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なんだこれ劇場  作者: 鰤金団
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136 誘い

 酒場で一人、グラスを揺らしていたら、隣りから男のすすり泣く声が聞こえてきた。

 こういう場合は関わらない方が良い。見た通りに厄介事を抱え込んでいるからだ。

 しかし、俺は浸るために酒場に来ている。それをこうも夏に聞こえる飛び回る音のような微かな男の声に邪魔されて、雰囲気も出やしない。

 店員も、ただ泣いているだけなので対処もし辛いといった感じだ。

「ふぅー」

 俺の安らぎのため、男に声をかける決意をし、息を吐く。

「あんた、女に振られた口か?」

 男は自分の顔を覆っていた手を動かし、こちらを見た。

「振られたと言えばそうだな」

「そうか。なら、家に帰る途中で強い酒でも買って、部屋で飲むと良い。その方が感情を出せるだろ?」

 男がこんな衆目の中で泣くんじゃないと、暗にそう伝えた。

「辛気臭くしちまってすまないな。けれど、家じゃ泣けないんだ」

 どうやら男は家に帰りたくない族らしい。なら、男の心情を吐露させてスッキリさせるに限るか……。

「話してみなよ。空になるまでは聞いてやるよ」

 俺は、自分のグラスを揺すって見せた。

 それを見た男はなんて言ったと思う?

「すみません。彼に大ジョッキを一つ。中身は彼が飲んでいるものと同じで」

 俺の手からグラスが落ちそうになった。店員の方を見ると「本当に良いんですか?」という確認の表情。俺も言ってしまった手前、引き返せない。男ってのはそういうもんだ。

 無言で頷くと、店員は直ぐに注文通りのものを俺の前に置いた。

 先に持っていたグラスの中身を一飲みした俺は、男の方へと向き直した。

「さあ、話してくれ」

 男はこくんと頷くと、その身に起こった事をぽつりぽつりと語り始めた。

「あれは、外で一仕事を終えた帰りだった。俺はそこで、可愛い娘を見つけたから、声をかけたんだ」

(こいつ、一仕事終えたテンションでそのままナンパしたのか。なんて不良だよ)

「やあ、ここで会うなんて奇遇だな。時間も丁度良いし、一緒に昼を食べないか?」

 随分と馴れ馴れしい誘いだと思った。顔見知りを装っての手口なのだろうか?

 でも、こういう場合は十中八九失敗するだろうさ。俺の勘がそう告げている。

「結果から言うと断られたんだ」

 だろうなと思った。

「なるほどな。よっぽどの好みだった訳だ。でもあんた。見た所、それなりな歳だろ。はしゃぎすぎじゃないか?」

「まあ、仕事が上手くいったという事もあるんだが、何もおかしな事はしていない。十代でも誘うのなんて普通だ。寧ろ、出会っても会話しない方が不自然だと思うな」

 ショックで常識のネジがねじ切れているのか? いや、それ以前の話か?

 どちらにしろ、いい歳の大人が十代を馴れ馴れしい口調でナンパするのが常識なんて、非常識過ぎる。

 ここは世のために通報した方が良いんじゃないかと思った。しかし、俺がポケットに手を伸ばしている途中でまた話が始まり、余罪がありそうなので聞くことにした。

「断られた後、彼女は行ってしまったんだ。で、少し距離が離れた所で友人と合流したんだよ。それで、彼女の友人が言ったんだよ。『ナンパされてた?』ってね。そうしたら彼女は言ったんだ。『ちょっと止めてよ。くたびれたおっさんなんて嫌だし』ってさ」

 自分が思うよりも周囲には老けていると思われていた事を自覚し、ここに来たという事だろうか?

「そうしたら、彼女の友人が言ったんだ。『渋くて良さそうじゃん。ちょっと良いんじゃない?』と」

 別の十代からモテそうになっているだと!? 自虐風な自慢に繋げる気なのか?

「彼女は『それ、実際にやったら縁切るからね。あんなおっさんとは絶対に駄目だからね』ってさ。そう言ってこっちを睨んだんだよ。うう……」

 また泣き出す男。なるほど。好みだった相手にそこまで嫌われてショックだったんだな。

 色々と思う所はあるが、事情は分かった。

「そうかい。辛かったんだな。まあ、飲みなよ。それが一番だって」

 俺は男の前に置かれているグラスをそっと近付けた。

「ありがとう、見ず知らずの人。でも思春期で急に嫌われるってあるんだな。いや、今まで隠していたのかもしれない」

「いやいや、思春期は関係無いだろ。初対面だったんだし」

「いや、違う。娘と外で出会ったから食事に誘っただけだ。なのに、あんなに毛嫌いされていただなんて……」

 俺はどうやら勘違いしていたらしい。いや、それよりもだ。この情報をフィルターに改めてこれまでの話を振り返ってみよう。

「おっと、すまない。電話だ。家からだよ……」

 男は、躊躇いがちに俺と電話を交互に見た。

「出るべきだよ。そのためにかかって来たんだから」

「そ、そうだな」

 男は恐々としながら通話ボタンを押した。

 会話が終ると、男の表情は一変した。

「ありがとう、見知らぬ人。急いで家に帰るよ。今度の休日は家族で遊園地だ!!」

 弾んだ様子で帰る男。

 俺は、残された大ジョッキを一気に飲み干した。

「大ジョッキで強いのを頼む」

 店員にそう言うと、予め用意していたかのようにショットグラスを出してきた。

「サービスです」

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