『希望』を捨てられない【アイリス視点】
こ、こここここれは。
どうしましょう。
こんなソフィア様を今まで見たことあったでしょうか!?
こんな、擦り寄って甘え……っ。
しかも、しかも!!! 撫でれば気持ち良さそうにしてるお姿!!
可愛い! かわいい! カワイイ!
可愛すぎる!! あまりにも可愛すぎて、昇天する勢いだわ。あああーーー!!!! こんなことを思ってる場合ではないのに。
鼻がむずっとして、鼻を抑えていると、扉が開いた。
「これは……」
部屋に入ってきたのはノアさん。私とソフィア様を見て目を見開いている。
「アイリスさん……いくらなんでも襲うのは」
ノアさんは呆れたように壁に寄りかかり、腕を組む。
私は我に返ったように手を前に出して勢いよく振る……が、若干赤い液が手を動かす度にあちこちに飛んでいるのはきっと気のせいだろう。
ハンカチーフを取り出して、そっと手を拭く。何事も無かったかのように見せる為に。
そんな事しても、ノアさんは分かってるから無駄なんだろうけど。
「ち、違いますよ!! 誤解ですよ」
「誤解……ですか。では、その鼻血はなんでしょうか? しかも鼻の下も伸びてますし」
「あ……」
ノアさんに言われて気付いた。自分が思ってるよりもかなり顔に出ていたということに。
しかも、手に血がついてる……、手から赤い液が飛んでるような気がしてたけど、どうやら気のせいではなかったらしい。
「それで、ソフィア様は何故、寝ているのですか?」
深いため息をしたノアさんはモノクルを掛け直して聞いてくる。
私はソフィア様を見ながら口を開いた。
「多分、気分酔いかと。……割れたお皿から若干アルコール臭がするので、多分それで」
「気分酔い、ですか。なら今後はアルコールは控えるようにしないとですね。しかもにおいだけで、酔うなら呑んだらどうなることやら」
「そうですね。きっと大変なことになりそう……。ホントに」
私は俯いた。視界がぼやけてしまう。
危ない所に来てほしくなんてなかった。それなのに、『嬉しい』だなんてそんな自己中な考え方、誰が許すのだろう。
ポタッ。
私の頬を伝って溢れる雫が、気持ち良さそうに眠るソフィア様の頬に落ちる。
「私は今、許されないことを考えてしまいました。……幸せな未来を想像、してしまいました。そんなの、ある訳ないのに。望んちゃいけないのに……、だから来ないでほしいんです! そうしないと……『希望』を捨てられないじゃないですか!!!」
震える声で精一杯の心の叫びを吐き出す。
ノアさんは私の近くまで来る。ソファーに座っている横に来て、背もたれに手を置く。
大きな手が私の顔を通り過ぎ、綺麗な整った顔が近くにある。
私を見下ろすノアさんの長い髪が顔にかかって少しだけくすぐったい。
深海を思わせる青い瞳は私を映し出し、決して逸らすことはしない。
その綺麗な瞳に吸い寄せられるように私も目を逸らさない。
とても美しく魅了される。私はーー惹かれているのだと思い知らされる。
「許されないって一体、誰が言ったのでしょうね」
「へ……?」
怒られるかと思って覚悟していたら想像してない言葉が返ってきて、つい声が裏返ってしまった。
「私も同じかもしれません。……今は違うと思っていてもどこかしら過去を悔やんでいるんです。『過去に背負った罪』はもう無くなっているかもしれないけれど、やはり罪悪感で押し潰されそうになることがあります。許されないって思うことは、自分を責めて逃げているということなのでしょうね」
「逃げ、ている?」
「誤解しないでください。それが悪い事だとは思いません。ただ、似ているなと思ってしまっただけです」
「それは……誰、に?」
私は顔を上げてノアさんを見る。ノアさんは悲しそうに微笑むと左手の人差し指を私の唇に当てる。
「さぁ……、誰にでしょう?」
