131 貴重な体験
壇上に一枚の座布団が敷かれていた。
そこに男がやって来て、観客は拍手で出迎えた。
その拍手に応え、男が一礼すると拍手は止み、彼は話し始めた。
「やーやー、どうもどうも。今日はですね、私のお友達。名前を岩清水と言うんですがね。その岩清水のお話をしていきたいと思います。え? その苗字はよろしくない? それ、世間で言っちゃいけませんよ。AとかBとか言っても私も皆さんも頭に入って来ないでしょう。なので登場人物はみーんな岩清水。何が何でも岩清水なんです。と、先読みで不安に思った皆さんに釘を刺しておいた所で始めましょうかね」
ある日、今年何度目かの失恋を経験した岩清水は悩んで居まして、こんな事を相談されたんですよ。
「俺、もう女を何処に誘えば良いのか分からねぇよ。水族館とか、遊園地とかさ。みーんな友達と行ってるんだよ。映画なんて、今じゃ禁忌みたいなもんでさ。提案したら今やってるのは趣味じゃないってもう足切りもんよ。友達から入ろうとして最初の会話で話題にだそうもんなら、足切り以前の問題よ。それ以降こっちを見なけりゃ話も振ってきやしない」
とまあ、そんな風に愚痴る訳ですよ。
だからね、私はその時に聞きかじった付け焼刃の出番だと思って言ってみたんですよ。
「最近はありきたりよりも珍しいものに惹かれるらしいね。傘の絵入れとか、陶芸とか、日常じゃ出来ない体験ってのね」
私はそういう物珍しい体験が出来る場に誘ってみたらどうかと思って提案したんですよ。
「もの珍しい……? 貴重な……体験? 体験!!」
何かを閃いた様子の岩清水。急に立ち上がると、彼は私に言ったんです。
「ありがとうな。今度なんか奢るぜ」
って何処かへ行ってしまったんですよ。
その数日後です。彼の頬には真っ赤なモミジが……。
「お前さん、それは一体どうしたんだい?」
岩清水は、言うのが嫌だとばかりに誤魔化そうとしていましたが、そこは私の話術の出番。
あれやこれやと話していたら、彼が言ったんです。
「貴重な体験が良いって聞いたからさ、誘ってみたんだ」
「ほうほう。一体何に誘ったんで?」
「俺んち」
「はい?」
「俺んちって、お前も来た事無いだろ。だからさ、貴重な体験だと思ってさ。で、言ったらこれだよ」
私はね、彼に何を言って良いのか分からずにいました。
だってそうでしょう。いきなり自分の家に誘うだなんて、小学生じゃないんですから。
まあ、これも貴重な経験だったと、彼には思ってもらう他無いでしょうね。