86 八百屋
寒い季節になると心が冷え込む。
幸せそうな家族を見ると、寂しさから目を背けてしまう。
僕は幼い頃に両親と死に別れ、自立できる年齢になった頃からずっと一人だった。
だからだろうか。家族を見ると心に寒さを感じるのは……。
そんな時、僕を温めてくれるのは料理だ。温かい料理。
一人鍋をしようと、僕は八百屋に行った。
「お、兄ちゃん。良い所に来たね。新鮮な八親はいらねぇかい?」
「やおや? この店を売るっていうの?」
大将の呼びかけの意味が理解出来ず、尋ねた。
「ばっか、売らねぇよぉ。次期店主は娘だって決まってんだからな。それより、八親はいらないか? 新鮮なのが明日入って来るんだよ。足ははやいがおすすめだよ」
初めて聞く名前だ。どこかの地域でのみ育てている珍しい野菜だろうか?
話を詳しく聞きたかったけれど、今日は特に冷え込んでいた。だから早く鍋を食べよう。
そう思い、二つ返事でそれを買った。
翌朝。早朝にチャイムが鳴った。
「はい、どちら様でしょう?」
こんな時間に非常識だと思いつつ、声をかけた。
「おう、会いに来たぞ。としお」×3
としおとは僕の名前だ。けれど、何故三重に声が聞こえるのか。
「ほら、だから早いって言ったでしょ。ごめんめ、としくん。お母さん、止めたんだけど、乙さんったら聞かなくって」×4
今度は四重に声が聞こえてきた。
自分の耳がおかしいのか。それとも相手の方がおかしいのか。
訳が分からない。とりあえず僕に両親はいないから、相手が間違っている事を伝えなくてはいけない。
鍵を開けると、向こうがドアを開けてきた。
「待ちくたびれたぞ、としお」×4
今度は男の人の方も四重だった。
そして驚いたのは、同じ顔の男性三人と同じ顔の女性四人。後一人だけおかしな恰好の人が一人。
計八名が部屋に入ってきた。
「え、あ、ちょ、何!? どちらさま?」
僕が尋ねると、相手は言った。
「お前の親だろ」×4
「あなたのお母さんでしょ」×4
耳と頭がおかしくなりそうな返しだった。
「待ってください。僕に両親は居ません。なのであなた達は間違っています」
新手の嫌がらせも考えられる状況だというのに、テンパって良識的な対応をしてしまっていた。
「八百屋の大将から言われて来たんだぜ」×3
「好待遇のバイトだったから来たんだぜ」
一人、おかしな発言をした人が居た。
「あの、そこのおかしな恰好の人がバイトだって言ってますけど」
「としお。良い事を教えよう。父さんの特技は狸寝入りだ」×3
「あ、低反発の敷布団で頼むぜ」
やはり一人だけ発言がおかしい。そして、この場で堂々と狸寝入りを特技だと言う人父親だとは思いたくなかった。
「あなた、としくんが困ってるでしょ。ごめんね、としくん」×4
一応女性側は四人揃って母親であることを貫こうとしていた。
「あの、大将に言われたと言うのは?」
話が通じそうな女性四人に尋ねた。
「昨日、お買い上げしたでしょう。八親」
一瞬、何の事だか分らなかったけれど、記憶を漁って思い出した。
「なるほど。それで八人かっ!!」
とはいえ、何故一人だけおかしな恰好なのだろう? そこに触れたら答えは返ってくるだろうか?
「さ、それよりも朝ご飯にしましょ。としくん、お台所を貸してね」
と、四人が冷蔵庫を開け、あれやこれやと相談を始めた。
(よく分からないけれど、人様の手料理っていうのも久しぶりだな)
温もりに飢えていた僕は、普通なら絶対に止めなくちゃいけない場面だったというのに、止めずに女性四人に任せていた。
(さて、残った男性4人はどうするべきか)
何をどうすれば正解なのかが分からない。
「さーて、新聞でも読むか」×3
「馬新どこ? 馬新」
やはり一人だけ仕事をしない。というか、そもそも設定すらもぶん投げていた。
その後、四人の母親は僕の前に同じ料理を四食分並べて、食べろと行ってきた。
とてもカオスな日々の始まりだった。
計八人との生活が続いた三日目の朝。
僕は八親を売った八百屋に急いだ。大声で呼ぶと、大将が何事かと出てきた。
「なんでぇなんでぇ。まだ店は開けてないんだぜぇ」
「買いたい訳じゃないんです。緊急事態なんです」
「緊急だ~あ? ならここじゃなくて警察が病院だろうよ」
「そういった類の話じゃないんですよぉ」
「な~にぃ~? ならどんな類の話なんだってんだ?」
手が止まるからと、急いで僕を帰そうとする店主に言った。
「今朝起きたら、八親達がおかしな事を言い出したんですよ」
「八親がぁ? どんな事言ったてんだ?」
「なんか、カップリングがどうとか、組み合わせがどうのとか言ってたんだ。母さん達だけじゃない。父さん達も自分の事を言いながら」
「そ~かそ~か。全部分かったぜ」
「ほ、本当ですか!? 一体どうしたっていうんですか?」
店主に尋ねるとこう返ってきた。
「もう三日目だもんな。腐っちまったんだよ」