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時折、サビマルが立ち止まって方角の確認をする。軍師は方角すらなんとなく分かるらしい。付け加えて方位アメンボウで樹海の深部への方向と大まかな距離を測る。
方位磁石の針の部分が魔アメンボウに変わった品だ。魔アメンボウは樹海深の深い所を好む性質をしているので水に浮かべると樹海深が深い方向を向く。
プレートの流れにはある程度の規則性があり、浅いプレートが移動する範囲は常に浅い場所のみ。深いプレートは深い場所しか移動しない。プレートの有り様は変わるが俯瞰して見た時に樹海全体の地形はプレートが移動してもほぼ一定のままである。
『今日はここで野営する』
樹海では安全地帯と呼べる場所はないので食事は朝夕の二回になる。生物を捌いたり、煮炊きすると匂いや光で生物が集まってきてしまうので保存食が中心になってしまう。いくら樹海に慣れたエルフでも無策だと痛い目にあう。
最初は穏やか場所でも油断して長居すると小魚が集まってくる。その時点で小魚を不用意に殺してしまうと臭いを嗅いだ肉食の生物や魔物が集まってくる。次第に手に負えない数と質が揃ってきてしまう。
だが結界魔法があればそれらの多くの場合に対処できる。料理の匂いや火が漏れないようにする事も不寝番で周囲を警戒する必要もない。樹海のエルフなら誰でも結界魔法を使えるが効率良く、効果的な結界となるとやはり長老族に軍配が上がる。
日帰りで魔力の心配がないなら自由に使えるが、今は遠距離地に遠征中である。無駄に魔力を使う意味もない。
『結界はここで良いかな?』
『いいぞ』
サビマルがいつも通りに偉そうだがマサモリはもう慣れた。
『半球体の結界を張ります。防御と隠蔽性に比重を置くよ』
マサモリが地面の一点に向かって手を向けると、シャボン玉が膨らむように虹色の結界が少しずつ形を変えながら膨らんでいった。半球体の形が安定してくると底の部分にもしっかり結界を張る。上だけだと地面に潜り込んだ貝等の生物に串刺しにされる。
『一応固めにしているけど足元にも結界があるから強く踏み込み過ぎたら結界が壊れるから注意して』
『『『了解』』』
戦いの時とは逆に荷物を外側に置いて壁代わりにする。中央には耐火性の高い結界を設置してそこで火を使う。調理する時は結界内の空気に気を配らないと火が消えたり、ひどい時は爆発する。調理で使った空気は圧縮しておいて新しい空気を定期的に入れる。それで問題は解決だ。
武者達は手慣れた様子で道中に集めてきた薪と塩を取り出して夕食の準備を始める。食料は保存性の高い米や麦、しょうゆ、それと少量の味噌に調味料を持ってきている。塩は樹海底を歩けば結晶があるので現地調達だ。
『米と麦を少し頂戴』
『はっ』
『シラギク。魚と取るから手伝って』
『うん、やる!』
マサモリは受け取った米と麦を手の中ですり潰して丸い結界に入れる。それをテント代わりの結界から出して上部を開ける。するとすり潰された米と麦がパラパラと舞い上がる。しばらくすると手が届く場所に小魚が集まって来た。小魚が目の前にいるのだがマサモリ達は結界の力で小魚には感知されない。
『わー、近い近い』
『餌の入っている結界を壊さないようにね。後、捕まえた魚を結界の中に入れる時は魚を自分の魔力で覆って。そうしないと結界内に入れられないんだ』
『わかった』
『目標は明日の朝の分を含めて五十匹! あんまり長く小魚を集めていると大きい魚が集まってくるから手早くいくよ』
『ほいよっ』
シラギクが勢い良く手を伸ばした。しっかりと魔アジを手に掴んで結界の中に居れようとして結界に阻まれる。
