神楽舞
もしかして、薫が届けてくれたんじゃないか——と、桜子は直感した。あのとき、桜子と会えたことで扇の役目は終わったと薫は語ったが、ここに扇があるということは、もう一度探しに行ったに違いなかった。
『水神の剣』で大蛇を倒すため、水脈筋はふさいでしまったのに。
それを越えていけば一体どうなるのか、桜子も分からなかった。決死の思いで行ったに違いなく、それが桜子を守るためであるなら、一刻も早く薫の安否を知りたかった。まだ薫が、水脈筋の奥底にいるのなら。
撫子は静かな声で、桜子にむかい言った。
『扇があるから、私はここで舞うことができるのです。ずっと、そうしたいと思っていました』
そして誘うように、薄紫の袖の袂をむけた。
『ここで一緒に舞ってはくれませんか。隠の型と、神楽舞の拍子は同じなのです。水神の剣の守り手である以上、あなたにも、魂しずめの力はあるのですよ』
「でも、私は——」
桜子が言いよどむ。
その合間にも、撫子はふわりと袖をひるがえし扇を広げると、最初の拍子を踏んだ。回旋するのにあわせて、頭の挿頭が揺れる。
ここから始まるものがあることを、静かに確信するような動きだった。
静謐なのに、不思議な力強さで。
扇をかざす。
——と、次の瞬間には舞い始めていた。
神なびに ひもろきたてて 斎へども
人の心はまもりあへぬもの
桜子はハッとして、撫子の方を見た。
その拍子を確かに知っている自分がいたのだ。
撫子の声は、天上の彼方まで響き渡り、扇はその行く手を示していた。黒く淀んだ大蛇の荒御魂が、その声に呼応するように伸びあがる。
鎮魂の意味を、このとき桜子は初めて理解した。無念や怨念や、世にはびこるものを、その歌と拍子によって浄化していくのだ。
この足運びならば知っている、と素直にそう思える。
誘われるように桜子は進みでると、気づいたときには次の足拍子を無心にとらえていた。
天雲の八重雲隠り鳴る神の
音のみにやも 聞きわたりなむ
天上を覆っていた黒雲が、徐々に渦巻き始める。
大蛇の咆哮が、どこかで聞こえた気がした。
暗い雲の隙間から、光が差し始める。
同時に、桜子の内に凝っていた闇は取り払われていった。
萌え出づる草木が、光に応じて芽吹いていくように。
か細く消え入りそうだった桜子の内の光は、金色に爆ぜながら、大きな奔流となって流れでようとしていた。この流れをさかのぼっていけば、たどり着くべき場所に還ることができる。
澄みわたる声が、それを保証していた。
そして、ここが自分のいるべき場所ではないということも、また強烈に感じるようだった。
一連の動きで生じた光が、集約する。
その一点を外さないかどうかが、戻れるかどうかの最後の賭けだった。
桜子は瞬間的にそれを悟った。
その瀬戸際に立たされているということも。
桜子は覚悟を決めた。
次に身をひるがえした刹那——雲の切れ間から、まぶしく鮮烈な光が、地上へまっすぐ切りたてるように走った。