1-6
その夜、ハルは自分のベットの上で少し考え事をしていた。
窓にかざした手の間から覗く月はいつものような青白さを失い、少し赤みがかった色をしている。
「ボクにとって家族って、何なのかな・・・」
ハルの瞳は空に浮かぶ月の光を映していたが、もっと遠くの何かを見つめているようにも見えた。
しかしそれが何なのかは、ハル以外にはあずかり知らない事なのだろう。
「あれ、なんか外が明るいような・・・えっ!?」
ハルはベッドから起き上がり、窓から外の様子を見て驚いた。
森全体が、月の光を受けたように赤く染まっていた。
それを確認すると同時に、下から慌てた様子でサティが駆け上がってきた。
「ハル、大丈夫!?」
「あ、お母さん! ねえ、何があったの!? 森が燃えてるんだ!」
「ごめんなさい、私にも分からないの。 それよりも、今はここから離れましょう」
「う、うん、分かった!」
「さ、手を繋いではぐれないように」
サティはハルの手をしっかり握ると階段を降り、急いで家の外に出た。
「サティ、無事だったか!」
「うん、こっちは大丈夫よ。 ロゼとリーナちゃんも無事みたいね」
家の前には、ロゼとリーナが立っていた。
ロゼは少し苛立っている様子で髪をかきむしっているが、リーナの方はかなり怯えている様子で、ロゼにがっしりとしがみついて離れようとしない。
「一体何が・・・」
「おーい! みんなー!」
エフィが燃える森から逃げるように、手を振りながらこっちに向かって走ってきている。
そしてその隣には少し青ざめた様子のヴェルクが、エフィに引きずられるようについてきていた。
ヴェルクは何かを呟き続けているようだったが、ここからではそれを理解することは出来なさそうだ。
「良かった~、全員無事みたいだねー」
「燃える、ああ、みんな燃える・・・」
「ああ、こっちは全員無事だ。 だが、ヴェルクは大丈夫じゃなさそうだな?」
「あー、それねー。 よく分からないんだけど、私が行った時にはもうこんな感じだったよー? 話もちゃんと出来ないから、そのまま引きずって来ちゃった」
「とりあえず無事ならいい。 それよりも、すぐに森から出ないとな!」
「そうだね。 このままじゃ私たち焼肉になっちゃうもんね!」
「で、でも、どうしよう! 逃げられそうな場所なんて分からないよ!?」
「そうだな、アタシらの家の方はダメだったし・・・エフィ、そっちの方はどうだった?」
エフィはロゼの問いに首を横に振り、否定を意を示した。
「ぜーんぜん! こっちもダメダメだったよー」
「そうか・・・となると残りは南の方だけか」
「確かに森の南は木が少ないから、何とかなるかもしれないわね」
「なら決まりだな!」
「うんうん、三十六計逃げるが勝ちって言うもんね!」
「何だそれは?」
「あ・・・え、えーっと、うちの村に伝わる古い言い回しみたいなものだよ! それより早く逃げないと、ね!?」
「ああそうだな。 みんなはぐれないように付いてくるんだぞ!」
「うん!」
一行はロゼを先頭に、森の南に向かって走り出した。
周囲は赤と黒と白に染まり、木々がバチバチと音を立てて燃え盛っている。
走っている最中も迫り来る熱気で、みんな苦しそうにしている。
もうすぐ森の南に到着する、とその時である。
ロゼが何かに気が付き、突然立ち止まった。
「と、突然止まってどうしたのよ、ロゼ!?」
「そうだよ! もう森の出口なのに!」
「みんな静かに、誰かいる」
「えっ!?」
森の出口の先、ユラユラと揺れる陽炎の向こう側に、何人かの人影が見える。
ここは近隣の村から離れた場所で、街道からも外れている。
おまけに化け物たちが住むと噂されているので、好き好んで立ち入る者なんていない。
それがこの森での普通だった。
だから今の状況が普通でないことは、ここにいる誰もが理解していた。
「この音・・・金属音か? 奴ら、武装しているのかも」
「武装って・・・まさか、森に火を付けたのってそいつら!?」
「な、なんでそんな酷い事を!」
「いや、今は詮索してる時間は無い。 それよりも・・・」
「うぅ、何だか少し苦しく・・・けほっ」
ロゼの横でリーナが苦しそうに声を上げた。
フラフラとしながらも何とかロゼに摑まっているようだが、このままでは先に倒れてしまう方が早いだろう。
「リーナ!」
「リーナちゃん、しっかり!」
「くそっ、このままじゃダメだ!」
「うーん、まさに絶体絶命美少女リーナちゃん!・・・って、ふざける場合じゃないね」
「今から他の出口を探している時間も無いし、やるしかなさそうだな」
「はぁ~、やっぱそうなるのかー」
「アタシが囮になるから、エフィはみんなを連れて逃げろ!」
やる気満々にみんなの前に出ようとするロゼを、呆れた顔でエフィが水を差した。
「ロ~ゼ~、殿なんて今日び流行んないよ? 私もサポートするから、みんなで逃げるよ!」
「じゃ、じゃあボクも!」
ハルも師匠たちに続けと言わんばかりに、元気よく右手を挙げて名乗りを上げた。
しかし二人は、ハルが戦闘に参加することを納得していない様子だった。
「ダメだ、ハルは大人しく他の奴らと一緒に逃げるんだ!」
「そうそう、おこちゃまにはまだこういうのは早いよ。 せめてエフィ流弓術の伝承者くらいにならないとね、うんうん」
「で、でも!」
引き下がる事の無いこの小さな勇者に、ロゼは少し考えて言葉を返した。
「お前まで来たら、誰がサティとリーナを守るんだ? それにお前が死んだら悲しむのは誰だか分からない訳じゃないだろ?
