ナナカマドの指輪
突然頭上から降り注ぐ何かに、人々は慌てふためいた。
「なんだ!?何が起きている!?」
「降ってくるぞ!」
会場から逃げ出そうとする者、すぐには動けずしゃがみ込む者、妖精からの思し召しだと手を伸ばして我先にと雪のようなものに触れようとする者など反応はそれぞれだった。
しかし人々が逃げるよりも早く、記憶のカケラは彼らの肌に触れた。触れたカケラはポウッと光るとその光の中に映像を映した。映像は情報としてすぐさま脳に流れ込んでくる。
まるで元々知っていた記憶を思い出すかのように、会場中の人が今しがた得た情報を瞬時に理解していく。映像はいくつもあったが、彼らがそれらを理解するのに多くの時間は掛からなかった。
小さなエラがホルト家で使用人の様な扱いを受け、家族から虐げられる姿。
母親であるベロニカから、謂れのない罪でふくらはぎを執拗に鞭打たれる姿。
およそ侯爵家の令嬢とは思えない見窄らしい服しか収まっていない小さな衣装掛けと、殺風景な部屋。
シャーロットにのみ服を誂えて、エラにはお下がりの服を与えるよう指示した父親ビルの発言。
ブサイクな顔を見せないでちょうだい!と罵りながら、シャーロットがエラの頭に飲みかけの果実水を掛ける様など。
それらの記憶を垣間見た後に、シャーロットの発言をそのまま信用することなどできるわけがなかった。
他人に見られるはずはなかった、醜いホルト家の姿が露呈する。降り注ぐ記憶を見たシャーロットは、顔を赤くも青くもしながら「嘘!嘘よこんなの!やめなさいよ!!見るなァッ!!」と金切り声を発していた。
『分かったと思うけど、盗人にしてはエラは何も持ってないーーよね?』
一気に様々な記憶のカケラを見た聴衆は情報に溺れたかのようにしばし呆けていたが、妖精の言葉で意識を取り戻す。
才色兼備でホルトの宝石と呼ばれていたシャーロットの裏を見てしまった今は、エラに盗み癖があるというのは嘘だとほとんどの者が感じていた。
「なっなっなによ!!ホルトの宝石である私がこんなことするわけない!!嘘に決まってるでしょお!?!」
シャーロットは家で当たり散らす時と同じように、ギャンギャンと叫ぶ。眉間に深いシワを刻み、目を吊り上げて、大口を開けて口汚く叫ぶ様は貴族としては致命的な振る舞いだった。
『キミは…時の神とボクの行いが信じられないって言うのかな?』
「…っ!!」
この国では妖精は良き隣人であると同時に尊ぶべき存在でもある。彼らの存在が土地や空気中に満ちている魔力を回し、実りをもたらすのだから。魔力を扱えるのは妖精しかいない。妖精に嫌われた国や土地は訪れる終わりを待つしかなくなってしまうのだ。
そんな彼らの行いを「嘘だ」と言ってしまうのは大問題であった。
妖精の機嫌を損ねてしまって土地が100年不毛の呪われた地となったことだってある。この国に生きる者としては知っていて当たり前の、子どもでも知っている教えだ。
しかしシャーロットにも意地があった。今まで蝶よ花よと可愛がられて来た。立ち回りが上手く、社交界でだっていつも持ち上げられる方だった。そんな彼女が今の地位を手放すのを、許せるはずがなかった。
「ああああ…あり得ないあり得ないあり得ない…エラが…エラなんかが私の上に行くなんて許せない…エラなんか這いつくばっていればいいのよ…っ」
しかし地に落ちてしまった好感度をすぐさま元に戻す方法などないと、シャーロットも分かっていた。叫ぶことをやめてブツブツと呟きながら、恨みのこもった言葉を吐き続ける。
壊れたように呪詛を唱えるシャーロットを別室に案内するようにと、クラウディウスが使用人に指示を出し、コホンとわざとらしく咳払いをして仕切り直しだとばかりにエラに向き直る。
「エラ。君の潔白が証明された今、皆の前で宣言したい」
クラウディウスの発言に、会場が静まって行く。変わってしまった会場内の空気にエラが戸惑っていると、クラウディウスは彼女の前に跪いた。翻るマントと相まって、さながら御伽話のワンシーンの様だった。
「私、クラウディウス・フォースターはエラ・ホルトに結婚を申し込む。どうか、受けてくれるだろうか」
クラウディウスはポケットからベルベット張りの箱を取り出して、エラに向けて開いた。そこには指輪が鎮座していた。
ナナカマドの花をデザインしたリングに、ナナカマドの赤い実をイメージしたルビーがあしらわれている。妖精が好きな植物を使うのはスピライト国の伝統だ。
自分に価値があると思えないエラですら、疑う余地もない程の完璧なプロポーズだった。
(私でいいのかな…)
真っ直ぐにエラを射るクラウディウスの目を見ても、返事に戸惑ってしまう。家族からの愛も知らない私が国民を守る王妃になどなれるのだろうか。その思いから、手が震える。
「…気乗りしないのであれば熟考の時間を設けるよ。私を知ってもらってからでも遅くはないからな」
他の者に聞こえないよう、小声でクラウディウスは告げる。その表情は優しく、決して圧力を与えないようと心がけた笑顔であった。
そもそも王族からのプロポーズを、ただの侯爵令嬢が断れるわけもない。指輪を受け取るしかないのだ。にも関わらず目の前の王太子殿下はエラに考える時間をくれると言うのだ。命令して抑えつけようとしないところに、彼の優しさを感じる。
エラはこれ以上待たせてはいけない、と震える手を伸ばす。家事仕事のせいで荒れた手でエラは上等な手触りの箱を恭しく受け取った。
「…はい。私エラ・ホルトはクラウディウス・フォースター王太子殿下からのお申し出、謹んでお受け致します」
プロポーズが受け入れられたことを祝福し会場中から拍手が贈られた。めでたいことだと、小さな隣人達もクラウディウス達の周りをくるくると回った。
その光景はとても美しく幸せそのもので、後に描かれて城下町の平民達の元に号外として配られるのだった。