『うんしょ』
結界に阻まれたアジはシラギクが魔力で覆うと結界の中にするりと入って来た。
『これ楽しい!』
マサモリも順調にアジを掴んでいく。しかし魚達も頻繁に手が伸びてくる事に気が付いて警戒して捕まえづらくなってきた。マサモリはそれでもさっきと変わらずに捕まえ続けている。
『うーん?』
シラギクが首を傾げた。マサモリはシラギクに見せるように先程よりゆっくりと魚を掴んだ。
『あー、ブンじゃなくてシュパか』
『そうそう』
シラギクは先程までの猫がねこじゃらしを叩くような動きをやめて、貫き手を一直線に放った。
『出来た』
すぐにコツを掴んだシラギクはアジを次々に捕まえていった。
捕まえたアジはまず解呪魔法で呪いを解く。一匹ずつ丁寧に解呪魔法をかける。マサモリも戦う力はあるが今回は結界の維持に注力する。
樹海では魔力が生命線だからだ。身を護る強化魔法と食べ物を浄化する解呪魔法は樹海探索の要である。
そして結界魔法使いに求められるのはやはり結界魔法。少数の見張りは必要だが樹海でしっかり寝られる事は疲労と魔力回復の向上に繋がる。
樹海での訓練はしてきたマサモリだが千キロ近くの移動は初めてだ。プレートの移動によっては二倍かそれ以上の移動距離になりうる可能性もある。ついつい自分で戦いたくなるのを抑えてまずは小笠原村跡地へ向かう事に集中するマサモリであった。
解呪が終わったアジは武者達によって三枚におろされていく。樹海の魚は最低でも鉛か鉄のような硬さをしているので硬すぎて逆に捌きやすい。骨と身の強度差が大きいので骨が切れない力加減を調整できればあとは骨と身の間に包丁を入れるだけだ。
身の部分は塩を振って焼き、骨の部分はつみれとそのまましっかり焼いて骨せんべいにする。そこら辺に生えている昆布でだしを取った塩鍋にショウガの粉末を多めに入れたつみれを投入する。
本来なら野菜分が欲しい所だが樹海に野菜を持ち込むとすぐ腐ってしまうので我慢だ。アジの骨せんべいに火が通るまで開拓団はパチパチと爆ぜる炎を眺めていた。
『いただきます』
魔法で保存された大きめの梅おにぎり二つに魔アジの半身、骨せんべい、アジのつみれ汁が晩飯になった。おにぎりはこれだけで明日からは米が食べたければ炊かなければならない。魔力の効率的には麦でオートミールを作るのが一番なのだが、やはり炊いたお米が食べたくなるのはエルフの性だ。
アジの半身、骨せんべい、つみれは自分に強化魔法をかけてから食べる。そのまま食べたら歯が欠けてしまう程硬い。一日二食の食事としては少し量が足りないように見えるかもしれないが硬い分だけ栄養素や魔力が豊富なので樹海では十分な食事だ。
野菜分が足りないのは目をつぶるしかない。その内、ご飯は麦飯になるだろう。ただ、量が少ない割には硬いのであごの運動にはもってこいだった。
満腹とは言い難いが食事を腹に入れると食物が持っていた魔力が体全体に少しずつ溶け込んでいくのが分かる。食事は生命の維持と共に魔力の補給も兼ねているので樹海では重要なのだ。
食事が終わると今日の反省会を少しだけしてすぐ就寝となった。大勢で寝泊まりした経験が少ないマサモリは最初の方は気が落ち着かなかったが思ったよりすんなりと眠りにつけた。
結界はしっかりと機能して穏やかな朝を迎える事になった。昨日残しておいたつみれ汁と焼きアジには贅沢に結界魔法をかけたお陰でしっかり保存されている。
米にこれらを入れて炊き込みご飯にする。米を炊くだけなので昨日の夕食に比べるとすぐ出来上がった。出来上がった炊き込みご飯を急いで食べると開拓団はすぐに出発した。
数回の戦闘はあったが傷を負う事はあっても軽微だった。そうして開拓団は順調に南下していった。