151 広がる俺
「や~、今日も一日頑張ったな~」
俺は仕事から帰って来て、一番に風呂に火を付けた。
けれどおかしい。点火スイッチを押してもうんともすんとも言わない。
燃料が足りないのかと確認したけれど、十分に入っている。
「これはあれだな」
俺は一人、頷いた。
「壊れちまってるな」
やられちまったなと、打ちひしがれた。
大家に連絡しても、流石に今からじゃ業者は来ない。それに、日中の俺は仕事中。
つ・ま・り、最短で今度の休み。そうでなければ無期限の風呂無し生活になる。
それはいけない。人として、現代に生きる人間として、社会人としてもそれはいけない。
けど、大丈夫。こんな時でも俺の胸ポケットには現代技術が詰め込まれた夢の小型端末があるから。月額4980円の通信費を払っているその真価が発揮される時が来たのさ。
「お、近くに銭湯があるんじゃあないか」
他人との裸のお付き合いなんて御免被りたいが、知人とのお付き合いに関わる十代案件。
アヒル柄の桶とハートマークの主張が激しいボディタオルを準備。
替えの下着も忘れず、貰いもののどこかのアイドルの名前が入ったバスタオルも用意して、俺はそこへ向かった。
「ここが俺の浴槽か……」
徒歩十分の近場。初心者でも手取り足取り受け入れてくれるだろうかと心配だった。
(広ければ足が伸ばせる。体も伸びる。ここで怯んじゃいけないな)
自分を拳、俺は銭湯中へと入った。
時間帯なのか、中には人なんて居なかった。番台に人が居なければ、明かりがあっても引き返していただろう。
俺は、事前情報を頼りに入浴代手渡した。
お好きな所へどうぞと言われ、俺は勝手も分からずロッカーを見て回った。
誰も居ないのだから、ロッカーは選び放題。一番浴場に近い場所を選び、俺は服を脱いだ。
全裸にタオルという普通な状態で中に入る。
(まあ、イメージ通りの銭湯だよな)
誰もが思い浮かべるそのままの銭湯に、感動するような事は無い。
頭や体を洗い、俺は普通に湯の中に入った。
「あ~」
自分の普段の温度よりも少し高いなと感じく程度の温度に声が出た。
家だとあぐらを搔いて入るのが普通だったけれど、今は全身を伸ばしても余りある。
開放感と言えば良いのだろうか。誰も居ない広い湯舟というのがより俺の心と体を解していく。
「ああ~」
疲れがお湯に溶けていく。長風呂はしない俺だったが、余りの気持ち良さにまだ少し。後少しと時間が伸びていく。
そうしてどれほど時間が経っただろうか。
全身が解れに解れ、もう全てがリセットされたような気分だった。
そろそろ出ようと、俺は浴槽の縁に手をかけた。
「んな!?」
手が無い。というか、ゲル状?
自分の体を見て見ると、妙にプルプルしている。足とか腹とか、そんなのも無い。
というかこれって……。
「スライムになってるぅぅぅぅ」
どういう事か、訳が分からない。幸いな事に、体がどんな形にもフィットするから、外へ出るのは簡単だった。
助けを求めようと番台に向かうも、誰も居ない。助けを呼ぼうにも、何処へ行けば良いのか分からない。
(どうしよう? どうしたら良い?)
混乱状態の俺は、再び浴槽に向かった。また入れば戻るんじゃないかと。
けれど、戻ってみたらお湯が無い。先程までたっぷりあったお湯が、経った数分の間に消えていた。
一人、プルプルオロオロしていたが、何の解決にもならない。
俺は、家に戻ろうと考えた。これは悪夢なのだろう。そうでなければ、人がスライムになるだなんて起こりえない。
そうだそうだと、俺は家に戻った。
しかし、翌朝になっても夢から覚めていなかった。
いや、むしろもっと酷くなっている。
テレビを付けると、どこもかしこも俺だらけ。犬でも猫でも俺だった。
鳥は飛べずに地に落ち、魚はアップアップと俺の顔で息継ぎしながら泳いでいた。
酷い、酷過ぎる。何が酷いって、この減少をテレビの向こうでは異変として報じていないのだ。
俺だけが違和感で圧し潰されそうになっていた。
この勢いだと、昼には国が、一日経ったら世界が、俺になっているかもしれない……。




