たった一言でいい。『大好き』だって言ってほしかった
焼香をしている母に近付く。
母は、両手を胸の前で合わせて目を瞑っている。
私は母の後ろから抱き締める。透明になっている私は声をかけることも抱き締めて温もりを感じることもできない。
それでも、形だけでも抱き締めていたかった。
あれ、こんなに小さかったっけ……。母の背中はいつも大きかった印象がある。こんなにも華奢で手なんてほとんど骨のよう。
ちゃんと食べれてる……? 私が死んで嬉しい筈だよね。なのに、なんで……。
涙を流すの? なんでこんなにも辛そうなのよ。
このお葬式や母の姿は私が理想としていることを具現化しているに過ぎない。
わかってる……分かってるんだよ。本人じゃないことぐらい。
それでも……。
「言ってほしかった言葉があるの」
『生まれてきてくれて、貴女の母親にしてくれて……ありがとう』って、嘘でもいいから言ってほしかった。
私を否定しないで。ちゃんと見て、受け入れてほしかった。
優しく抱き締めて、『大丈夫だから』って言ってほしかった。
人を蔑むような目で、態度をするのではなくて……。
「たった一言でいい。……それだけで良いから、だから……『大好き』だって、言ってほしかった」
涙が止めどなく溢れ、頬を伝って零れる。気持ちが抑えられない。
母は何も話さずずっと手を合わせて目を瞑っている。
きっと前世で私の気持ちをぶつけても、母は聞き流すのでしょうね。
なにそれ、馬鹿じゃないのって……。
過去とは決別する時なのかもしれない。前を向いて、今を見たいから。
乱暴に涙を拭いて、母から放れる。
「もう、過去を後悔しない。だから、お母さんも……前を見て、お元気で……さようなら」
ニコッと微笑むと母は目を開けて私の方を向いた。驚いたような顔をして、そして困ったように笑ったと思ったら突然泣き崩れた。
私の姿は見えない筈……そもそも今ここにいる母は私の過去なのに……。
どうして「ごめんなさい」だなんて、何回も謝るの? こんなにも泣き崩れる母を私は見た事ない。
私の願望からそうなったのかしら……?
……そんな事、どうでも良いか。私はもう過去に囚われたりしない。だって、今世では心を癒して、温かな言葉をくれる人達と巡り会えたんだから。
過去を忘れたりはしない。父が死んだのは私のせいだと思うもの。でも、前に進まない言い訳に使いたくないから。
葬式から暗い空間に変わった。葬式にいた人達もいない。
いるのは私と悪魔だ。
悪魔は狐の姿から人型になる。小麦肌に艶のある黒髪。切れ長な紫色の瞳。耳は尖っており、ペンチュラムの耳飾りをつけている。
私はこの姿を見た事が無い。
「この姿でははじめまして。本来の姿でのご挨拶をお許しください」
悪魔は膝をつき、私の手を取り、手の甲に口付けする。
と、いうか。
「人の過去を勝手に見た挙句、その親しい間柄の人物の姿になる方がよっぽど許し難いです」
「……それもそうだ。では改めて、自己紹介」
私が苦笑すると、悪魔は困ったように小さく笑うと立ち上がった。
「名は、ジョセフ。まぁ好きなように呼んで。さてと、俺の負けだから、呪いは全て解呪するよ」
「ジョ……ジョセフ、さんは……どうするんです? 行くところがないなら!!」
「待った。そういうの止めてくれる? 俺は望んでない」
「ご、ごめんなさい」
「まぁいいさ。じゃあ帰るよ」
「は、はい」
私とジョセフさんの立っている場所に魔法陣が現れた。
ジョセフさんは詠唱をはじめる。
良かった。これで呪いは解ける。胸を撫で下ろしているとジョセフさんが「あっ……」と気の抜けた声がした。
私はジョセフさんの方を見て首を傾げる。
「ごめん。詠唱間違えた」
「え……」
私はサーっと青ざめる。それもそのはず。詠唱を間違えたということは効果が変わる所か、何が起こるか分からないのだ。
最悪死ぬなんて事も有り得る。
フッと魔法陣が消えたと思ったら下に一直線に落ちる。
言葉にならない悲鳴を上げると、ジョセフさんが私の腕を掴んで強く引っ張り抱き締める。
私は恐怖のあまり目を瞑り、ジョセフさんの背中に手を回してぎゅっと抱き締める。
ジョセフさんの肩が一瞬ビクッと跳ねた気がしたが今はそれどころでは無い。
しばらく落ちると明るくなったので目を開けると、そこは大きなお城だった。そして私がいるのは木の真上。
お城の庭だった。
当然、木の真上……ということは、空中に浮かんでる状態なので下に一直線に落ちる。
落ちながら、枝や葉っぱが容赦なくぶつかり、擦り傷が所々につく。服も切れており、汚れている。
木から落ちてそのぐらいで済んだのは私を庇うように落ちたジョセフさんのおかげだ。
「な、なんで私を助けるの? それに酷い怪我。早く治療しないと!!」
「……気の迷いだよ。治療は必要ない。自然治癒力高いから、数時間もあれば簡単に治る。それよりも退いて。痛いから」
「簡単にって……そんな訳ないでしょ!! こんなに酷い怪我なのに」
「何故怒る?」
「当たり前です! だって私を助けて怪我しましたし、どうしよう……怪我させてしまってすみません。助けて下さりありがとうございます」
私はハンカチーフを取り出すと傷口に当てる。どうしようと内心パニックになっていると、ジョセフさんは息を吐く。
何で私を庇ったのか理解出来ない。だって、あんなに……私を陥れ、破滅させようとしてたのよ。庇う理由なんかないじゃない。
「……馬鹿だね。傷だらけなのに。令嬢が傷を遺したら大変なんだろう?」
「そんなこと……っ。え、そういえばなんで私、傷がつくの」
「俺の魔力が弱まってるせいだ。そのせいで呪いの効果も弱くなってる」
「弱くって……」
ジョセフさんは何かを察したのか、狐の姿になってその場から逃げようとするので私は慌てて抱き締めて止める。
こんなにも酷い怪我なのに、無理をして悪化したら大変。
ジョセフさんの体は擦り傷や打撲もそうだけど、骨折もしてるんじゃないかしら。それに、傷が深い箇所もある。未だに血が止まらない。白かったハンカチーフが真っ赤に染まってる。
ガサッとという草と草が擦れる音が聞こえた。
ひょこっと現れたのは、三歳~五歳ぐらいの小さな男の子だった。
服装からして貴族。しかも上位かな。でも、この髪の色と目の色は……アレン様に似てる??
驚いて目を見開いていた男の子は手に持っていた短剣を構える。
「おまえ……、な、何者だ」
小刻みに震えながらも私に問う。