「う・・・」
自分の好きな人たちの名前を出されてはお手上げと、ハルはしぶしぶながらもロゼの言うことに従うことにした。
「サティ、リーナの事よろしくな」
「はい。 でも、ロゼさんも無理しないでね?」
「はは、絶対約束するとは言えないが、出来るだけ頑張ってみるよ」
「はいそれブー! それ死亡フラグだから、言っちゃダメなヤツね!」
二人の間に、手を交差させたエフィが割って入ってきた。
「エフィは相変わらず訳が分からんな」
「ふっふーん! どんな時でも平常運航なのが私の良い所だからねー!」
「褒めて無いって!」
「ロゼさんエフィさん、今は萬歳をしてる場合じゃないですよ」
「どうしてそうなるっ! 話が進まないからエフィは少し黙ってろ!」
「怒られちゃった~、てへっ☆」
ゴツン!
景気のいい音と同時に、エフィの頭の上にロゼの鉄拳が落ちた。
「うぇー、ロゼが殴ったぁ~~!」
「自業自得だっ! それよりヴェルクの様子はどうだ?」
「ヴェルクさん、大丈夫?」
「あ、うん、何とか少し落ち着いたよ」
「よし、じゃあ時間が無いから最終確認したら行くぞ!」
最終確認と言っても、作戦と言えるほどの作戦では無かった。
それはロゼとエフィが敵をけん制している間に、ハルたちは街道を東に向かって走って逃げるだけという単純なものだった。
「よし、じゃあ行くぞ!」
ロゼとエフィが陽炎の中に消えると、向こうにいた影たちも動き出した。
それを確認して、ハルたちも陽炎に向かって走り出す。
燃え盛る木々から注がれる火の粉をかいくぐって前へと進むと、森の出口が見えてきた。
「あっ!」
森の出口で待ち構えていたのはロゼとエフィではなく、銀の甲冑姿の騎士たちだった。
「くそっ、こいつら強いぞ! みんな急いで逃げるんだ!」
「美人薄命って言うけど、私まだ死にたくなーい!」
ロゼとエフィは、槍を構えた騎士たちに囲まれていて身動きが取れないでいた。
「あら、まだ何かいるの? エルフと赤毛のワーウルフの次は何かしらね、ふふふ」
騎士たちの後ろに広がる暗がりから、紫色のローブを身に纏った女魔法使いが現れた。
「ふむ、サキュバスにドワーフ・・・おやこれは珍しい、白いゴブリンか?」
さらにその後ろから、大きな馬に乗った女騎士がやってきた。
「それって、いわゆる希少種ってことよね? こいつら生け捕りにして見世物小屋にでも売りつけたら、いくらになるかしら?」
「おい、私たちが何のためにここに来たか、よもや忘れた訳では無いだろうな?」
「もちろん忘れて無いわよ。 森にいるモンスターの討伐、それとそこの坊やの処分でしょ? セリスはちょっと堅いんだから」
「何か言ったかエリザ?」
「いーえ、何も。 まあ希少種の素材なら、新しい薬の材料に良さそうだし、そのくらいいいでしょ?」
「好きにしろ」
「ありがとう。 ああ、今から楽しみだわ、ふふっ」
エリザと言われた女魔法使いは、ハルたちのことを品定めするかのように、足先から頭の上まで嘗め回すように流し見た。
サティは言い知れぬ恐怖を感じながらも、ハルたちのことを守ろうと二人の前に立ちはだかる。
「あ、あなたたちが何を言ってるのか分からないけど、この子たちは私が守ります!」
サティの体は恐怖に震えていたが、ただ二人を守りたいという意志だけで抵抗を続けた。
「あら、随分子育て熱心なサキュバスがいたものね。 しかも自分の子供でも無いくせに」
エリザの言葉にサティは少し動揺の表情を浮かべた。
