96 興味液
ある日の早朝、幼馴染で友人であるマッドサイエンティストの家に呼ばれたボディビルダーも真っ蒼な肉体の岩清水は、玄関に入って早々に冷や水をぶっかけられた。
「おっま、いきなり何をしやがるっ!! 俺の胸筋が寒さに震えているだろう」
流石に出会い頭にマッドが過ぎると、胸筋を主張して怒る岩清水。
「まあ、そう怒るな怒るな。ちゃんと体を温める準備はしてあるから」
怪しげに笑う彼女。悲しいかな、岩清水の胸は高鳴った。
「ってぇ、何だこれは!!」
岩清水が連れて来られたのは風呂場。しかし、ただの風呂場では無い。
何の変哲もなかった一般的な民家の風呂場が、岩清水が足を踏み入れた途端にトランスフォーム!! し、全裸の彼は貼り付け状態にされ、謎の透明な球体の中に首から下が入れられるというとんでもない事態になっていた。
「何って、実験だよ」
異性の裸体なんぞを見ても眉一つ、視線一つも動かさずに彼女は言った。
「や、止めろー。放せっ。解放しろー!!」
抵抗する岩清水。マッドな彼女は、タブレットに目をやった。
「そう言いつつ、君はほどほどに興奮しているね?」
「ば、馬鹿なこと言うな。これは脱出しようと抵抗して脈拍が上がってるだけなんだからな!!」
「ふふ、そうやってオスガキで居られるのは何時までかな。それじゃあ、ポチッとな」
タブレットを捜査するマッドな彼女。
「な、ナンゴフッ!?」
岩清水の口に謎のマスクが装着され、首から下の球体には謎の液体が満たされ始めた。
「私は君の事なら何でも知っている。だからね、今回は君の興味を利用させてもらおうと思ったんだ」
「フゴーフゴー!!」
「はは、実験素体が何を言おうとマスクで聞き取れはしないよ」
(止めなさい。今すぐに実験を止めるのです。今、俺はあなたの心に話しかけています)
「うわぁっ。以前の実験の副作用を使って心に語りかけてくるんじゃないよ。まったく、副作用で言葉遣いが丁寧になっているのが余計に気持ち悪い。私達はそんな壁のある関係じゃないだろ」
面白くないと、マッドな彼女はまたタブレットを操作した。
「安全な睡眠ガスだよ。それと心配しなくて良い。これから君を煮込むけれど、安全と水分の心配は要らないよ。そのためのマスクだからね。それじゃあね」
意識が遠退き始めた岩清水を置いて、彼女は風呂場を出て行った。
「やった。やっと出来たぁっ!!」
数時間後に、マッドな彼女がマッドさを感じさせない喜びに打ち震えていた。
彼女が今回何を目指していたのか。それは、人に興味を移させる液体の抽出だった。
例えば、野球が趣味の人の話を聞いて自分もやってみたくなるという話がある。
しかし、同じ話を聞いても、感心を示さない人が居る。
そんな時には野球が趣味の人から抽出した液を飲ませれば、あら不思議。野球に後ろ足で砂をかけていたような人でも、飲んだ直後からフルスイング。人生のスタート地点に置き去りにしていた白球への情熱が燃え滾るという代物だった。
趣味を例にしたが、端的に言えばそれぞれが持つ興味や感心のもっとも強いものを相手に移すための実験だった。
そのため、自分が良く知り、自分が持たない興味や感心を持っている相手を選ばなければならなかった。
バイトを雇い、相手が偽りの趣味を語り、それが法的に許されない内容であったのなら、実験を成功すらさせられない。
故にマッドな彼女が選んだのは、生まれてから何時もどんな時も傍に居て、何だかんだ言いながらも自分の実験の相手をしてくれる理解ある幼馴染の岩清水だった。
「彼は筋肉を育てるのが趣味だからな。薬の効果は半日。大体今日の終わりくらいか。まあ、数日の行動不能は覚悟の上だ」
頭の中では、抽出時間と抽出の効率化についての案が幾つも練られていた。
「最近籠り気味だったし、レッツチャレンジ!!」
グイッとおちょこ一杯分にも満たない興味液を飲み込む彼女。
「う~ん? お? おお!?」
何だか今までに無い感情が湧き上がってきた。
「よ、よ~し、来た来た~」
テンション爆上げで彼女は家を飛び出した。
日付が変わる五分前。
マッドな彼女が家に戻って来た。
「お~い、居るか? 居るよね?」
急いで靴を脱ぎ、家の中に居るはずの人を呼ぶ。
「おっそいぞ。俺をグズグズにでもする気だったのかよ」
居間の方から聞こえる声は岩清水。
「ごめんね。でも、終ったら自動で解放されるようにしてあったし。風邪もひかなかったでしょ?」
会話をしながら部屋に入るマッドな彼女。
「いや、確かにそうだけど、お前が謝るなんて――」
私は謝らない。何故なら私がジャスティスだからだ、とばかりに強気な態度がデフォな彼女が謝った。どうした事かと振り返る岩清水は、背後に立っていた人物を目にして固まった。
「ジッと見られると恥ずかしぃ……」
今までは見られなかったモジモジとした反応の彼女。
「い、いや、だってなぁ……」
どう言葉に居て良いのか悩む岩清水。
「お、お前のせいだからな。お前の興味液を飲んだら、お風呂に行って、エステに行って、髪も整えて、お化粧もしてもらって、似合う服を探さなくちゃいけなくなったんだからな」
マッドな彼女は、岩清水の事を一つだけ理解していなかった。
それは、彼が筋肉崇拝者では無かった事。
「その、似合ってるよ。そういう姿も良いって思う」
「うっさい筋肉っ。私が溜め込んだ特許料が、お前のせいで湯水の如く消えてしまったんだからな。責任取れ!!」
「責任、取って良いのか?」
彼が尋ねた時、もう日付は変わっていた。
マッドな彼女は顔を真っ赤にして頷いた。