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マサモリは今まで戦ってきた魔物化個体の中でも一番強いと感じた。回復魔法で傷を癒すとすぐに地中から飛び出す。フェニックスの存在は精神体に近いので、核となっていた魔物人を失ったフォレストの体を簡単に乗っ取った。
フェニックスは竜人族と戦っていたのでフォレストを最初から狙っていた訳ではないはずだ。しかし余りにもタイミングが良すぎた。フェニックスの乗り移ったフォレストは超大陸の人間では倒せない強さになってしまった。
マサモリは氷を撃ち続けるが長期戦は不利だと悟っている。空気は燃えるように熱く、油断して息を吸ってしまったらシラギクのように昏倒してしまう。口の中を呼吸可能な酸素濃度にする魔法を使っているので呼吸はせずに済む。しかし常に強化魔法を使っているので魔力の消耗が激しい。一当てして倒せなかったら撤退する事になる。マサモリはそう考えた。
「目覚めなさい」
ボタンがフォレストの核となっていた魔物人に触れた。魔物人には既に催眠魔法がかかっている。マサモリの魂移しが成功していれば魔物人は目を覚ますだろう。特に反応がなかった魔物人だがボタンが優しく体を揺らしているとゆっくりと覚醒した。
「ああああああ、燃える。かあさん、燃える。熱いよ、いやだよ」
ボタンは魔物人をフォレストとマサモリ達が戦っている場所から離れた場所まで連れて来ている。しかし森林地帯は広く、離れても燃え続ける森林の中だった。魔物人は辺りの風景を見て取り乱したのでボタンは張っていた結界を透明から白に変えて周りの景色を遮断した。錯乱していた魔物人は呼吸が乱れ、今にも失神しそうだったが少しずつ落ち着いていった。
「大丈夫ですか?」
「はい」
「あなたはどうして自分が魔物化したか覚えていますか?」
「魔物化? 僕は魔物化していたんですか?」
「そうです。朧気でも良いので巨大な亀の様な樹になっていたのを覚えていますか?」
「そう言われてみると大きな樹になった夢を見ていました」
「そうですか。では魔物人になった経緯を教えてください」
ボタンは核となっていた魔物人から情報収集した。
魔物人はドライアドと普人の間に生まれた子供でドライアド側に性質が強く現れた。父親となった普人は彼が生まれる前に別の場所へ行ってしまったがドライアドの生態を考えると良くある事だ。それでも彼はドライアドの母と二人で最近までは穏やかな生活を送っていた。
しかし世界樹が襲われた事で彼の生活は一変した。彼ら親子は世界樹の近くで生活していた。世界樹の周りは木系統の人にとっては過ごしやすい場所だった。多くの木系統の種族が集まって各々が集落を作って平和に暮らしていた。
木系統の種族は木に近い程、寿命が長い。そして性格的に穏やかになる。エントなどは一生の大半を動かずに太陽を浴び、地面から水を吸って生きている。ほとんど木に近い生き方をしている。中には人の血の味に酔って、人を襲うエントもいた。だがそれは全体から見てもほんの一握りだ。
世界樹の周りには木系統の種族が集まっていたが大きな争いは無く静かに生活していた。戦乱が絶えない超大陸では奇跡に等しかった。しかしそんな平穏は人々の欲望によって踏みにじられた。彼の住む小さな集落は運良く世界樹の結界の外にあった。
人と亜人が森に火を放った時に彼らは結界の中に逃げ込むか、侵略者の包囲網を突破するかの二つの選択肢を迫られた。ほとんどの者が結界の中に逃げ込んだ。しかし彼の母は結界に逃げ込まなかった。彼女はどちらを選んでも失敗すると分かっていた。だから覚悟を決めた。
彼女は息子である彼を抱きかかえると燃えさかる森林へと静かに赴いた。そして彼を抱いたまま樹になった。炎が彼女の体を燃やしていく。彼女は体の内側に抱いた息子を守る為に全ての魔力を費やした。自分の守りに割く魔力がなかった為、彼女の体は良く燃えた。彼女は世界樹の結界外に広がる焼け落ちた森林の一部となった。
世界樹を攻める者達は結界内に存在するエルフのみを欲していた。だから世界樹の結界の外はどうでもよかった。愚かにも包囲網を突破しようとする者は全てを数に物を言わせて皆殺しにした。侵略者にとって本題は世界樹の結界の中だったので周りの焼け落ちた森林地帯には目もくれなかった。
世界樹の結界が破られると侵略者は血に飢えた獣の如く魔力反応を追った。彼と同じように樹の中に隠れされた者、地中へ逃れた者、別の生物や物に姿を変えた者が居た。しかしその全てが暴かれた。その中にエルフが隠れているかもしれないからだ。空を飛んで逃れようとする者も居たが鳥系の亜人に阻止された。
世界樹の結界の内側は地面が掘り起こされ、世界樹は切り倒された。侵略者が去る頃には世界樹があった場所には空虚な大穴と灰しか残らなかった。彼が目覚めたのは世界樹の崩壊から数日後だった。
彼は泣き叫んだ。しかし母に守られた命を無駄にすべきではないと小さな一歩を前に踏み出した。そして後程、彼は自分の境遇が超大陸では珍しいものではないと知った。
彼は初めて外の世界に触れた。しかしそこは穏やかな生活に慣れた彼にとって地獄だった。何度も殺されそうになり、何度も攫われそうになった。しかし彼は母親から教わった魔法と木に近い性質のお陰でなんとか生き延びた。
彼は生きるのに精一杯だった。そしていつも昔を思い出して失ったものの大きさに泣いた。幼い自分には何も出来なかったし、今も何も出来ない。ただ昔に戻りたいと彼は願った。彼がそう願うと夢の中では母と一緒だった頃の暮らしに戻れた。しかし夢はいつも母が自分を庇って死ぬ事で幕を閉じる。母は彼を庇って死ぬ時にいつも同じ言葉を言った。
生きろと。