108 ザーザー麺
急に案件が発生し、俺は地方に向かった。
そこでの処理が済み、外に出た時には既に外は暗かった。
自分の勤め先から随分と離れているため、場合によっては泊まりも許可されていたから、そこは問題無い。
天辺を回った辺りで上司から連絡が来た。事情を話すと、小旅行するつもりで一泊泊まっておけと言われた。なんなら有給でも使って、丸一日ぶらつけば良いとも言ってくれた。
どのみち、出張費での移動という事で、往復代出るし、一泊だけならホテル代も会社が出してくれる。
有休を使うのも良いかと思ったが、あれこれ考える前に腹が減ってしまった。
処理に追われて、夕食もまともに食べれていなかったのだから、仕方が無い。
訪れた会社の周辺にはやっている飲食店は無かった。だから少し歩き、人通りのある場所を目指した。
その途中、小雨が降ってきた。屋根のある場所を探し、周囲を確認すると、赤ちょうちんが建物でも無い場所で光っているのを見つけた。
あれは一体なんだろう? 気になって、近付いてみた。
すると、お腹を刺激する良い感じの匂いが鼻を擽る。
(お、ラーメンか)
酒は呑んでいないが、こんな時間のラーメンは空腹と同等の危険な調味料が入っているから、べらぼうに美味くなる。
その欲求に抗えず、今時珍しい、屋台のラーメン屋に飛び込んだ。
「すみません。ラーメン一つ」
暖簾を捲り、大将に注文をする。
「はいよ。ザーザー麺一つね」
耳慣れない料理名だった。
「ザーザー麵とは何ですか?」
「おや? お客さん、この辺りの人じゃないんだね」
「ええ、まあ」
「そうかい。じゃあ、教えてあげよう。ザーザー麺っていうのはね、これを使うんだ」
それは、屋根に当たった雨水を逃がす、雨どいよりも幅のある半円の筒だった。
ラーメンとは、熱々を想像するのが一般的だ。どこぞの芸人の芸でもあるまいに、それでどうするというのか。
「お客さん、流しそうめんって知ってるかい?」
「ええ、それなら……」
まさか、本当にそうなのか?
自分の反応に、店主の表情が緩む。
何という事だ。不安が正解を引き攣れ来た。
「これで食べるとね、ザーザーって音がするんだよ。だからザーザー麺。あ、熱くないよ。ちゃあんと人肌で美味しいように作ってるからね」
見た事も聞いた事も無いので、太鼓判を押されても困惑するしかない。
しかし、とにかく腹が減っていた。この状態でコンビニでも何でも、食べ物がある場所を探す元気は無かった。
「じゃあ、ザーザー麵を頼むよ」
「あいよ」
食欲に負け、店主に頼む。
「じゃあ、そこで座って居てください」
ジッとしていろという意味だろう。半円の筒を自分の口の高さに合わせている。
それから、どんぶりにちゃんとラーメンを作る店主。
「じゃあ、行きますよ」
「え、あ、はい」
口を大きく開け、ラーメンを待つ。その姿は、家畜を思い出す。
店主は、どんぶりの中のラーメンを箸で数回混ぜると、筒へと流し込んだ。
店主が言っていた通り、こちらに近付いてくるほどに、ザーザーという音が聞こえる。
量が多くて、口の中で決壊したらどうしようか。
そんな不安が、ラーメンが口に到達した時に過った。
しかし、店主の腕が良いのか、適度に対処できる量が流れてきた。
味の方も、空腹だったからか、とても美味しく感じた。
「はい、最後だよー」
店主が言った。名残惜しい上に、もう一回行けると思った。
その後、おかわりをし、腹が満たされた。丁度良く、雨も上がっていたので、上機嫌でホテルへ向かった。
翌朝、腹痛で目が覚めた。
痛くて痛くて、気分が悪くて動けない。
これは只事じゃないと、急いで救急車を呼んだ。
おかげで無事だったのだが、医者に言われてしまった。
「あなた、こんなん食べて正気かい?」
話を聞くと、胃の洗浄までしたらしい。そして、医者は自分の中から出てきたものを見せてくれた。
それは、枯れ葉や小石。木の枝に虫だったりと、吐き気を催す物ばかり。
「ぜ、絶対にそんなものは食べてない!!」
酒に酔っていた訳でも無いから、絶対だと、声を大きくして否定した。
「でもね、実際に出てきたんだよ。一体昨日、何があったんだい?」
昨日あった事を話すと、医者は言った。
「どうやら、狐に騙されたみたいだね。ここらはね、たまに化かされる人が出るんだよ」
聞いた時、そんな馬鹿なと思った。そんな自分は、狐につままれたような顔をしていただろう。
しかし、医者の机の上には、現実が確かにあった。
ショックが大きすぎて、昏倒してしまった。