クラウディウスの過去
そもそも、この国の王太子であるクラウディウスになぜ17歳になる今日まで許嫁がいなかったのか。
時は少し遡る。
クラウディウスが5歳になる年、許嫁として紹介された少女がいた。
この時クラウディウスはすでに『妖精の愛し子』であることが分かっており、兄であるアレクサンダーを退けてスピライト国の王位を継ぐことが決まっていた。
愛し子だと言うことで、腫れ物に触るかのように周囲に大事にされているのが辛く感じたこともある。5歳にしてすでに息苦しさを知っていた。
「クラウディウス・フォースターです」
「レイチェル・ブラウン・シルフィードです。初めまして」
同じく5歳だという、隣国の王女のレイチェル。同盟を強めるための政略結婚だが、王族として当然だと、クラウディウスは納得していた。
まだ恋は分からなかったが、花のように笑う少女を可愛らしいと思ったし、一緒にいい国を作って行きたいと感じた。
「クラウディウス様は妖精が見えるのですよね?」
「今もいますよ。僕の手のひらの上、見えますか?」
何かを乗せているような形を作った手の上の空間をレイチェルはじっと見る。しかし彼女は妖精の姿を見ることはできなかった。
「…だめです。クラウディウス様と会ううちに見えるようになりますか?」
「うーん…妖精を見るためには波長が大事らしいのです。波長が後から合うことはあまりないみたいです」
「そうなんですね。残念です…」
クラウディウスにとっては生まれた時から常に一緒にいる存在である妖精は、人生の一部だ。
その妖精達の可愛らしさや美しさや、時に見せるイタズラな一面 ーーそういった所を共有できないのは寂しく感じる。
今も自分を取り囲んで飛び回る妖精が許嫁となる彼女には、見えないのか。
もちろん、妖精が見えずとも王妃にはなれるし、この婚約で大事なことは国同士の繋がりを深めることだ。幼いながらにそのことを2人はきちんと理解している。クラウディウスも一抹の寂しさを飲み込んで、レイチェルに笑いかけた。
親達の見守る中で差し障りのない会話をしていると、クラウディウスの4歳上の兄であるアレクサンダーが父を呼びにお茶会の場に姿を見せた。
その時、空気が揺らいだような気がした。
『ボクたち、あのコ、いやだ』
「えっ?」
妖精の怒ったような声に聞き返すと、天気が急に荒れ始めた。先程まで暖かい春の陽気に包まれていた庭園が、激しい雨風に晒される。
突然の悪天候に王家付きのメイド達も慌てふためき倒れそうになるティーポットを押さえたり、主人のためにせめてもと日傘を開こうとしたり大忙しだ。
しかしよく見ると雨風に打たれているのは隣国のシルフィード国の者たちだけである。それも、レイチェルに向かって竜巻のような鋭さを持った風が吹きつけている。娘を庇おうと抱きしめている国王夫妻にも勢いを持った葉や石が当たってしまっていた。
「なっ、何をしているんだ!やめろ!やめてくれよ!!」
『だってあのこはクラウドじゃないほうがいいっておもったんだよ!』
『そうだよーおにいちゃんのほうがよかったっておもってたよー』
『そんなのゆるせないよね〜』
『クラウドをだいじにしないツガイなんていらない』
妖精の仕業だと気が付いたクラウディウスが彼らを止めようと声を荒げたが、妖精達は非はレイチェルにあると言って聞かない。
「お前たち!やめろっっ!!!」
クラウディウスの大きな声で、妖精達は雨風の力をようやく緩めた。
「俺は怒ったりしてないから…だから、だから彼女達を許してやってくれないか?」
『んー…わかった。クラウドがそこまでいうなら…』
そうして、ようやくシルフィード国の者たちは妖精達の起こした竜巻から解放されたのだった。
初めは呆然としていたシルフィード国王夫妻だったが、すぐに国王の方が我に返り口を開く。
「何をなさるのか!?親交を深めたいというお言葉は嘘だったのか!?」
「い、いえ!我々としても突然のことで…っ」
怒りのままに再び開こうとしたシルフィード国王が口を噤んだのは、彼は妖精が見えるタチのものだったからだ。
クラウディウスの周りでこちらを睨む妖精達。ここはひとまず言葉を飲み込む方が賢明だろうと判断し、シルフィード国王は姿勢を正した。
「ごほん…っ。取り乱して申し訳ない。しかしこれはどういう事なのですかな?」
「まずは原因を究明致します。すぐにご用意しますので、お身体を温めて来てください。お着替えが終わる頃には説明できるように努めますので」
「…分かりました。では、1時間後に」
クラウディウスの父であるローレンスが侍女に湯浴みの用意を命ずると、シルフィード国王達も部屋に下がっていった。
「父上…っぼくは…!僕は彼女達を傷付けたいだなんて思ってません…!」
「…分かっている。『愛し子』を優先する妖精達がお前の為を思ってしたんだろう」
「ごめ…ごめんなさい」
「お前が悪いのではない。しかし、感情制御の授業は早めに行った方がいいだろうね」
ローレンスは息子の頭を優しく撫でた。
結局、暴風雨の原因は妖精達がクラウディウスの番としてレイチェルを認めなかったから、だった。
妖精は人間達が考えたことをなんとなくではあるが読み取ることが可能である。
レイチェルがクラウディウスに対して抱いていた好意的な感情よりも、アレクサンダーがお茶会の場に姿を見せた時の『なんてかっこいい人!』という感情の方がより強かったことが妖精達は許せなかったらしい。また、愛し子であるクラウディウスの番が妖精を感じ取ることすらできないところも、気に食わなかったようだ。
『クラウドがあのツガイをすきになるようならボクたちもなにもしなかったよ』
『でもべつにクラウドあのおんなのこのコトすきじゃなかったでしょー?』
『ならいいよね〜?』
妖精達に何故あんなことをしたのかと問うた時に、彼らは悪びれもなくこう言った。その反応を見てクラウディウスは初めて妖精と人間が別の生き物なのだと認識した。
時間をかけて分かり合っていく人間とは違い、妖精は刹那的に生きているのだ。生まれ持った生命の波長が合うから愛してくれるし、力を貸してくれる。たまたま気に入ったから祝福を与える。今この瞬間に気に入らないと思ったから攻撃をする。
その性質は、人間とは似て異なるものであるとその時にようやく気が付いたのだった。
結局、クラウディウスとレイチェルの婚約は解消された。
しかし、大陸の端に位置するスピライト国と唯一の国境を有する隣国であり、最大の貿易国でもあるシルフィード国との同盟は強化しておくに越したことはない。今回の一件もあり、アレクサンダーがシルフィード国に婿入りするということで方がついた。
そして、クラウディウス本人と妖精が共に望む人物が見つかるまで王妃候補の座は空席とすることとなったのである。
この出来事を経て、クラウディウスは妖精達に『僕が望むまでは周りの人間や国に危害を加えないで欲しい』とお願いをした。妖精達はその願いを快諾し、今はクラウディウスに害をなす思考をするものがいれば威嚇するくらいで収めてくれるようになった。
愛し子を守るために妖精が暴走した、という話はすぐに社交界に広まった。
妖精が意図したものではなかったが、クラウディウスはまたひとつ、孤独になった。