91 マッスルヘルガデム
ここはペッペラス美術館。
ここにはとある人物が展示されています。
サイドチェストのポーズで佇むその人物の名前はガデム。人は彼の事をマッスルヘルガデムと呼びます。
生気漲る瞳。そして、骨にそのまま張り付いたかのように痩せ細った肉体。それでいて艶があり、ハリのある肌。まるで生きているような姿に、人々は皆心を奪われるのです。
そして、彼が何故展示されるようになったのか。
皆がマッスルヘルガデムと呼ばれるようになったのか。
皆さんの目を借りて探っていきましょう。
時は1750年。
ガデムが居たのはカッサルガという農村だった。
その農村では年に一度、農業で鍛えた体の美を競い合う大会が開かれていた。
今でいうボディービル大会。
ガデムは、その大会に殿堂入りするほどの筋肉強者だった。
殿堂入りした者は、その年の勝者にトロフィー代わりの一番酒と呼ばれる樽を渡すという役目があった。
五年連続の勝者が殿堂入りの条件であり、この年には五人の殿堂入りした者が大会の勝者を祝ったという。。
年齢もあり、連覇時よりも肉体が衰えるのは仕方が無いこと。
ガデムは一番の古株で、齢六十を超え、最年長であった。しかし、殿堂入りした者達の中でも、いや、大会参加者全員と比べても一番の筋肉美の持ち主だった。
大会が終れば、皆が楽しみにしていた酒盛りが始まった。
酒が入り、会場として設置された舞台はステージとして歌や踊りを披露する場所へと変わった。
一年の労を労うように皆が楽しんでいる最中、事件が起こる。
異常成長した巨大なバッファローが暴走して村に迫って来ていたのだ。
まだ姿が見えずとも、何かが迫っていることは分かる。近付く地響きに、村人達は恐怖した。 そこに立ち上がったのは、今年の大会勝利者とガデムと残り四人の殿堂入りしている勇士。
地響きを感じる方向へと進んだ彼らは、巨大バッファローの姿を見つけた。
すると、一番手は自分が引き受けるとガデム。
最も年老いている自分が、後輩達の道になればと考えていた。
だが、五人は年寄りが無茶をするなと引き留めた。
「若い奴に殿堂入りは過去の栄光じゃないってのをおしえてやるぜ」
と意気込み、突っ込んだのは、三年前に殿堂入りを果したイネッカ。
現役の農民を舐めるなと、バッファローの角を掴んで踏ん張った。
しかし、バッファローの重さの方が勝っているために、イネッガだけでは止められない。
それなら次は俺達だと、十年前に殿堂入りしたハーツガと十五年前に殿堂入りしたミノール
が加勢に入った。イネッガの体を支えて踏ん張る二人。それでもバッファローは止まらない。
「ならばワシらは足だ。ナエーヨ」
「分かりました。イナーホさん」
二十二年前に殿堂入りしたイナーホと共にバッファローのそれぞれの前足に掴みかかる今年の大会覇者のナエーヨ。
しかし、五人の全力を以てしてもバッファローは止まらない。
それどころか、バッファローが身震いすると、その勢いに抗えず、吹っ飛んでしまった。
残るはガデムのみ。
五人が頑張っても尚、バッファローに疲労の色は見えない。
逃げる事が正しい選択だった。だが、背後にはカッサルガある。
老若男女が避難しきれず、残っている。
ガデムは、少しでも時間を稼ぐため、自分の命を燃やしてでも止めると決めた。
誰よりも発達した全身の筋肉に酸素を巡らせ、ガデムは筋肉を肥大化させた。
バッファローの角を掴み、自身の足で大地を踏みしめる。
強者同士の互いに避けられぬ戦いだった。一歩も引けぬ戦いだった。
ガデムは、後ろに動かされたなら、一歩進んで押し返した。
五人がかりで駄目だった相手と、ガデムは拮抗していた。
だが、彼は人の子。相手は獣の子。生まれ持った体力が違う。老い散るだけとなったガデムとは違い、バッファローはまだ咲き誇る途中。
底を探れば、バッファローに分がある。勝機がある。
それでもガデムは抗った。背後にある村を守るために。
押し合いは長く続き、ガデムの体の中で変化が起きていた。
力み過ぎて、体の内部が悲鳴を上げていた。自慢の肉体が萎んでいくのを感じていた。
このままでは押し負けてしまう。
ガデムは祈った。一瞬だけで良い。このバッファローを上回る力を出すのだと。
自身の願いを叶えるため、ガデムは萎み続けていた自身の体に力を込めた。
それは、筋肉を一瞬だけ最大に膨らませるだけの力だった。
ガデムは、その一瞬でバッファローの体をひっくり返した。
今日一番の地響きと、土煙が辺りを覆う。
「ガデムさ~ん」
遠くの方から、飛ばされてしまった者達が集まってきた。
土煙が止むと、彼らはガデムの姿に言葉を失った。
「あ、あれだけはち切れんばかりだった筋肉が……。筋肉が……」
萎んでいた。詰まっていた物が無くなってしまったかのように、皮膚だけが皺一つ無く体に張り付いていた。
皆がガデムの姿に動揺していると、ガデムはとあるポーズを取った。
サイドチェスト。後にそう呼ばれるポーズを取ると、皆を守った誇りに瞳を輝かせ、動かなくなった。
彼はその後、腐敗することの無い、処理を一切されていない、不思議な剥製として飾られるようになった。
皆さん、如何だったでしょうか?
こうして彼は、筋肉で地獄になるのを防いだ男として、マッスルヘルガデムと呼ばれるようになりました。
彼は今も、代償を支払った肉体を誇りに思っていることでしょう。
皆さんも、ペッペラス美術館にお越しの際は、この武勇伝を胸に彼をご覧ください。
きっと人の輝きを感じられるはずです。