した才能はすぐに開花し、三年もするとロイセルダム騎士団を率いるに至った。

 今や宮廷の中では国王を筆頭に、彼女を『ロイセルダム騎士団長』と呼ぶ者がほとんどだ。名誉の称号であるはずのそれが、彼女の『王女』としての立場を否定する響きを持つことに、フィア自身が気づかぬわけもない。

 幾度となく果たした任務――たとえば祭りの日、異母妹の花籠を持ち、背後に従う役目を果たしながら、『姫様』を寿ぐ人々の歓声の中でフィアは己を押し殺した。王族の名を持ちながら、陰に徹することを要求されるのがどれほど痛ましいことか、彼女は誰にも明かさなかった。

 誰にでも愛され、称賛される異母妹マリエンナの鈴を転がすような朗らかな笑い声は折に触れて胸を刺した。それでも妹を恨む気持ちはなかった。むしろ、三つ年下の、過保護に育てられたが故に歳の割にひどく幼い妹は自分が守るべき存在だと考えていた。しかし、同時にその存在が自らの影を濃くするものであることに時折どうしたとて抗いがたい苦しみを覚えることもまた事実だった。

 けれど垂れ込める暗雲に一条の光が差すときもある。フィアにとっての光は、王太子である異母兄エメリックの存在であった。

 国王譲りの華々しい金色の髪に、透き通った美しい緑の目。柔和な面差しに強い意思を宿した瞳が印象的な、輝かしきアルストリアの王太子。

 国王と王妃が徹底してフィアの存在を黙殺する中、兄だけは常に「母は違えどお前は我が国の第一王女、もっと大切にされるべきだ」と言って父母の態度を諌めてくれた。

 四年前に彼が隣国グランヴィスカ帝国と接する南方の重要な任地に赴いてからは滅多に会うことは出来なくなったが、今でも彼の存在はフィアの苦難を和らげてくれている。なにせ任地に向かう際もフィアをこの宮廷に残すことを心配して、見聞を広める名目で南方へ連れて行きたいと言っていたくらいだ。

 今も時候の挨拶ばかりでなく文を寄越して、様子を尋ねてくれる。遊びに来るといいと促されることもあったが、兄の任地が物見遊山で行ける場所でないことくらいフィアはよく弁えていた。

 アルストリアは大陸でも古い歴史を持つ豊かな国だ。

 しかし、兄エメリックが赴いている南の国境は近年周辺国を蹂躙し併合を繰り返すグランヴィスカ帝国に迫られ、北はこちらも大国であるアーセリオンに接している。

 これまで常に中立を旨とし、いずれの国にも与せず等しく距離を保つ方針を堅持してアルストリアは独立を守ってきている。

 それでも現在は随分ときな臭い。王太子の軍を南に置いているのも帝国への牽制が目的で、効果はある一方で王太子が南方に釘付けになっている側面も否めない。

 肩越しに睨み合う大国の間でいつまで現状が維持できるか――というのが、目下の国王の悩みであった。

 騎士団の勤めを終えて団員が宿舎へと引き上げていくのと反対に、フィアは城内の自室へと上がっていく。

 奥棟の一室がフィアに与えられた部屋だった。王女のそれにしては質素だが、よく仕えてくれる侍女達のお陰で居心地は良い。

 その侍女のエリンとミラが揃って主人の戻りを出迎えた。


「おかえりなさいませ、フィア様」


 穏やかに言って頭を下げた年長のエリンはフィアより一回りほど年上で、伯爵家の出だが結婚がうまくいかず独り身のままずっとフィアの側仕えをしていた。フィアが十五になる前から仕えてくれており、大変気の利く女性だ。彼女は顔が広く、社交の面でもよくフィアを助けてくれる。

 一方、年若いミラは妹と同い年の娘で、子爵家の三女という王族の侍女勤めにはやや低い身分だが、物怖じしない明るい気性でフィアの周囲を華やがせてくれる。

 二人とも長身のフィアからは頭一つ見下ろす背丈で、これがこの国における女性の標準的な上背だ。


「お湯をご用意しております!」


 ミラが仰ぎ見てきらきらと笑顔を浮かべる。

 フィアは王族の浴場を使うことは滅多になく、いつも部屋で汗を拭う。侍女達は任務や訓練から戻る頃を見計らって湯の用意をしてくれていた。


「ありがとう。エリン、ミラ」


 フィアは二人の手を借りることなく剣帯を外し、騎士団の身分を示す鎧を素早く脱いでいく。

 普通、王女という身分があれば衣服を着るのも化粧をするのも、誰かの手によってなされるものである。けれどフィアはこの騎士団の装束の着脱を常に自分自身で行っており、化粧も普段は自分の手でうっすらと行うだけ。唯一、長い髪を結い上げるのだけはいつもエリンに頼んでいるという程度だった。

 鎧を外したフィアの汗を拭うべく近付いてきたエリンがふと首を傾げる。


「フィア様、なにかございまして…?」


 先程、副団長からも様子を窺われたことを思い出してフィアは苦笑する。


「何でもないよ、少しぼんやりしただけだ」


 普段は表情に乏しいと言われる自分が、今日はなぜだか人に違和感を抱かせる様子であるらしい。胸に過った悪い予感が気の所為で終われば良いが、と思いつつフィアは再び窓の外へと視線を投げたのだった。


 † † †

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