エラにできた傷は
エラの長いまつ毛が揺れ、瞼がゆるりと開かれる。数刻の間目を覚まさなかった婚約者を心配していたクラウディウスが、その愛しい名前を縋るような声で呼んだ。
「ああ…エラ!よかった…」
「でん、か?…わたし…?」
クラウディウスがエラの頬を両手で包み込む。その手は僅かに震えていて、彼を安心させたくてエラは大きな手を小さな手で覆った。
心配させてしまったのだと言う罪悪感と、心配してくれたことに対する充足感が心を満たす。その両方とも、悪い気はしなかった。
「…!殿下、お姉様は…?」
自身が気を失った原因を思い出したのか、エラがシャーロットのことを問う。クラウディウスは婚約者を傷付けたシャーロットに対していい感情は持っていなかったが、エラが心配そうな顔をするため嫌悪感を隠しながら答えた。
「姉君は今は牢に入れている。衛兵による尋問が終わるまでは面会も不可だ」
「…分かりました」
聞いたところ、シャーロットは治療後に地下牢に送る予定となっているようだ。今は宮廷医の治療を受けることのできる王宮内の牢でその身を拘束されているらしい。
クラウディウスはエラを救出する際にシャーロットに斬りかかったことを正直に話した。剣を振った時点ではシャーロットだと分からなかったことと傷自体は浅く命に別状はないと。
エラは、頷くだけで返事はしなかった。姉を心配する気持ちよりも自分が助かってよかった、と思う気持ちの方が大きく、どんな返事をしてもその気持ちが漏れ出してしまいそうな気がしたからだ。姉よりも自身を優先することが悪いように思えて仕方なかった。
「シャーロット嬢の証言だけではなくエラの証言も聞きたいそうだ。すまないが、協力して欲しい。もちろんベッドの上で構わない」
「かしこまりました」
「無理をさせてしまうんだが…この後に衛兵が来る。私の側近であるジョナスを君に付ける。答えられる事だけ答えればいいからな」
クラウディウスの後ろに控えていたジョナスがエラに向けて腰を折った。エラも慌てて頭を下げる。下げてから、アデライト夫人の『王族たる者簡単に頭を下げてはなりません』という教えが頭に響いた。
(ああ…。私はこんな時ですら殿下の婚約者でありたいと思っているのね)
実の姉を心配する気持ちよりも強く、クラウディウスに相応しい存在になりたいと思う。その気持ちはいけないものではないはずなのに、エラの中に植え付けられた『家族内の序列』が彼女の良心をチクチクと痛め付けた。
「殿下、そろそろ…」
「ああ」
起きたエラの診察をしようと脇に控えて待っている宮廷医へ配慮したジョナスが、クラウディウスに声を掛ける。名残惜しげにエラの手をキュッと握ってからクラウディウスは部屋を出た。
エラは暖かさの残る自身の手をまるでお守りのように胸に抱く。クラウディウスのまっすぐな気持ちがエラの心にしんしんと降り積もっていく。心の傷跡を覆い隠すように積もる優しさは心地よかった。
診察はすぐに終わった。傷の確認や治療などはエラが寝ている間に完了していたからだ。
宮廷医には後遺症は残らないだろうと言われた。ただし時間を置いて症状が出ることもあるため何かあればすぐに言うこと、と釘を刺される。控えていたアンナとシシィにもよく言い聞かせてから宮廷医は下がる。
そして宮廷医と入れ替わりで衛兵が3人、部屋へと入って来た。
衛兵というだけあって、皆大柄でかなり筋肉質である。ベッドから少し離れた場所で1人が前に、2人が後ろに控える形で立ち彼等は挨拶をした。
「本日お話を聞かせて頂きます。王宮第二大隊所属、アーノルドと申します。ご体調の悪いところ申し訳ございませんが早急な事件解決のためご協力をお願いします」
「いえ、構いません。なんでも聞いてください」
3人の衛兵の中で名乗ったのは手前に立った1人のみだった。後ろ2人は立ち合い人としての意味合いが強いのだろうか。それに、丁寧な言葉遣いではあったがアーノルドは姓を名乗らなかった。これは家名を聞くことで身分差によって聴取に影響が出ないよう配慮した措置である。
アーノルドの感情を出さない鋭い瞳に射られ、エラは自分自身もただ被害者として話を聞かれるわけではないのだと理解した。エラは改めて自分が置かれた状況を鑑みて背筋をスッと伸ばす。
