44 おまつげ様
「お前、またやってるのか」
友人にそう言われたのは岩清水。
「暇つぶしに丁度良いんだよ。まつ毛抜き」
それは、自分の指でまつ毛を抜く行為だった。
「お前さあ、そんなに抜いてたらまつ毛無くなるだろ」
「そうでも無いぞ。抜けないもんは抜けないからな」
「意味も無く抜いて、何本のまつ毛が無駄にその命を散らしたんだから」
「ざっと千本くらいは抜いたんじゃないか? 小さい頃からやってたし」
岩清水は、その数を誇るように笑いながら言った。
「せ……。って、おま、馬鹿ッ」
友人は、急に声を潜め、岩清水を罵倒した。
「そんなの大声で言ったら、まつ毛教に目を付けられるぞ」
「ああ、あのよく分からん宗教か」
まつ毛教。それは、まつ毛を称える新興宗教だった。
根底にあったのは美の追及か、目を守る役割を持つためか。始まりは分からないものの、女性を中心に信者が増えている。
そして、その信者達は皆、異常に長いまつ毛となっている。
「あれ、エクステなのか?」
前々から疑問だったと、岩清水。
「俺が知る訳無いだろ。気になるなら聞いて来いよ」
自分は関わりたくないと、友人。
「聞きやすい奴が居るから、あいつに聞くか。おーい」
丁度姿が見えたと、岩清水はその相手を呼んだ。
相手は、昔馴染みの加奈子。
「どうしたの?」
長いまつ毛でバランスを取り難そうにしつつ、岩清水の元にやって来た加奈子。
「加奈子、呼びつけて悪いな。で、早速なんだが、まつ毛教に入ってるんだよな?」
「そうだよ。一緒におまつげ様を崇めたいの?」
どこか弾んだ声で尋ねる加奈子。
「いや、違う。そのまつ毛が地毛かエクステかを聞きたかったんだ」
「そっか、残念。質問の答えだけど、信仰心の浅い人はエクステだね」
「信仰心でまつ毛の長さが変わるのか? まつ毛も眉毛も、長さは大体決まってるもんだろ?」
「そこはおまつ毛様の力だよ。信じるかどうかはあなた次第かな」
「ホラー系でよく聞くセリフだな。加奈子が何を信じてようとどうでも良いけどな。俺としては眉唾だと思ってるよ。信者の前だけれどな」
「あなたはけっこうストレートに言う人だからね。でも、もうすぐおまつ毛様は来るよ」
「俺の所に? はっ。そりゃあ、光栄だこと」
岩清水は、どうせはったりだろうと、鼻で笑った。
「ふふ。その時が楽しみね」
用事は終わったと判断し、加奈子は離れていった。
「私~まーつげー。何時までもーまーつーげー」
加奈子が去り、突然岩清水が歌を口ずさみ始める。
「お、おい。いくら何でも茶化し過ぎだろ。ほんとに目を付けられるぞ。クラスの信者がお前を見てる」
異様に長いまつ毛達が、岩清水をジッと見つめていた。
「ばっか。俺だって線引きはしてるって。それに、今のは初めて歌ったんだ。俺は歌詞すら知らない」
「口馴染んだように普通に歌ってたぞ」
誤魔化すにも下手過ぎると、友人。
「いや、本当だって。頭に浮かんだ訳でも無いし、訳が分からねぇ」
岩清水は、自分の意志とは関係無く出てきた歌に気味の悪さを感じてた。
その日の帰り道。
「私~まーつげー。何時までもーまーつーげー」
一人、帰宅途中だった岩清水は、またあの歌を歌っていた。
「なんだよ、これ。なんで急に歌い出したよ!?」
まるで気付かぬ内に操られたかのような行動。
「まさか、何処かでまつ毛教が俺を操っているのか?」
そうとしか考えられないと、周囲を見回す。
見慣れた景色の中に妙なものが居た。
(な、なんだ、あれは!?)
胸を手で押さえる岩清水。
人間とは、顔があって、目がある。目と瞼の間にはまつ毛がある。
まつ毛教の人間は、そのまつ毛を扇よりも大きく、長く伸ばしている。
地毛ではありえないとしか思えないまつ毛。
人間なら、それはエクステとしか思えない。
人間だとするなら、エクステが両目に付けられているはずだ。
岩清水は冷静さを取り戻そうと、必至にそう考えた。
しかし、一度脳裏に焼き付いてしまった光景は違う。首の上に顔があるのが人間だが、岩清水が見てしまったのは、首の上にまつ毛があったのだ。
いや、正しくは、まつ毛教信者も驚く、一メートル越えのまつ毛から首から下が生えていると言った方が良いのかもしれない。
恐怖に心臓が締め付けられた岩清水は、この世の者とは思えない存在を見てしまったのだ。
(か、帰ろう。そうだ。俺は疲れているんだ)
全てを無かった事にしようと、岩清水は歩き出す。が、それを追い立てるように何かが彼の首元をチクリと刺した。
「何をす――」
岩清水は言葉が出なかった。振り向けばそこにはまつ毛があったから。
「も、もうまつ毛教を悪く言わない。だ、だから、許して……」
やはり顔では無く、まつ毛しかないその存在に恐怖し、岩清水は腰を抜かした。それでも距離を取ろうと、頑張って後退る。
まつ毛は無言で岩清水との距離を詰める。その度に、まつ毛が岩清水をチクリと刺した。
「やめ、やめてぇぇぇぇ」
情けなかろうと関係無い。助けを求めるため、岩清水は叫んだ。すると、まつ毛が岩清水に覆いかぶさった。
先程の岩清水の悲鳴は聞こえなくなった。
代わりに、歌が聞こえてきた。
「私~まーつげー。何時までもーまーつーげー」
やがてその歌も聞こえなくなった。
翌日、友人が教室に入ると、周囲は騒然としていた。
何事かと思っていると、岩清水の席にまつ毛教の信者が座っていたからだ。
「い、岩清水なの……か?」
こくりと静かに頷く信者。
「そ、そのまつ毛はどうしたんだ?」
恐る恐る友人は尋ねた。
「おまつ毛様のお力だ。ああ、あぁぁぁぁ」
体験した事を思い出し、感動に打ち震えているのかと思ったら、嫌な記憶を思い出したかのように叫びだす岩清水。
そこに加奈子がやって来た。
「大丈夫。おまつ毛様が導いてくれるから」
何時の間にか、岩清水の周りには、まつ毛教の信者が集まり、彼を宥めていた。
(い、岩清水は何を見たんだ?)
確かめたい気持ちはあったが、昨日の今日でこうなってしまった岩清水の姿を見ているだけに、友人は怖くて言葉を飲み込んだ。