光る川岸
——試みてみるしかない。
そうすることでしか、いつも何かを変えることはできなかった。
目の前の闇が、大蛇へと姿を変える。
何か言葉を発したようだったが、桜子は聞きとろうとしなかった。
地に足を印す。
弧を描く腕の指先。
架空の柄を握る。
大きく振りかぶる。
転換する瞬間、誰かの声がした。
『やくもたつ、いづもたけるが、はけるたち』
桜子が、一歩踏み込む。
川の底から透明な上澄みにむかい、収斂する光。
まるで、歌うような声が響く。
『つづらさはまき、さみしにあはれ』
途中で、それが歌であることに桜子は気がついた。
隠れていた蛍が、ひらり舞う。
桜子は、自分が水脈筋の奥底にいる気がした。
川の水面が光っていたからだ。
あの場所でも、光る川が流れていた。
——吾を斬れるか、桜子。
さっきと同じ声。
気づけば桜子は、右手に重みのある何かを握っていた。
はじかれたように柄を握りしめる。
宝物殿で、初めて握った柄と同じ感触。
振りあげると、澄んだ歌声がふたたび辺りに満ちた。
『くもいたちくも、やまとは、くにのまほらま』
——剣が歌っている。
この剣を佩いていた、遠い祖の皇の歌が、ここに宿っている。
桜子は、体全部を使って薫に呼びかけた。
「薫、ここよ。間違えないで。ここに戻ってきて」
桜子がさけぶのと同時に、また歌が響いた。
『やまとうるはし、いのちの、まそけむひとは』
——命のまそけむ人。もし、生きているなら——
おびただしい蛍が空を舞った。
否、本当に川が光っているのだと気づくまでに数秒。
誰かが気づけば光のなかにいた。
その姿を視界にとらえるやいなや、桜子は今や手元にある水神の剣を大きく振りかざした。
黒雲で覆われた夜空に、白い亀裂が走る。
桜子は、もう何もためらわなかった。
目の前の凝る闇にむかって一閃、ふりおろすと、地響きのような轟音が鳴り渡った。
「桜子さん」
誰かの声がする。
光る川岸で、その声だけが響く。
目の前の風景がかすむ。
炸裂する光のせいなのか、反射で浮かぶ涙のせいなのか、あやめもつかぬ間に、誰かがふたたび言った。
「こっちに。早く」
空に走った亀裂は、そのまま稲妻となって地上へすさまじい音とともに落下した。
桜子は誰かに腕をつかんで引き寄せられ、その直後に豪雨が滝のように身を打つのを感じた。
激しい雨音で、何も聞こえない。
かすかに目を凝らすと、大蛇に剣が刺さっているのが見えた。
大蛇は剣に貫かれたその身をくねらせながら、悶えるように空中へ昇っていく。
カッ! ともう一度、空が強くひらめく。
——と、はるか天空で白い雷が、黒い大蛇を剣とともに一気に呑み込んだ。と思うと、すべては夜の暗い空にまぎれて見えなくなり、あとは勢いを増す雨音だけが残った。