28 一人部屋
激務を乗り越え、俺は家に帰ってきた。
相手は居ないが、つい言ってしまう。
「「ただいまー」」
俺は、ん? と思った。今、声が二重に聞こえた気がしたからだ。
「「帰って来たぞー」」
間違い無い。木霊だろうか? いや、引っ越ししたばかりの何も無い部屋でも、こんなにはっきりと木霊が聞こえる訳が無い。
なら、何かと考える。答えなんて分からない。難しい事を考えられるだけの体力が無いからだ。
疲れていると、思考は逃避してしまう。これを応用して、非現実的な事を考えてみよう。
寂しい一人暮らしで孤独な独り身の部屋に人が居る。
「「はは、ありえねー。俺、友達いねーもん」」
あははと笑いつつ、目から雫が伝う。
自分で言って、自分に突き刺さる。二重に聞こえるから、余計にダメージが大きい。
冷静にありえない事を考えよう。
俺の声が二重に聞こえるという事は、俺が二人居るという事だ。これは凄い。辛い事も半分こだ。
「「俺は午前。お前は午後担当な」」
また重なる。どうやら、俺ともう一人の俺は考える事が同じらしい。これではどこまで言っても平行線だ。双子以上の存在なのだから、当然だろう。
いや、当然じゃない。
「「俺は何を考えているんだ……」」
こんな手垢塗れのネタみたいな事を考えているだなんて、よほど疲れているのだろう。
そうだ、もう寝よう。
俺は寝室へ向かった。
寝室においた姿見に自分の姿が映る。随分気にしていなかったが、老けたものだ。
「「このまま更に老けるのか……」」
「「ん?」」
今までで一番声が近く、二重に聞こえた。
「「お前は俺か?」」
「「そうだ」」
間違い無い。俺は俺に話しかけている。鏡世界の俺と意思疎通が出来ている。
同じ事しか言えないのは残念だが、これは良い。
他人と違い、嘘偽り無く全てを分かっている相手が話し相手になるというのは、心強い。
「「これからよろしく」」
握手は出来ないので、ハイタッチで挨拶をした。
一週間後、問題が起こった。
最近、自分を見ると腹が立ってくるようになった。
いつもいつも同じ事しか言わない。動きも真似をしてくる。言葉だけじゃない。全てをオウム返ししてくる鏡の自分。
部屋に居ると、鏡の向こうの自分が等身大の置物のようにしか感じなくなった。
なので、俺は思い切って寝室の姿見を砕いた。
こうすれば、もう自分を見なくて済むと思った。
けれど、これがいけなかった。
向こうの俺が発狂しだした。
そして、今まで気付けなかった向こう側の鬱憤がこちらに漏れ出すようになった。
引っ越そうとしても、部屋を探す時間が無い。
俺は、仕事と向こうの俺の声とで、以前よりも擦り減っていた。
今は、寝ても覚めても、俺は同じ事に縛られている。
一人暮らしがしたいと。