61 筆踊る
(不味い……)
ペンを握ったまま、原稿用紙と向き合い続けて何日が過ぎただろう。
睡眠という機能を使わなくなってどれくらいの時が過ぎたのか。
目の前にあるのは、ペン先で何度も突いた後があるだけの原稿用紙が一枚。
私の背後には、埋めなくてはならない原稿用紙があと一九九枚詰まれていた。
つまりは、一文字も書けていないのだ。
期日はもう過ぎている。家の電話と携帯電話が競い合うように鳴り響く。
知らせの振動が今や、強い揺れのように私の体を震わせる。
(ああ。どうしよう。どうすれば良い……?)
助けを求める相手は正義のヒーロー? それとも偉大な文豪先生達? それとも三大宗教で崇め奉られている存在だろうか?
いや、違う。助けを求める相手は自分自身。今、溺れて藁をもつかもうとしている沈みゆく自分自身だ。
自分が書かねば用紙は埋まらず、線を引かねば文字にはならぬ。
(書け。書くんだ!!)
精一杯叫び続け、私は握ったペンを見つめた。
その時だ。
「よう、おっさん。そんなに強く握られてちゃ、動くことも出来ないぜ」
軽そうな若いあんちゃんの声。
「だ、誰だ?」
「こっちよ、こっち。握りしめてるだろう? それだよ」
その言葉通りの行動の先にあったのは、私がずっと愛用していたペンだった。
「お前、付喪神になったのか?」
「ノンノンだぜ。俺とおっさんは一心同体。だから心が通じ合っているのさ」
「そ、そうだったのか。それにしても、まさかこんなにも若い性格をしていたとは……」
自分の持ち物の性格に驚きを隠せない。
「さあ、始めようぜ。俺とおっさんで踊るのさ。さあ、力を緩めて解放するんだ。俺達で世界を創ろうじゃないか」
「そうだな。ああ、そうだとも」
私はペンに言われ、手の力を緩めた。
「動く。動くぞっ」
信じられなかった。ペンの言葉通りにしたら、本当に腕が動き出したじゃないか。
怖いものは無い。進められる。私はまだ、前に進めるんだ。
私達は踊った。
「ふは。ふはははは」
笑いが止まらなかった。時間を忘れ、ペンと踊り続けた。
「ふが!?」
間の抜けた自分の声に飛び起きる。
「私は……。寝ていたのか?」
作業がはかどり過ぎて、限界まで作業をしていたらしい。
まだぼやけた頭で呆けていると、携帯電話が振動と共に鳴った。
「はい、もしもし?」
思わず出てしまった。
編集さんの声だ。えらく焦りと怒りが込められていた。
けれど、問題無い。私は書ききったのだから。
「大変遅くなりましたが、大丈夫です。はい、終わりましたから」
編集さんがすぐに取りに来ると言う。
「さて。じゃあ、纏めておくか」
電話を切り、手渡す支度をしようと原稿に目をやった。
「んがっ!?」
言葉が出ない。原稿用紙は確かに埋まっていた。埋まっていたのだが、私が思うそれとは違う方向だった。
用紙いっぱいに線が引かれている。それも、二〇〇枚全てにだ。
確かに、私達は踊り続けていた。
二〇〇枚の落書きの中、私は途方に暮れている。