そして、この知られたくない秘密を我が子がどう思っているのかと、ふとハルの方に振り返り顔色を窺った。
しかしハルにはエリザの言葉が聞こえていなかったのか、表情一つ変えていなかった。
サティはそれを見て安心し、最後の勇気を振り絞るように再びエリザと対峙し、強い想いを発した。
「だ、誰が何と言おうとハルは私の子供です!」
「ふーん? 私はどっちだって構わないんだけど」
「うぅ、怖いよぉ」
「くっ、何でこんなことに」
この理不尽な状況に、リーナとヴェルクは嗚咽にも似た声を上げたが、ハルだけは違った。
「・・・ボクのせいだ」
ハルはなぜ今の状況が起きているのか、心当たりがあった。
だからこの事態は、自分が招いたものだと負い目を感じていた。
しかし目の前の敵は、この少年に後悔をする時間さえもくれなかった。
「お前がやらないなら、私がやる。 下がってろ」
「ああ怖い怖い。 まあ私も仕事をしない訳にはいかないから、そっちの坊やと希少種の女の子を貰おうかしら」
「そうだな、お前の魔法は淫魔とは相性が悪いからな」
「まあ、そういう訳だから悪く思わないでちょうだい。 恨むならあなたを生んだ本当の親を恨むことね」
エルザもフードの下に隠していた赤い宝石の付いた杖を、ハルの方に向けた。
「悪いな。 お前に恨みは無いが、これも世界の為だ」
セリスは腰の剣に手をかけ、天に向かって真っ直ぐと掲げた。
その剣は赤い月と燃える森の色を映し、赤銀色に光っている。
「や、止めて!」
「死ね」
ザシュッ!!
ハルの呼び掛けも虚しく、無情にもその腕は下ろされた。
その軌跡に沿って、サティの胸から大量の液体が大地に向かって滴り落ちる。
「ハル、ごめん・・・ね」
ドサッ。
サティはハルの顔を見てそう言い残すと、その場に倒れ込み動かなくなった。
「あ、あ・・・」
「う、う、うわぁ~~~ん!!」
ハルには目の前で起きたことが受け入れられず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
そしてまたリーナも、目の前の現実を受け入れることが出来ず、大声で泣き始めた。
「あら、本当の母親じゃないのに悲しくなるなんて変なの。 でも大丈夫、みんなすぐに同じ場所に送ってあげるから寂しくなんてならないわ」
エルザが何かを呟くと、持っていた杖の宝石が光を放ち始めた。
「魅了!!」
エルザが力ある言葉を放つと、杖の光が3人を包み込んだ。
「何だこれ・・・う、うああーーーっ!!」
「あ、あ・・・来ないで、い、いやぁぁぁぁっ!!」
「うぐっ! 来るなっ、来るなぁーーーっ!!」
3人は何か得体のしれないものに襲われたように、突然苦しみだした。
「リーナ! ハル! ヴェルク! おいお前、みんなに何をしたっ!?」
リーナとヴェルクの瞳の色はみるみるうちに赤く染まっていった。
瞳が完全に真っ赤に染まると、今度は普段の二人からは考えられないほどの力で暴れ始めた。
「う、う、うがぁぁぁぁっ!!」
「ぐがぁぁぁっ!!」
「ふふっ、楽しいパーティの時間の始まりよ! さあ、みんなで仲良く殺し合いなさい!」
「ふぅ、いつ見てもお前の魔法は悪趣味だな」
エルザとセリスはまるで何かの見世物を見るように、その様子を安全な場所から眺めている。
しかしそんな中、ハルだけは違っていた。
瞳の色は変わらず、ただひたすらに苦しんでいる。
そしてうわ言のように、何かを呟き始めた。
「うぅ、お父さん・・・お母さん・・・」