エラ自身が仕組んだという可能性がゼロではないとの判断だろう。家門や自身に有利な取引をするため、あるいは王太子に同情してもらうために被害者と思われる人物が自ら事件を起こすことを想定して衛兵は動いている。自作自演では無いと、エラは証明しなければならない。
「ではまず、エラ嬢が部屋で1人になった状況とシャーロット嬢が部屋入ってきて以降の流れをご説明頂けますか?」
*※*※*※*※
ノックもなしに開かれた扉。なぜか侍女服に身を包んだシャーロットは扉の内鍵を掛けた後、エラの方へと歩を進めた。
シャーロットの口元は嫌に歪み、せっかくの美しい顔を悍ましいものに変えている。エラは牢に入っていると聞いていたはずの姉がなぜここにいるのか分からなかったがその笑顔に危機を感じて後ずさった。
「アンタのせいよ、このグズ」
後退りするエラとの距離を確実に詰めながらシャーロットは言葉を発する。それは逆恨みや筋違いな主張ばかりだったがシャーロット本人は正当性のある言葉だと感じていた。
「アンタが舞踏会に来たせいで私はこんなことになってしまったのよ」
「私の言うことを否定せずにさっさと罪を認めて帰っていれば今頃は私が王太子妃だったのに…」
「ずっとブサイクでいなさいよ。今からもう一度妖精に顔を変えてもらいなさいよ。元のブサイクな顔の方がアンタにはお似合いだわ」
「ブサイクになったアンタを愛してくれる人は一人だっていやしないわ!みーんなアンタの顔が良くなったから優しくしてくれるだけよ!勘違いしないことね!!」
投げかけられる言葉がエラの胸に突き刺さる。長年家族から虐げられてきたエラには、他人からの優しい言葉よりも家族からの暴力じみた言葉の方がスッと胸に入ってきてしまう。
急に自分が先ほどまで信じて立っていた地面がぐずりと崩れたような気持ちになる。私はやっぱり誰にも愛されはしないのだろうか、とエラの心に翳りが生まれる。シャーロットはエラが動揺した隙を敏感に感じ取って一気に距離を詰めた。
「だから!!!アンタはここで死になさい!!」
シャーロットは手に握っていたナイフを振り被った。エラは小さく悲鳴を上げながら、体を捩る。大きく振り下ろしたナイフは宙を裂いた。
「お姉様!ごめんなさい!やめてください!」
エラは咄嗟に謝罪の言葉を述べてしまう。優位に立ったことを確信したシャーロットは間髪入れずにナイフを横に振った。ナイフの切先はエラの腕を掠める。その拍子にエラは床に倒れてしまう。シャーロットは貴族令嬢とは思えないスピードでエラに迫り、倒れるエラに馬乗りになった。
「アンタなんか、この世に必要ない」
そう言い放ったシャーロットは再びナイフを高く掲げる。ギラリと光るナイフにエラは恐怖から声も出ない。
シャーロットがナイフに力を込めた、その時。ナイフを握る手に妖精が体当たりをした。思っても見なかった衝撃にシャーロットがナイフを落とす。落ちたナイフは家具の向こう側に飛んでしまった。
エラは身を挺して守ってくれた妖精のおかげで助かったと、ホッとしたが安心したのも束の間。シャーロットは馬乗りになったままエラの首を両手で締め上げた。エラの細首に体重をかけ、全力で力を込める。
「ッ…!…!!」
エラの顔はみるみる真っ赤に染まっていく。酸素を取り込もうとするが叶わず、苦しさから生理的な涙が溢れた。シャーロットの長い爪先がエラの首に食い込む。なんとか引き離そうと姉の腕を掴むが、どこからそんな力が出ているのかと疑問に思うほどその力は強くて振り解けない。足をバタつかせるもそんなことでシャーロットの動きを止められるはずもなく、エラは、このまま死ぬんだと感じた。
涙で潤む視界にとらえた姉の顔は、満足げに笑っていた。
その時、大きな音がしたかと思うとエラの上の重みが消え去った。塞ぐものがなくなり急に空気が喉を通る。エラは咳き込みながらも必死に体に酸素を取り込んだ。
「エラ!!!」
クラウディウスに名前を呼ばれて、先ほどまで曖昧になっていた『自身』の輪郭がはっきりしたような感覚になる。極度の緊張から解放されたエラはクラウディウスを視界に捉えて安堵したのか、意識を飛ばした。
ここまでが、エラに説明できることの全てであった。
更新滞ってしまってすみません!
また書いていきます。
遅筆ですが、何卒よろしくお願いします!!