ノア・マーティンという男性は、相手に厳しく、また自分に厳しい。けれど、ソフィア様にだけは常に優しい。
それは、猫かぶりのようだけど……ソフィア様に向けられる優しさは『兄』のようなーー決して、媚びたような優しさじゃなかった。
少しだけミステリアスな雰囲気もあり、私は苦手だった。
苦手じゃなくなったのはいつだったっけ。
きっかけなんて大したことなくて、手荒れした時に手荒れに良い薬草を貰ったり、掃除を手伝ってくれてたり。
言葉はキツくてもなんだかんだ手伝ってくれるので、かなり侍女の間では好感持てる人だったのよね。
かくいう私もその一人。
……ただ、ノアさんを見る目が変わったのは、庭師が死んでしばらくしてからだったのよね。
明らかに心が弱っていた。それが放っておけなくて、手を差し伸べてしまった。
いつも自分をしっかり持っていて、他人にも自分にも厳しくしている人が弱音を吐いてるのを見て……不謹慎ながらもそれが堪らなく好きだと思った。
母性本能なのか分からない。でも、その時、初めて好きだと思えた瞬間だった。
多分ーーきっと、私はノアさんだから好きになったのだと信じている。
どことなく似ている気がする。ーー何処がとは、言えないし、分からないけども。
「ノアさん、私……『待ってて』って、置き手紙したんです。でも……」
「本当は助けてほしかったのでしょ? だから来たのではありませんか」
ノアさんはこの先の言葉を綴らない代わりに目で訴えた。
ーーだから、手掛かりともいえる物をのこした。
そんなことを言っているような目だった。
その通りだ。助けてほしかった。
矛盾を重ねているなんて、私は、どうしようもないあまのじゃく……。
私の問題だから、自分で解決しなくてはいけないのをわかっているのに、巻き込んでしまった。
私は弱い。臆病者だ。それでもーー。
「……けて」
必死に声を絞り出すが上手く声が出ない。
もう無理よ。辛いの悲しいの……。
私は一人で戦えるほど強くない。でも、巻き込みたくなかった……。
巻き込みたくない気持ちと今にも壊れかかっている心が不安定に揺れ動く。
こんなこと、言える立場じゃないと思う。私は自分が思っているよりもデメトリアス家の侍女として、沢山の優しさに触れてきてしまったんだ。
これは甘えだ。強く生きていかないといけないのに……辛さに敏感になって脆くなっている。
ノアさんはそんな私を見るとスっと目を細める。
「たす……けて!!」
私と必死なお願いにノアさんはクスッと笑ってコツンっと額と額を軽くぶつける。
その時、私の唇から人差し指を放し、後ろに回す。
サラッと後ろ髪を攫ったが後頭部を抑えられた。
「良く出来ました」
「……っ。はい」
自分の不甲斐なさや耐えられない心に絶望し、悲しくて辛くて……それと同じぐらいにノアさんの言葉に安心して、涙が溢れてくる。
ノアさんは右手を私の頬に添えながら涙を指で拭う。
気持ちに少し余裕が出来て、あることに気付いた。
顔近い!?
その距離は僅か三センチぐらい。唇が当たるか当たらないかの微妙な距離。
「……さて、急ぎましょうか。その前に、ソフィア様を起こさないとですね」
距離を縮めるのをピタッとやめたノアさんは、私からすぐに距離を取った。
心做しか耳元が赤くなっていて、頬も赤みを帯びているような気がした。
ノアさんは懐から透明な液体が入った瓶を取り出し、ソフィア様に飲ませる。
なんでも、気付薬のようで……、飲んだソフィア様は大きく噎せ、「苦い~」と、涙目になりながらも訴えたのは言うまでもない。
気付薬持ってるなら早めに使ってくださいと言いそうになったが……私は自分の唇を押さえて、頬を赤く染めた。
ーーキス、されるかと思った。
不謹慎ながらも胸の高鳴りが止まらないのを気付かれないように普通に振る舞う。




