王妃様からの使者
次の日の朝、エラは焦って飛び起きた。
(朝日が目に入って起きちゃうなんて!寝坊だ!)
布団を蹴飛ばすようにしながら飛び出そうとして、飛び出せなくて、はたと気がつく。ふかふかで、大人3人は並んで寝られそうなサイズの柔らかい布団。蹴るように布団を跳ね除けようとしたのに、自室の布団と質が違いすぎて足が柔らかな寝具に埋まっていた。
(私の部屋じゃない…。あ、そうか昨日泊めて下さったんだった…)
天蓋付きの大きなベッドに、最高級の寝具。素晴らしい装飾の調度品に、大きいのに掃除の行き届いた窓。何もかもが初めて見る品質だった。
「…すみませーん…」
布団から降りたはいいが、どうしたらいいか分からずに声を出す。部屋が広すぎるせいかエラの声が小さいからか、誰も来ない。どうしようと思って部屋を見渡すと、ベッドのサイドテーブルにベルが置いてあった。チリンチリンと鳴らすと、直ぐに部屋のドアがノックされる。
「お願いします」
エラの返事を聞き、侍女が入ってきた。年嵩のいった侍女は、アンナと名乗った。アンナは侍女長だそうでエラに本日のスケジュールと確認事項を述べていく。
「王太子妃様、まずは朝食を召し上がって頂きます。その後は湯浴みをし、王太子様との昼食に向けてドレスアップを行います」
「は、はい」
「好き嫌いはございますか。ドレスの色のお好みはございますか。あと、私どもに敬語を使う必要はございません」
「分かりま…分かったわ。好き嫌いはありません。ドレスの色もお任せしていいかしら…?」
「かしこまりました。それではご朝食を準備致します。こちらのテーブルでよろしいでしょうか」
あっという間に小ぢんまりとしたテーブルに朝食が用意された。サラダとスクランブルエッグ、スープに柔らかな白パン。あまりにも美味しそうな食事に、エラは生唾を飲み飲んだ。ホルト家では昼食の残りですらこんなに豪華なことは無い。妖精祭が開催される夏至の日くらいにしかお目にかかれない白パンに、肉入りのスープ。エラはマナーに則りながらお上品に食事にがっついた。
「ああああのっ!ひとりで!脱げますから!」
「私たちが怒られてしまいます。どうかお任せくださいませ」
「うぅ…っ」
湯浴みのために寝巻きを侍女が脱がそうとしたところエラは服をしっかと掴んで離さなくなってしまった。侯爵令嬢だというのに、エラは物心がつく頃には1人で全ての支度を行なっていた。誰かに服を脱がされるのも裸を見られるのも初めてなのだ。
羞恥に耐えながら侍女たちに湯浴みを手伝って貰う。脱がせたり体を洗いながら、侍女達はエラの栄養の足りていない体を見て心を痛める。彼女の体は身長の割に痩せていて、肋骨もうっすら浮いていた。課せられた労働量と食事量が見合っていないのだ。成長期の体は縦に伸びたせいでその身に肉を残さなかった。
「お疲れ様でございます。お水を飲まれてください」
「アンナありがとう…。あの、とても気持ちよかったです。恥ずかしかったけれども…」
「それはよろしゅうございました」
アンナがにこりと微笑んだ。初めてアンナから向けられた柔らかい笑みに、エラもホッと心をほぐした。怖い人ではないのだと分かり安心する。いやきっと、部下の侍女たちには怒ったりもするのだろうが。
貰った水を飲みながらエラが考えていると、アンナが表情を引き締める。
「王太子妃様。当初の予定ではこのままマッサージをする予定だったのですが、王太子妃様のお体には負担が大きいと判断しました。保湿のためのオイルだけ塗らせて頂きます。ドレスも締め付けないエンパイアスタイルに致しましょう。よろしいでしょうか」
「あ、は…ええ。お願いします。あの、それと王太子妃様というのはちょっと…。まだこ、婚約の段階ですし…」
「それではエラ様とお呼びしても?」
「ええ。…そちらの方が嬉しいわ」
照れた顔で微笑むエラに、王宮に勤めて長いアンナは歴代の主人の中に見たものを彼女にも感じた。
国の上に立つ者には『血』という肩書きは勿論だが、やはり素質も必要となる。王の素質のない者が玉座に就けばあっという間に国は傾くだろう。歴代の王達にも様々な素質があり、戦争の才能や政治の才能、人心掌握の才能など多岐にわたる。
アンナが仕えてきたのは王を支える王妃たちだ。侍女見習いの頃も含めると、クラウディウスの曽祖母の代からアンナは王宮侍女をしていて、仕える主人はエラで4人目となる。
歴代の王妃を見てきたアンナは、教養も足りなければ自信もないただ美人なだけのぽっと出の侯爵令嬢を見定めていた。素養は後からつけることもできる。しかしその人の生まれ持つ素質と言うのはなかなか変えることができないものだ。
エラには、素質がある。
(クラウディウスお坊ちゃまはいい目を持っていらっしゃる)
アンナはクラウディウスの選択を誇らしく思った。
エラは侍女やメイドのような下働きの者を同じ人間として扱った。下々の者たちーーつまり国民に対しても心を砕くことの出来る素質を、エラは持ち得ていた。
「あの…アンナ?」
「はい。どういたしましたか」
「その、私、手荒れがあって…ハンドクリームはあるかしら?」
「もちろんです。最高級のものを塗り込ませて頂きます」
「ありがとう。お願いします」
年頃の貴族令嬢にあるまじき、カサカサでひび割れまである手を、エラは隠しながら笑った。そんなエラを見ながらアンナは、なるべく早くこの方を心身共に健康にしてあげたいと思った。
(健康になって頂いて、王宮の厳しい妃教育を受けて頂かなければ)
ニコリと笑ったアンナに、何となく先程と違う空気を察知したエラは背筋に冷たいものを感じる。それが何かは分からなかったが、とりあえず愛想笑いを浮かべる。
(フフ、勘の良さもお持ちなようで。これは家庭教師になるアデリー夫人も喜ぶわね)
アンナはエラを保湿と着替えのために移動させながら、背後で笑みを深めた。
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