不可解な現在
自分の意思とは裏腹に、重力の理に従って、下へ下へと落ちて行く体。
おそらく時間にしたらほんの数秒で、崖の下へ叩き付けられるのだろう。
だというのに何故か落ちて行く速度が、スローモーションの様に感じて、これが何とかハイってやつなのかも!?なんて場違いな事を考えてしまった。
死に直面しているというのに、実感は湧かなかったけど、ふと、今迄経験して来た色々な事が頭に浮かぶ。
大好きな絵を描いている時は、時間が経つのも忘れていたなとか、以前姉の体調が良い時に行った、湖水地方への家族旅行は楽しかったなぁとか。
多分こういうのを走馬灯の様に‥って言うんだろう。
そうなるとやっぱり、後悔の念が押し寄せて来る。
あーあ、あの時庭園になんか、降りて行かなきゃ良かったわ。
バルコニーで息を潜めていれば良かったのに。
明後日は学校の友達と約束してたのに、こんな事になって残念だなぁ。
今頃父は私を探しているだろう。
ユーエンは‥気付きもしないか。
むしろ婚約破棄する手間が省けたと、喜ぶかもしれないわね。
結局最後まで分かり合えなかったなぁ。
こんな風に最後を迎えるなら、もっと言いたい事を言ってやれば良かったわ。
ああ、もし最後の願いが叶うなら、こんな結末を迎える前に戻りたい!
なんて、今更どうしようもない事をごちゃごちゃ考えて、そのままゆっくり目を閉じた。
そうしたらどういう訳か胸の真ん中が急に熱を帯び、意識がフッと途切れたのよ。
きっとこれが最後の瞬間なんだと、漠然と感じながらね。
でも、それは全く違ったわ。
だって目を開けたらそこは天国では無くて、慣れ親しんだ自分のベッドの上だったんだから。
で、あれよあれよという間に現在に至るんだけど、何故こんな不可解な状況を夢だと決め付けずに、受け入れられたかと言うと、あの時感じた熱の場所が、ほんのり赤くなっていたから。
それに、起きてからこの場所に来るまで、起こった事が全て記憶にあるんだもの、これはもう受け入れざるを得ないよね。
もしかしたら最後の願いを、親切な神様が叶えてくれたのかも?
まあ、いずれにしろ、与えられたチャンスは無駄には出来ない。
だから私は今度こそ、後悔しないって決めたのだ。
目の前を歩くユーエンの姿は、記憶にある通りで、私の歩幅なんて関係なく、自分のペースで進んで行く。
あの時、黙って後を追いかけて、話しかける事すら出来なかったけど、これから始まる辛い2年間の縁を、ここで断ち切ろうと思う。
「あの、アスベル卿!」
私の声に足を止め、ユーエンがこちらを振り返る。
心臓は跳ね上がり、口から飛び出しそうだけど、はっきり言わせて貰います!
「このお話、貴方の方からお断りして頂けませんか?」
胸のドキドキはMAXで、無礼な発言をしたという自覚はあるけど、不思議な高揚感で満たされる。
果たしてユーエンは憤慨するだろうか?それとも快諾するだろうか?
振り返ったユーエンをジッと見つめていると、私の方へ真っ直ぐ向き直った。
過去の記憶を遡っても、ユーエンが顔を背けず真っ直ぐ私と目を合わせたのは、皮肉な事に今が初めてだった。
読んで頂いてありがとうございます。